ヤプーズ
別名戸川純とヤプーズ
出身地 日本
ジャンルニューウェーブ
テクノ
活動期間1983年 -
レーベルテイチクエンタテインメント
(1987年 - 1991年)
東芝EMI/Pヴァインレコード(再発)
(1991年 - 1995年)
コロムビアレコード
(1995年)
メンバー戸川純 (ボーカル)
中原信雄 (ベース)
ライオン・メリィ
ヤプーズ(YAPOOS)は、戸川純を中心として1983年に結成された日本の音楽バンド[1]。もともとは戸川純とヤプーズと名乗っていた。 バンド名は沼正三の長編小説『家畜人ヤプー』に由来する[2]。 当時女優として人気を博していた戸川純の参加していたバンド「ゲルニカ」の活動休止にともなうソロ活動をきっかけに結成[3]。当初はゲルニカ活動休止中の1年間限定の活動予定だった[3][4]。 ゲルニカを休止してソロ活動やヤプーズを始めたのは、戸川の中で何か志向性が固まってきたというわけでも「ゲルニカ」とは異なる音楽性を打ち出したかったというわけでもなく、あくまでゲルニカの他メンバーの都合とレコード会社との契約上の問題(作品リリース契約)によるものだった[3]。まず「ちゃんとしたバンドにしたい」という気持ちが先にあり、バンドのコンセプトはその後で考えた[3]。バンド名を変更したのも、「戸川純とヤプーズ」ではバック・バンド的なニュアンスが強いので、自身も一兵卒のひとりであるバンドにしたかったため[3]。 「ゲルニカ」での戸川がメンバーの伝えたいことを表現する主演女優だとすると、「ヤプーズ」での戸川は歌詞を書いたりバンドのコンセプトを作ったりとバンドを牽引する立場にあり、主演女優でありながら監督を務める部分もある[3]。 1983年、戸川純が参加していたゲルニカの活動休止を受け、その戸川がフロントに座る形で元ハルメンズの泉水敏郎らと結成[注 1][4]。 1984年、「戸川純とヤプーズ」名義でライブアルバム『裏玉姫』を発売してデビュー[4]。 1985年から1986年にかけてライブ活動を行う。 1987年よりバンド名を現在の名称に変え、1stアルバム『ヤプーズ計画』と1stシングル「バーバラ・セクサロイド」をリリース。本格的に活動を開始する。 一旦活動を休止するが、1988年にメンバーを変えて活動再開する。 1989年、ヤプーズのサポートとしてP-MODELを凍結中の平沢進が参加。TV番組「夢で逢えたら」のコーナー「バッハスタジオU」に出演し、ダウンタウンとウッチャンナンチャン並びに平沢進らと共にセッションを行った。 1992年、アルバム「DADADA ISM」に平沢進から楽曲「ヴィールス(1992)」、「Y-Dash(コンドルが飛んでくる)」が提供される[5][6]。 その後、数回のメンバーチェンジを経て、2006年を最後にヤプーズ名義での活動は再び休止状態となる。2000年から2006年の休止までP-MODELの元メンバー、福間創がヤプーズメンバーとして参加していた。 2015年の編成ではヤプーズ名義での活動は無いものの、同メンバーを率いた戸川純ソロ名義のライブは何度も行われており「このメンバーでヤプーズである」という事が明言されていた。 当時発売されていたヤプーズグッズにもメンバーの表記がある。 2019年、メンバーである石塚BERA伯広の呼びかけをきっかけに13年ぶりに再始動[7]。
概要
来歴
メンバー
戸川純
ボーカル担当。結成当初から参加。
中原信雄
ベース、シンセサイザー担当。結成当初から参加。ヤプーズのサウンド・リーダー[3]。
ライオン・メリイ