Xerox StarワークステーションXerox Star 8010
別名Xerox 8010 Information System
開発元Xerox
製造元Xerox
姉妹機種8000-series
種別Workstation
発売日1981年 (43年前) (1981)
標準価格$16,595[1] (2023年時点の$55,620と同等)
販売終了日1985
売上台数25,000
OSPilot
CPUAMD Am2900ベース
メモリ384 KB, 1.5 MBまで拡張可能
ストレージ10, 29, 40 MBハードディスクドライブ、8インチフロッピードライブ
ディスプレイ17インチ
グラフィック1024×808 pixels @ 38.7 Hz
外部接続イーサネット
前世代ハードXerox Alto
次世代ハードXerox Daybreak (ViewPoint; Xerox 6085)
Xerox Star(ゼロックス・スター)またはStarワークステーション(スター・ワークステーション)は、1981年にゼロックスが発売したワークステーションである[2][3]。正式にはXerox 8010 Star Information Systemと呼ばれる。今日のパーソナルコンピュータで標準となった、ビットマップディスプレイ、ウィンドウベースのグラフィカルユーザインタフェース、アイコン、フォルダ、マウス(2ボタン)、イーサネット・ネットワーク、ファイルサーバ、プリントサーバ、電子メールなどの技術を統合した最初の商用コンピュータシステムである。
1981年4月27日にゼロックスから発売された。Starという名称は、厳密にはオフィス・オートメーション市場向けのシステムとともに販売されるソフトウェアのみを指す。8010ワークステーションでは、小規模な研究およびソフトウェア開発市場に向けてプログラミング言語のLispやSmalltalkに基づくソフトウェアも販売された。
歴史
Xerox Alto詳細は「Xerox Alto」を参照
Xerox Starシステムのコンセプトは、ゼロックス・パロアルト研究所(PARC)が設計した実験用ワークステーションXerox Alto(ゼロックス・アルト)に負うところが多い。1972年に最初のAltoが運用を開始した。Altoは、設計者が以前にNLS(スタンフォード研究所、SRI)やPLATO(イリノイ大学)で見たものから強い影響を受けていた[4][5]。当初、Altoは数台しか製造されなかった[6]。1979年までに、ゼロックスで1000台近く、連携する大学や政府機関で500台のイーサネット接続のAltoが運用していたが[7]、商用製品とすることを意図していなかった[8]。
その後、1977年に、ゼロックスはAltoの技術革新を商品化するために開発プロジェクトを開始した[9]。彼らのコンセプトは、(当時高価だった)レーザー印刷技術を中心とし、大企業とその取引先を対象とした統合文書作成システムであった。その結果、1981年に発表された時[7]、Xerox Starシステムの価格は、基本システムが約75,000ドル(現在の$251,000と同等)、ワークステーションを1台追加するごとに16,000ドル(現在の$54,000と同等)であった。基本システムは、8010 Starワークステーション、サーバ専用の2台目の8010(RS232 I/Oを含む)、そして床置き型レーザープリンターで構成されていた。サーバソフトウェアには、ファイルサーバ、プリントサーバ、および分散サービス(メールサーバ、クリアリングハウス・ネーム/ディレクトリサーバ、認証サーバ)が含まれていた。顧客は、このシステムにXerox Memorywriter(英語版)タイプライターをイーサネット経由で接続し、Memorywriterをテレタイプ端末として用いて電子メールを送信することができた。 Starは、1977年にドン・マッサロ
Xerox Starの開発プロセス
開発チームはデビッド・リドル(英語版)が率い、最終的には200人以上の開発者が参加した。1年目の大部分は会議と企画に費やされ、その結果、社内で「レッドブック(Red Book)」と呼ばれる広範で詳細な機能仕様書が作成された。これは、すべての開発作業のバイブルとなるものであった。インタフェースを定義し、すべてのモジュールとタスクの一貫性を強化した。機能仕様に対する全ての変更は、標準を厳格に維持するレビューチームによって承認を受ける必要があった。
パロアルトのあるグループは、ハードウェアとプログラミングツールの基礎となるオペレーティングシステムのインタフェースに取り組んだ。エルセグンドとパロアルトのチームは共同で、ユーザインタフェースとユーザーアプリケーションを開発した。
スタッフは、ファイル共有、プリントサーバ、電子メールなど、自分たちが取り組んでいる技術に大きく依存していた[13]。さらに、当時ARPANETと呼ばれていたインターネットにも接続し、エルセグンドとパロアルトの間の通信に役立てた。
Starは、Modula-2やModula-3の直接の前身であるプログラミング言語Mesaで実装された[14]。Mesaはオブジェクト指向ではなかったもの、言語内にプロセス(スレッド)やモニター(ミューテックス)を含んでいた[15]。Mesaでは、モジュールごとに2つのファイルを作成する必要があり、一つは各オブジェクトのデータ構造定義と手続きを宣言する定義部と、もう一つはその手続きの処理コードが記述される1つ以上の実装モジュールである。トレイトは、Star/ViewPointの顧客環境でオブジェクト指向機能と多重継承を実装するために使用されるプログラミング規約であった[16]。
Starチームは、社内ではTajo(タホ)、一般にはゼロックス開発環境(Xerox Development Environment、XDE)と呼ばれる、洗練された統合開発環境(IDE)を使用した。TajoはSmalltalk-80の環境と多くの類似点を持っていたが、多くの追加ツールがあった。たとえば、バージョン管理システム DFでは、プログラマがモジュールに変更を加える前にチェックアウト作業をすることが義務付けられた。あるモジュールの変更が依存するモジュールの変更を強いるような場合は厳密に追跡され、文書化された。下位レベルのモジュールを変更するには、さまざまなレベルの承認を受けなければならなかった。
ソフトウェア開発プロセスは熾烈を極めた。多くのプロトタイピングやユーザーテストが行われた。PARCの研究環境で使われていたプロトコル(英語版)では不十分と判明したため、ソフトウェア技術者は、新しいネットワーク通信プロトコル(XNS)や文字コード体系(XCCS)を開発しなければならなかった。