ZARD
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同年5月15日?7月11日、町田市民文学館ことばらんど開館15周年記念&ZARD30周年記念企画「ZARD/坂井泉水 心に響くことば展」開催[17][18][19][20][21][22]

同年6月27日、東京文化会館にて初のシンフォニックコンサート<billboard classics“ZARD 30th Anniversary Premium Symphonic Concert ?永遠?>を昼夜2回公演開催[23]

2021年9月15日に、ZARDのオリジナルアルバム10作の最新リマスター盤と長期間廃盤となっていた「時間の翼」のリメイク盤を発売。同日には過去にリリースされた全389曲が音楽サブスクリプションサービスにて解禁された[24]
評価
ランキング

オリコン調べによる(2024年4月現在)。

アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数):3770.3万枚(歴代10位:平成アーティスト別 8位)

シングル:1774.3万枚(女性ボーカルアーティスト歴代3位)

アルバム:1996万枚(女性ボーカルアーティスト歴代5位)


シングルTOP10獲得数:43作(歴代14位タイ)(女性ボーカルアーティスト歴代4位)

90年代アーティスト・トータル・セールス:3位(女性ボーカルアーティスト1位)

シングル1位獲得数:12作(女性ボーカルアーティスト歴代4位)

シングルTOP100チャートイン数:45作(90年代デビューアーティスト歴代2位)

アルバムミリオン獲得数:9作(歴代5位)

アルバム連続ミリオン獲得数:9作(歴代1位)(HOLD ME?ZARD BEST ?Request Memorial?

アルバム1位獲得数:11作(女性ボーカルグループ歴代2位)

1992年年間アーティスト別セールス24位(『HOLD ME』「眠れない夜を抱いて」「IN MY ARMS TONIGHT」)

1993年年間アーティスト別セールス1位(『揺れる想い』「負けないで」「揺れる想い」「もう少しあと少し」「君がいない」等)

1994年年間アーティスト別セールス5位(『OH MY LOVE』「この愛に泳ぎ疲れても」「きっと忘れない」「こんなにそばに居るのに」)

1995年年間アーティスト別セールス6位(『Forever you』「あなたを感じていたい」「愛が見えない」「Just believe in love」等)

1996年年間アーティスト別セールス13位(『TODAY IS ANOTHER DAY』「マイフレンド」「心を開いて」)

1997年年間アーティスト別セールス9位(『ZARD BLEND?SUN & STONE?』「君に逢いたくなったら」「永遠」等)

1999年年間アーティスト別セールス2位(『ZARD BEST 軌跡Request Memorial』『永遠』「GOOD DAY」「新しいドア」「世界はきっと未来の中」等)

2006年年間アーティスト別セールス29位(『Golden Best ?15th Anniversary?』『ZARD Le Portfolio 1991-2006』等)

2007年年間アーティスト別セールス13位(『Golden Best ?15th Anniversary?』『Soffio di ventoBrezza di mare』等)

坂井泉水死去後の評価

坂井泉水の死去をきっかけにZARDが社会に与えた影響を総括しようとする試みが一般のメディアの間でも見られるようになった。2007年6月18日の『クローズアップ現代』(NHK)では「時代を励ました歌」と題して特集を放送し、ZARDの音楽に励まされてきたファンの声を紹介した[25]。この番組にゲスト出演した音楽評論家の富澤一誠は、岡林信康吉田拓郎尾崎豊といった日本のポピュラー音楽史の重要人物と比較対照しつつ、ZARDの音楽のあり方を“時代の伴走者”と規定した[注釈 3]。年末には坂井の特集記事を組む全国紙もあった[28]。亡くなる前はCDの売り上げ等のランキングが全て3桁であったが、亡くなった直後から全て1桁になり、あちこちの中古CDショップでは売り切れ続出、店舗によっては特設販売コーナーも設けられ、尾崎豊、マイケル・ジャクソン同様、亡くなってからファンになった、興味を持ち始めたという人も多かった。特に「負けないで」が高校野球の応援の演奏曲として頻繁に使われるようになり、2014年には全国400校で採用される英語の教科書でも掲載されることが決まった。

こうした事により、プロデューサーである長戸が2015年に『ZARDの楽曲を “永遠のスタンダード・ナンバー” としてZARD世代だけでは無く、知らない世代にも永遠に歌い継いで欲しい。』『坂井さんが亡くなり、新しい音源が生まれない今、手元にある全てを出し尽くした。』[29]と言う意義から、ZARDのデビューから25周年にあたる翌2016年には、実質的に “最後” のベストアルバムとして『ZARD Forever Best ?25th Anniversary?』が発売となった[5]
バイオグラフィ

1990年

当時本名でモデルとして活動していた坂井泉水(モデル時代の略歴は本人の項を参照)が、当時B'zTUBEプロデューサーだった長戸大幸と出会い、ZARDという新しい音楽グループをスタートさせる。


1991年

2月10日、1stシングルGood-bye My Loneliness」でデビュー。デビューシングルにしてオリコン最高位9位を記録。

3月27日、1stオリジナルアルバムGood-bye My Loneliness』発売。

6月25日、2ndシングル『不思議ね…』発売。カップリングの「素直に言えなくて」は坂井泉水作曲。

11月3日東海大学開発工学部第1回 愛鷹祭(沼津校舎学園祭)にて初ライブを行う。当日のオープニングアクトは、同じビーイングからデビューしていた関ゆみ子が務めた。

11月6日、3rdシングル『もう探さない』発売。

12月25日、2ndアルバムもう探さない』発売。この頃に町田文人、星弘泰、道倉康介、池澤公隆がメンバーに加入。


1992年

3月、第6回日本ゴールドディスク大賞「THE BEST 5 NEW ARTIST OF THE YEAR」受賞。

4月23日NACK5「I LOVE CITY」のスペシャル番組のパーソナリティーを担当。

8月5日、4thシングル『眠れない夜を抱いて』発売。ZARDの下地を作る。以降、45thシングル『素直に言えなくて』までシングルは全てTOP10入り。

8月7日テレビ朝日系『ミュージックステーション』でテレビ初出演。「眠れない夜を抱いて」を披露。

9月2日、3rdオリジナルアルバム『HOLD ME』発売。アルバムで自身初のTOP10入り。以降、8thアルバム『永遠』までオリジナルアルバム連続ミリオン(ベストアルバムを入れれば『ZARD BEST ?Request Memorial?』まで9作連続100万枚売上達成)。

9月9日、5thシングル『IN MY ARMS TONIGHT』発売。


1993年この年のオリコンアーティストトータルセールス1位となった。

1月27日、6thシングル『負けないで』発売。前年のブレイクの影響や、事前にドラマタイアップとして流れていたこともあり初登場2位と自身初のTOP3入りを果たし、4週目にして初の首位を獲得。初のミリオンヒット。年間チャート6位。

2月5日、テレビ朝日系『ミュージックステーション』にて音楽番組出演。以降音楽番組へ出演することはなく、結果的な最後の出演となった。

4月21日、7thシングル『君がいない』発売。

5月19日、8thシングル『揺れる想い』発売。自身初のオリコン初登場1位獲得。2週連続1位。売上100万枚を記録。年間チャート9位。

6月9日ZYYG,REV,ZARD&WANDS featuring 長嶋茂雄名義で『果てしない夢を』発売。

7月10日、4thオリジナルアルバム『揺れる想い』発売。アルバムでは自身初の首位獲得(通算5週)。年間チャート1位獲得。

9月4日、9thシングル『もう少し あと少し…』発売。

11月3日、10thシングル『きっと忘れない』発売。


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