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ニューヨーク・コミコンの記者会見にて(マンハッタン、2014年)
基本情報
別名X(旧バンド名)
出身地 日本 千葉県館山市
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ヴィジュアル系[1][2]
ヘヴィメタル[3][2][4]
グラムロック[4]
スピードメタル[1][3]
パワーメタル[3]
シンフォニックメタル[3]
活動期間
1982年 - 1997年
2007年 - 2018年
レーベル
Dada Records(1985年)
Extasy(1986年 - 1988年)
CBS/SONY / Siren Song(1989年 - 1990年)
Sony Records / Siren Song(1991年)
Ki/oon(1992年)
MMG(1992年 - 1993年)
east west Japan(1994年 - 1996年)
Polydor(1997年 - 1998年)
Columbia Music Entertainment(2003年)
Extasy Records International(2007年 - 2018年)
EMI(2011年 - 2014年)
Warner Music Japan(2013年 - 2018年)
Legacy Recordings(2017年 - 2018年)
事務所
Staff Room 3rd(1989年 - 1992年)
Excess 24(1993年 - 1998年)
MeGhee Entertainment Inc.(1993年)
William Morris Endeavor Entertainment(2010年 - 2018年)
共同作業者
津田直士
I.N.A
公式サイト ⇒X JAPAN公式サイト
メンバー
YOSHIKI(ドラムス・ピアノ)
Toshl(ボーカル)
PATA(ギター)
HEATH(ベース)
SUGIZO(ギター・ヴァイオリン)
旧メンバー「#旧メンバー」を参照
X JAPAN
YouTube
チャンネル
X Japan Official
活動期間2010年 -
ジャンル音楽
登録者数24.7万人
総再生回数106,229,205回
YouTube Creator Awards
登録者100,000人
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-11-11-00002023年11月11日時点。
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X JAPAN(エックスジャパン)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド[5]。旧称および通称はX(エックス)。 1982年に当時高校生だったYOSHIKIとTOSHIを中心に彼らの出身地でもある千葉県館山市で結成。その後、上京し幾度のメンバーチェンジを経て1989年にXとしてメジャーデビュー。1992年にX JAPANに改名。1997年9月22日に解散を発表し、同年12月31日にラストライブを開催し解散。その後、2007年10月22日に再結成し、十数年越しの世界進出を果たした。また、Coachella 2018では多数の権威ある海外メディアから高評価を受けた[6]。さらに、2003年にHMVによる日本史上最高のトップポップアーティスト100に選ばれる[7]。 派手なメイク(化粧)や金髪を逆立てた髪型、派手なライブパフォーマンスは「ヴィジュアル系」と呼ばれるジャンルを生み出し、その先駆者ともなった。 日本公演 2018年?紅に染まった夜? Makuhari Messe 3Daysを最後にX JAPAN名義での活動は行われておらず、2024年現在は活動休止中である。なお、メンバー個々での音楽活動は継続中であり、特にYOSHIKIとToshlは、音楽活動の傍ら、バラエティー番組にも頻繁に出演している。 いいバンド名が思いつかなかったので、一時的に仮の名前として「X」と名付けた[8]。その後、YOSHIKIがXという文字の意味を調べたところ、Xには「数多くの可能性」という意味があることがわかり[8]、後付けで「無限の可能性」とジャンルにとらわれないという意味であるとした。その後、世界進出にあたりアメリカに同名のバンドが存在することがわかり、1992年8月のHEATH加入発表と共にX JAPANに改名した。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
概要
バンド名の由来
来歴
1977年 - 1988年: 結成、インディーズ時代
出典検索?: "X JAPAN"
幼稚園の頃からの幼馴染だったYOSHIKIとTOSHIは、小学校高学年でアメリカのハードロックバンド「KISS」の話をする間柄であり、共にバンドを組む約束をしていた。
小学6年の時にDYNAMITE(ダイナマイト)(1977年 - 1978年)[9]、中学校に進学後NOISE(ノイズ)(1978年 - 1982年)を結成。主にレッド・ツェッペリン、UFO、レインボーなどのコピー曲を中心に演奏[10]、中学校の予餞会が初ライブだった。その後、通っていた中学校が生徒増加に伴う分割によりボーカルが別の中学に編入されたため、当初ギターだったTOSHIがボーカルに転向。地元の安房高校に進学した2人はその後もバンドを続けていたが、進学問題で他のメンバーが脱退。他校のメンバーを加えて1982年夏、高校2年生の時に始めたのがX[注 1]だった。高校時代の文化祭では「We are X」、当時は未完成だった「I'LL KILL YOU」などを演奏していた[11]。
高校卒業後の進路として音楽大学の推薦入試を受験する予定だったYOSHIKIが、入試1週間前に進学を取り止めロックバンドとして成功する道を選び、1984年にTOSHIと結成時のメンバーのTERRYと共に活動拠点を東京に移した。又、ベース担当のATSUSHI、ギター担当のTOMOが加入した。
上京後の2人は、何のツテもない状態でメンバーやライブハウスを探し、1年後の1985年にはバンドとしての体裁を何とか整えられた。同年6月、1作目のシングル「I'LL KILL YOU」をDada Recordsからリリース。1986年にYOSHIKIが自身のレーベル「エクスタシーレコード」を設立し[12]、2作目のシングル「オルガスム」をリリースする。この頃になるとファンもある程度定着したが、メンバーは常に流動的で、YOSHIKIの1日十何時間も練習する姿勢に見切りを付けられることが原因であることが多く、存在が判明していないのを含めると脱退したメンバーは20人は超える。YOSHIKIも難しい注文に答えてくれるだけではなく、自分の方針に忠告をしてくれて、且つお互いの個性を認め合い、尊敬・成長し合えるメンバーを探していた[13]。
その後、一時期Xに加入していたTAIJIが1986年の年末に再び加入。1987年ビクターから発売されたオムニバス・アルバム『SKULL THRASH ZONE Vol.1』のレコーディングでPATAがヘルプで参加。その後、1987年初めには、SAVER TIGERを解散させ美容師になる決心をしたHIDEをYOSHIKIが説得し、Xに加入させた。交通事故を起こしたISAOの脱退後にPATAも正式にメンバーとなり、メジャーデビュー時のメンバーが揃った。
ライブ・ハウスでは、メンバーが暴れて火を吹いたりYOSHIKIがシンバルにガソリンを注いで燃やすなどのパフォーマンスを敢行し、数々のライブハウスから出入り禁止となった。打ち上げでも喧嘩が絶えず店がメチャメチャに壊れるなどトラブル続きだったため[14]、ロックミュージシャンが居酒屋へ入る際にはYOSHIKIがいないか店にチェックされたほどであり、当時のインディーズメタル事情に詳しい漫画家の喜国雅彦によると、当時の渋谷の居酒屋はミュージシャン同士の喧嘩が多かったことから「ギターお断り、ミュージシャンお断り、バンドマンお断り」極めつけは名指しで「Xお断り」と貼り出された店もあったという[15]。その特異な行動から、HIDE率いるSAVER TIGER、TAIJIが在籍したDEMENTIAと共に「関東三大粗大ゴミバンド」とバッシングの対象になった[16]。なお、当時DEMENTIAに在籍していた小杉茂(現ハウリング・ブル・エンターテイメント代表取締役社長)によると、この呼び名の名付け親はUNITEDのメンバーではないかと推測している[17]。
「いくら良い曲を作っていても聴いてもらえなければ意味が無い」という考えから「知名度が必要」と判断し、日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ヘビメタコーナー」に出演していた[18][注 2]。ステージ衣装のままで競技を行う「ヘビメタ大運動会」[20]や、「早朝シリーズ」(就寝中の芸能人の部屋に侵入してバズーカなどの爆音で起こす名物コーナー)の一つである「早朝ヘビメタ」などに出演。狭い食堂で「オルガスム」を演奏する同番組の企画「やしろ食堂ライブ」は、HIDEのX加入後の初仕事となった。
しかしその世界観を硬派なイメージで保とうとする当時の音楽業界、特にロック界の風潮の中で「(音楽番組以外の)テレビ出演」はタブー視されていたため、業界関係者や他のバンドから「ヘヴィメタルをお笑いネタにされた」として厄介者のレッテルを貼られていた。
テレビ出演をきっかけに知名度が全国区へと広まったXは、当時デモテープの配布すら滅多に無かった時代にオリジナル映像を収録したVHSを客に配布した[21]。