YANAGIMAN
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YANAGIMAN
左の男がYANAGIMAN
右の男は須田正己北九州空港にて。2017年撮影)
基本情報
出生名柳 幸康
生誕 (1960-11-09) 1960年11月9日(63歳)
出身地 日本 鹿児島県鹿児島市
学歴熊本大学薬学部
マサチューセッツ州ボストンバークリー音楽大学
ジャンルJ-POPJazzRockR&BFolkHiphopClassic
職業音楽プロデューサー
作曲家
編曲家
ベーシスト
担当楽器ベースコントラバス鍵盤楽器
公式サイト ⇒http://yanagiman.com

映像外部リンク
YANAGIMAN Discography - YouTubeプレイリスト

YANAGIMAN(ヤナギマン、1960年11月9日 - )は、鹿児島県鹿児島市音楽プロデューサー作曲家編曲家ベーシスト、である。ケツメイシFUNKY MONKEY BABYSを始めとする様々なアーティストのプロデュース、作曲、作詞、編曲を手がけている。マサチューセッツ州ボストンバークリー音楽大学卒業。『1933ウクレレオールスターズ』バンマス。燦々ぬまづ大使(静岡県沼津市PR大使)長浜ブランドアンバサダー(滋賀県長浜市PR大使)[1]奄美観光大使(鹿児島県奄美大島PR大使)。JOIN大使(一般社団法人 移住交流推進機構PR大使)。洗足学園音楽大学客員教授、松実高等学園顧問を務めている[2]血液型はB型。1995年より東京在住。
概要

鹿児島県奄美大島出身。鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。熊本大学薬学部中退。幼少期より音楽が身近な環境であった。音楽性の原点はサイモン&ガーファンクルで、大学時代はアース・ウィンド・アンド・ファイアーに魅了された。その後ジャズミュージシャンとして東京で音楽活動。

1989年平成元年)マサチューセッツ州ボストンのバークリー音楽大学へ入学。帰国後、福岡に居住。テレビでレポーターなどを務める。デイト・オブ・バースのレコーディングとツアーに参加。

1995年(平成7年)、35歳時の『サウンド&レコーディング・マガジン』主催コンテスト優勝を期に活動拠点を東京に移す。アーティストからの紹介で仕事の幅が広がり、Soul loversのプロデュース、アレンジを始める。その後、Soul loversのMahyaの紹介でケツメイシと知り合い、作品を作り始める。元々の得意分野は普通のポップス系。レゲエヒップホップの新ジャンルを開拓すべく勉強を重ね、それがケツメイシのヒップホップ系の楽曲でのヒットにつながったという[3]

国内ではケツメイシ、FUNKY MONKEY BABYSCHEMISTRYCrystal Kay倖田來未中島美嘉加藤ミリヤエレファントカシマシBoADef Tech平原綾香など様々なアーティストへの楽曲提供や編曲、プロデュースを行う。また、ビルボードシーンで活躍中のUsherリミックスや、香港の歌手IVANWANG、HotChaElla Koonなど国外のアーティストへの楽曲提供も行う。

2005年(平成17年)、ケツメイシ『ケツノポリス4』でダブルミリオン[4]、及び、レコード大賞ベストアルバム賞を受賞[5]

2007年(平成19年)、BoA『LOVE LETTER』でレコード大賞金賞を受賞[6]

2011年(平成23年)、FUNKY MONKEY BABYS『それでも信じてる』でレコード大賞優秀作品賞を受賞[7]

2013年(平成25年)までに関わってきた作品の累積出荷枚数が2,000万枚以上に達している[8]

2018年(平成30年)ウクレレ友達のサザンオールスターズ関口和之が『1933ウクレレオールスターズ』を結成。YANAGIMANはバンマスを務める。関口を含める高木ブー野村義男分山貴美子はたけやま裕荻野目洋子で構成される[9]

2019年令和元年)5月3日、カンボジアの孤児院への寄付を熱望するYANAGIMANは、その趣旨に賛同してくれた島谷ひとみに新譜を書き下ろした。2万人強のパシフィコ横浜で『サイクル』を披露する[10]

2020年(令和2年)5月新型コロナウィルス騒動を受けてNHK BS1スペシャル「外出自粛の夜に?ウクレレでリレー音楽会」に出演。自宅からサザンオールスターズ関口和之の紹介バトンを受けてウクレレコントラバスを披露。その後、ザ・ドリフターズ高木ブー荻野目洋子へとバトンがつながれた[11]

2021年(令和3年)7月島谷ひとみMINMIが初コラボしたスペシャルユニットに“ジャパニーズレゲエ”の楽曲を提供した[12]

2022年(令和4年)4月1日洗足学園音楽大学客員教授に就任[13]

YANAGIMANが楽曲提供するFUNKY MONKEY BABYS

YANAGIMANが楽曲提供するCHEMISTRY

YANAGIMANが楽曲提供するCrystal Kay

YANAGIMANが楽曲提供する倖田來未

YANAGIMANが楽曲提供する加藤ミリヤ

YANAGIMANが楽曲提供するBOA

YANAGIMANが楽曲提供するDef Tech

YANAGIMANが楽曲提供する平原綾香

YANAGIMANが楽曲提供する島谷ひとみ

YANAGIMANが楽曲提供する香港歌手・HotCha

YANAGIMANが楽曲提供する香港歌手・エラ・クーン

YANAGIMANが卒業したバークリー音楽大学

YANAGIMANが生まれた奄美大島 YANAGIMANが生まれた奄美大島

YANAGIMANの音楽ルーツとなったサイモン&ガーファンクル

YANAGIMANの音楽ルーツとなったアース・ウィンド・アンド・ファイアー

主な代表作
FUNKY MONKEY BABYS
それでも信じてる』『ありがとう[14]
BoA
LOVE LETTER』『make a secret』『DO THE MOTION
ケツメイシ
バラード』『さくら』『トモダチ』『夏の思い出』『[15]
中島美嘉
素直なまま
倖田來未
Lies
CHEMISTRY
FLOATIN'』『愛しすぎて』『STILL ECHO
ゴスペラーズ
1,2,3 for 5』『くれないの街』『見つめられない』『愛のシューティング・スター[16]
エレファントカシマシ
俺たちの明日』『大地のシンフォニー[17]starting over』『まぬけなJohnny』『FLYER[18][19]
mihimaru GT
One Time』『オメデトウ
加藤ミリヤ
勇者たち
NEWS
なんとかなるさ
Crystal Kay
Motherland
Skoop On Somebody
遠くても 遠くても』『Sing a Song
Tiara
Love is… with KG』『さよならをキミに...feat.Spontania』『キミがおしえてくれた事feat.SEAMO』『ヒカリ[20]
MACK JACK
アンセム[21]
略歴

1973年昭和48年)- 屋久島町立安房小学校卒業[22]

1976年(昭和51年) - 鹿児島市立谷山中学校を卒業[22]

1979年(昭和54年) - 鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業[22]

1979年(昭和54年) - 熊本大学薬学部に入学[22]

1982年(昭和57年) - 熊本大学4年で中退。コントラバス奏者として東京のジャズ・クラブ「新宿ピット・イン」で演奏活動を始める[22]

1982年(昭和57年)?1985年(昭和60年) - アメリカ海軍ホテルであった広尾の『ニュー山王ホテル』で演奏活動[23]ジャズセッションを通じた技量の向上に努めた[22]


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