ZARD
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音楽番組で出演する時に体調不良になってしまった[注釈 1]ことがあり、生放送が多かったテレビ番組の出演は断ることにした[10]

喋ることが苦手で、録音を重視したいという本人の意向[10]

制作を継続していったことにより公演のタイミングを失った[10]

宝島社書籍「VOW」の投稿欄編集者コメントによると、デビュー前に坂井泉水がラジオ出演した際に「(メンバーとの仲を聞かれて)会ったことがないから分からない」「でも、きっといい人たちです」と語っていたとある。
作詞・作曲・編曲のクレジット

ほぼ全ての楽曲の作詞は坂井が担当している(例外として1stアルバム『Good-bye My Loneliness』に収録されている「恋女の憂鬱」と「女でいたい」の2曲の作詞は川島だりあが担当している)。また、「君がいない」と「Boy」に関してはクレジット上は坂井名義だが、栗林誠一郎の詞に坂井が手を加えたものである。ただし、「Boy」は歌い出しの部分を「Girl 今でも」から、「Boy 今でも」に変えた以外は全く別の歌詞である。

2ndシングル『不思議ね…』のカップリング「素直に言えなくて」、2ndアルバム『もう探さない』収録の「いつかは…」、16thシングル『サヨナラは今もこの胸に居ます』のカップリング「眠り」、42ndシングル『ハートに火をつけて』のカップリング「君へのブルース」の4曲は坂井自身の作詞作曲作品である。

作曲・編曲はほとんど同じメンバーで行われており、作曲は1991年-1999年頃まで織田哲郎栗林誠一郎、それ以降は徳永暁人、2003年以降はほとんどの曲を大野愛果が担当している。編曲は98年まで明石昌夫池田大介葉山たけしが務めており、それ以降は徳永暁人、99年は古井弘人GARNET CROW)が中心的に務めていた。葉山たけしもビーイング脱退後、2004年以降外注で再び編曲を行っている。なお、1stシングル『Good-bye My Loneliness』のカップリング「愛は暗闇の中で」では、共同編曲として寺尾広と共にZARDがクレジットされている。

上記以外にも、単発で多くのアーティストが作曲、編曲を行っている(TUBE春畑道哉PAMELAH小澤正澄、元day after tomorrowで現ストロボ北野正人、元GARNET CROW中村由利岡本仁志、など)。徳永暁人大野愛果は、初めてZARDの作曲を手がけた当時はそれぞれデビューして間もない頃であったが、その後もZARDの多くの作曲を担当することになった(徳永は「永遠」、大野は「少女の頃に戻ったみたいに」)。

織田哲郎(作曲25曲、作編曲1曲)

「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」「心を開いて」「あなたを感じていたい」など


明石昌夫(編曲53曲[注釈 2]

「揺れる想い」「この愛に泳ぎ疲れても」「きっと忘れない」「Good-bye My Loneliness」など


栗林誠一郎(作曲46曲)

「もう少し あと少し…」「君がいない」「こんなにそばに居るのに」「Don't you see!」など


川島だりあ(作詞曲2曲、作曲9曲)

「あの微笑みを忘れないで」「Ready, Go!」など


池田大介(編曲21曲[注釈 2]

「心を開いて」「My Baby Grand ?ぬくもりが欲しくて?」「運命のルーレット廻して」など


葉山たけし(編曲36曲[注釈 2]

「負けないで」「マイ フレンド」「愛が見えない」「君に逢いたくなったら…」「息もできない」など


徳永暁人(作曲4曲、編曲14曲[注釈 2]、作編曲11曲[注釈 2]

「永遠」「さわやかな君の気持ち」など


古井弘人(編曲10曲[注釈 2]

「新しいドア ?冬のひまわり?」「この涙 星になれ」「世界はきっと未来の中」「MIND GAMES」など


大野愛果(作曲22曲)

「明日を夢見て」「もっと近くで君の横顔を見ていたい」「かけがえのないもの」「グロリアス マインド」など


略歴
1991年 - 1993年

1991年、モデル活動をしていた坂井泉水がB.B.クィーンズのコーラスオーディションを機にプロデューサー長戸大幸に才能を見出され、テレビドラマ結婚の理想と現実』の主題歌歌手として抜擢され、シングル『Good-bye My Loneliness』でメジャーデビュー。デビュー曲ながら最高位9位、20万枚を超えるヒットとなった。デビュー直後のZARDは坂井のソロプロジェクトであり、まだ音楽制作に不慣れな坂井を長戸が傍でサポートしていた。2ndアルバム『もう探さない』からバックバンドの4人がクレジットされ、1993年2月前後までバックバンドのメンバーがついていた。

1992年8月、テレビ朝日系の音楽番組『ミュージックステーション』に初出演し、4thシングル『眠れない夜を抱いて』を披露。タイアップとTV出演効果もあり45万枚を超えるロングセラーを記録。続く5thシングル『IN MY ARMS TONIGHT』も30万枚を超えるヒットに。同月にリリースした初のフルアルバム『HOLD ME』は最高2位を記録し、翌年にはミリオンセラーになるなどブレイクのきっかけに繋がった。同時期に初のライブツアーを予定していたが、坂井以外の出演メンバーが決まらず、坂井の体調不良も重なり直前に急遽中止となる。
1993年 - 2001年

1993年、6thシングル『負けないで』が4週目にして自身初のオリコンチャート1位獲得しミリオンセラーを記録し大ブレイク。2月の『ミュージックステーション』5回目の出演を持って一切メディア露出がなくなるが、その3ヶ月後、大塚製薬ポカリスエット」CMソングに起用された8thシングル『揺れる想い』もミリオンセラーを記録。この2曲を収録した4thアルバム『揺れる想い』は230万枚超の売上を記録し、この年の年間オリコンアルバムチャート1位を獲得。同年のシングル『君がいない』『もう少し あと少し…』『きっと忘れない』も全て売上げ80万枚を突破。ビーイングブームの代表格となり、この年のオリコンアーティストトータルセールスの1位を獲得。

1994年 - 1996年は、オリコンシングルチャート2位以内、アルバムチャート1位を維持。この3年間に発売された「この愛に泳ぎ疲れても」「こんなにそばに居るのに」「あなたを感じていたい」「愛が見えない」「心を開いて」など8枚のシングルの平均セールスは75万以上と軒並み大ヒットし、1996年発売の17thシングル『マイ フレンド』では自身3枚目のミリオンセラーを記録。オリジナルアルバムも5thアルバム『OH MY LOVE』が200万枚、6thアルバム『forever you』は177万枚、7thアルバム『TODAY IS ANOTHER DAY』は166万枚と立て続けにミリオンセラーとなった。また、1994年のDEEN瞳そらさないで」、1995年のFIELD OF VIEW突然」といった坂井が作詞提供した楽曲もミリオンセラーを記録した。

1997年は『Don't you see!』『君に逢いたくなったら…』『永遠』が60万枚を突破。同年発売されたサマーベストセレクションアルバム『ZARD BLEND ?SUN&STONE?』もオリコン1位、200万枚を突破する大ヒットとなった。

1998年には人気アニメ”名探偵コナン”の主題歌に初起用された「運命のルーレット廻して」がオリコン1位を獲得。


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