株式会社YOZAN
YOZAN Incorporated種類株式会社
市場情報東証JQ 6830
株式会社YOZAN(ヨーザン、YOZAN Inc.)は、かつて電気通信事業を行う子会社を保有していた企業。2005年7月1日に株式会社鷹山から商号変更。社名は上杉鷹山に由来する。 設立当初は第三世代携帯電話 (W-CDMA) 用の集積回路設計・研究開発などを行っていたが、第三世代携帯電話のサービス開始の遅れや需要の伸び悩みへの不安から、電気通信事業者へ業態転換を行うことになる。 2001年12月4日に無線呼び出し(ポケベル)事業の「東京ウェブリンク」(旧東京テレメッセージ、後のマジックメール)をボーダフォングループ(当時)の日本テレコム(現ソフトバンク)から譲受、2002年8月1日にPHS事業の「アステル東京」を東京通信ネットワーク(後のパワードコム、現在はKDDIに吸収合併)から譲受。 当初の計画では、譲受したインフラをPHSと電力系通信事業者の光ファイバー・無線LANを組み合わせた無線IPネットワークに改良することにより、事業拡大を目指そうとした。しかし、事業に対する見通しの甘さに加え、主たる回線調達元となっていた電力系通信事業者・パワードコムが競合他社へ吸収合併されたため当初の計画は頓挫した。承継した時点でアステル東京のPHS事業は行き詰っており、買収後も毎期大赤字が続いた。さらに買収直後の2002年11月にアステル九州が新規受付を終了した(2003年11月にサービス終了)のを皮切りにアステルグループ他社で新規受付終了、サービス終了が相次いだことも追い討ちをかけた。 2005年2月には、アステルPHS基地局の設置場所を転用し、WiMAXによる無線定額通信およびIP電話サービスを2005年末に開始すると発表し、それに伴い、アステル事業は同年11月30日をもって終了した。また、ボイススポットフォンも2006年5月31日限りで終了、テレメトリング(専ら計器の遠隔読み出し等に用いる通信回線を提供するサービス)も同年6月30日限りで終了し、PHS事業からは完全撤退した。電波法では事業撤退後、速やかに空中線(基地局及びアンテナ)を撤去すべきとされており、YOZANは巨額の撤去費用を引当として計上した。結局、PHS事業をアステル東京から譲受したことがYOZANを事実上の破綻に追い込む結果となった。事業撤退後も東京電力の電柱などに共架されているPHS基地局の撤去は進んでいない。基地局の撤去には数十億の資金が必要であるとYOZANは公式発表している。 WiMAX事業も2007年12月31日に事業を凍結、2008年6月30日をもって同事業の廃止が公表された。 唯一、自治体向けの地域情報配信サービスとして期待された無線呼出しもPHS事業の大幅赤字の影響で事業の拡大は果たせなかった。新株予約権付社債の発行を繰り返すなどして資金手当てをしていたが、本業は売上減少が続き大幅赤字経営から脱却できなかった。 2008年3月期には100億円の債務超過となり、監査報告書において、継続企業の前提に関する重要な疑義に関する注記が監査法人より出され経営破綻も時間の問題と見られた。資金繰りが行き詰まったYOZANは沖縄でのWiMAX事業の開始と、無線呼出し事業の継続のために、同事業をPHS事業などから分離するため2008年10月1日付けで会社分割により切り分け、社名を「東京テレメッセージ」に戻した。それまでYOZANの資金を支えてきた米系ヘッジファンドのDKRオアシスは、新設された東京テレメッセージの株式を担保とし新たに数億円の貸付を行った。この資金は沖縄でのWiMAX事業の立ち上げに使われた模様だが収益には貢献しなかった。また会社分割された東京テレメッセージも事業展開に成果もなく、分割後も大幅赤字が続き結局DKRオアシスの関係者が立ち上げたMTSキャピタルに引き取られた。YOZANには100億円を超す債務と未撤去のPHS基地局だけが残ったが、PHS電柱局のメガキャリアへの譲渡と債権放棄などで債務超過を解消できる可能性はまだあったため、MTSキャピタルは譲渡予定先のメガキャリアとの交渉を続けた。しかしYOZANのPHS局を承継しなくとも東京電力が所有の電柱利用に応じてくれるとして承継交渉は打ち切られ、YOZANは完全に息絶えた。 末期は事業持株会社と称していたが、主要な展開事業はなかった。数少ない収入源の一つであった『着メロ』の商標権も、都税の滞納により差し押さえられ、2010年2月に東京都主税局によりYahoo! オークションに出品され(効力範囲別に2件[1][2])双方ともゲームソフトメーカーのビジュアルアーツが落札した[3]。 のちに債権者から破産を申し立てられ、2017年9月20日に東京地方裁判所から破産手続開始決定を受けた[4]。
会社概要
年表
1990年8月24日 - 株式会社イーゼルロボットビジョン設立。
1996年1月 - 商号を株式会社イーアールブイに変更。
1997年11月 - 株式会社イーゼルと合併し、商号を株式会社イーゼルに変更する。
1998年9月 - 第三世代携帯電話の集積回路設計を主として行っていた株式会社鷹山から営業の一部を譲渡され、商号を株式会社鷹山に変更。株式会社イーゼルに営業の一部を譲渡した旧鷹山は、商号を株式会社高取育英会に変更。
2000年9月1日 - 株式をJASDAQ市場(現 ジャスダック)に登録。
2001年12月4日 - 日本テレコム(現ソフトバンク)から無線呼び出し事業の「東京ウェブリンク株式会社」(旧東京テレメッセージ)を譲り受け、子会社化。その際同社は、商号を株式会社マジックメールに変更する。
2002年
8月1日 - 東京通信ネットワーク(後のパワードコム)からPHS事業(東京電話アステル)を譲り受け、「アステル東京」サービスを開始。(実際の運営は子会社のマジックメールが行う。)
10月1日 - 100%子会社の株式会社マジックメールを吸収合併。
2004年
4月1日 - ボイススポットフォン(VSフォン)サービス開始。
9月13日 - DDIポケット(現ウィルコム→ソフトバンク)網を利用した「全国コール」サービス開始。
11月30日 - 他地域のアステル網とのローミングを終了。
2005年
2月10日 - WiMAX方式による定額通信サービスへの参入を発表。
2月15日 - PHSによるテレメトリングサービスの新規受付を終了。
4月20日 - PHSサービスの新規受付を終了。
7月1日 - 商号を株式会社鷹山(ようざん)から株式会社YOZANに変更し、サービスブランドと統一。
7月26日 - 沖縄テレメッセージに出資。
11月30日 - 「アステル東京」ブランドでのPHS音声サービスを終了。
12月25日 - 無線ブロードバンドサービス「YOZAN WiMAX」開始。
2006年
3月13日 - ジャレコと業務・資本提携することが発表された。相互の株式を持ち合うことになる。
4月17日 - ソフィア総合研究所とWiMAX関連の合弁会社設立を発表。MVNO事業者向けサービス、一般ユーザー向けサービスの提供を行うとした。
5月31日 - ボイススポットフォン(VSフォン)サービスを終了。
6月30日 - テレメトリングサービスとPHS網を利用した児童見守りサービスを終了。PHS事業から完全撤退。
2007年
4月 - 出版社の飛鳥新社とキティ・フィルムの議決権を持つキティライツ&エンターテインメントを株式交換によって完全子会社化。