2005年2月15日、PayPalの従業員であったチャド・ハーリー、スティーブ・チェン、ジョード・カリムらがカリフォルニア州サンマテオで設立した[6]。ハーリーはペンシルベニア州立インディアナ大学でデザインを、チェンとカリムはともにイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で計算機科学を学んだ[7]。
メディア上でよく取り上げられる一説によれば、ハーリーとチェンが2005年の初めにYouTubeのアイディアをひらめいたのは、サンフランシスコのチェンのアパートで開かれたディナーパーティの動画を共有するのに苦労したことがきっかけだったとされている。カリムはこのパーティに出席しておらず、そのようなパーティが開かれたこと自体を否定している。チェンは、パーティは実際に開かれたとした上で、「YouTubeはディナーパーティをきっかけにされた」という物語は、わかりやすい物語を必要とするマーケティング上の都合によってかなり脚色されていることを認めた[8]。
カリムによると、YouTubeの発想のきっかけとなったのは、2004年にジャネット・ジャクソンが起こした第38回スーパーボウルでのハプニング(パフォーマンス中にジャクソンの胸が露出した)と、同じく2004年に発生したスマトラ島沖地震だった。カリムはインターネット上でそれらの事件の動画を探したが、どちらの出来事の動画も簡単には見つけることができず、その体験が動画共有サイトのアイディアを生んだという[9]。サービス開始から2011年まで使用されたYouTubeのロゴ。Broadcast Yourself とのスローガンが含まれていた。
YouTubeはベンチャーキャピタルが出資するスタートアップ企業として開業した。主な出資者はセコイア・キャピタルであり、2005年11月から2006年4月までの間に1150万米ドルをYouTubeに投資した[10]。当初、YouTubeの本社はカリフォルニア州サンマテオのピザ販売店・日本食レストランの2階に置かれていた[11]。www.youtube.comのドメインは2005年2月14日に有効化された[12]。ハーリーとチェンによれば、最初期のYouTubeは動画版のHot or Not(英語版)(ユーザーが異性の画像をアップロードできる出会い系サイト)を目指しており、その方向性を示したのはカリムだった[8][13]。
YouTubeに初めて投稿された動画は、ジョード・カリムがサンディエゴ動物園の象の前にいる様子を映した 『ミー・アット・ザ・ズー』(2005年4月23日投稿)だった[14][15]。2005年5月、YouTubeのベータ版が一般に公開された。YouTubeで初めて再生回数が100万に達した動画は、ロナウジーニョが出演したナイキの広告動画(2005年11月に達成)だった[16][17]。2005年10月、カリフォルニア州で事業を行うデラウェア州法人としてYOUTUBE, INC.を設立[18][19]。
2005年11月にセコイア・キャピタルから350万米ドルの出資を受け、YouTubeは2005年12月15日から正式なサービスを開始した。正式サービスの開始当時、1日の動画再生回数は約800万回だった[20][21]。YouTubeは急速に成長し、2006年7月の発表では、1日に6万5000本以上の新たな動画がアップロードされており、1日の動画再生回数は約1億回であるとされた[22]。
アメリカでは、2005年12月頃にNBCの人気テレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』がアップロードされていたことからブログなどで話題になり[23]、2006年上旬にはYouTubeの映像をブログなどに貼り付け簡単に見られるAPIも公開され爆発的に普及した。日本では2006年3月に民間調査会社のネットレイティングスの調査で日本国内からの利用者が約212万人に達し、平均利用時間では米国ユーザーを上回っていることが発表された[24]。
2006年4月にアメリカの映画制作会社のワインスタイン・カンパニー、ディメンション・フィルムズと提携し、映画の予告編がYouTubeで配信された[25]。