飛行するXP-55-CU 42-78846号機 (撮影年不詳)
用途:戦闘機
分類:陸上戦闘機
設計者:ドノヴァン・リース・バーリン
XP-55 アセンダー(Curtiss-Wright XP-55 Ascender)は、アメリカ合衆国のカーチス・ライト社がアメリカ陸軍航空軍向けに開発した試作戦闘機。
単発の推進式レシプロエンジンを胴体後部に配置してプロペラを駆動し、機首付近に前翼を配した前翼機という特異な形状であった。失速しやすいという問題点が改善しきれなかったこともあって、3機の試作のみに終わった。愛称の「アセンダー (Ascender)」は、上昇の意であり、製造チームの期待による冗談から発展した呼称[1]である。カーチス・ライト社(略称はCWC)内での開発名称はCW-24。 1939年11月にアメリカ陸軍航空隊は、レシプロ機の限界を打ち破るべく「周回計画(Circular Proposal)R40C」という単発の迎撃機の仕様書を提示し、この中で「低い抗力、良好な視界、強力な武装の3つの条件を満たせば、どのような案でも良い」旨の示唆がなされていた。提示された航空機メーカー8社のうち、ヴァルティー社はXP-54、ノースロップ社はXP-56、カーチス・ライト社のXP-55の3つが試作契約を勝ち取った。同機の特徴は先尾翼機で、主翼が後退翼、降着装置はカーチス・ライト社製軍用機としては初の前輪式という設計だった。仕様書ではエンジンは開発中のP&W X-1800-A3G(2,200 hp)を搭載することになっていた。しかし、陸軍はあまり本機の採用に乗り気でなく、地上試験用モデルと風洞テスト用モデルの製作発注のみを行い、試作機の発注はその結果次第で行うという対応をとった。その結果、カーチス・ライト社はまず実物大の飛行テスト機(社内名称CW-24B)を自費製作し、1941年12月からテストを行った。そして、1942年7月にようやくXP-55として試作機3機の発注を陸軍から受けることができた。 試作1号機(機体番号:42-78845)の初飛行は1943年7月19日に行われたが、この時点で安定性不良が指摘された。これは、エンジンは搭載を予定していたX-1800-A3Gが開発中止となってしまったため、約1,000 hpも出力が落ちるアリソン社のV-1710を搭載したが、これか明らかにパワー不足であったためで、試作1号機は同年11月に失速試験を行っている際に墜落して失われた(パイロットは脱出)。翌年に、全幅や小翼の形状を変更し操縦性の改善を図った2号機(機体番号:42-78846)と3号機(機体番号:42-78847)が完成した。しかし、劣悪な操縦性や低速時の不安定性は改善されず、最高速度も当時の制式戦闘機を下回る628 km/hしか出なかった。結局性能不良ということで開発計画は中止となった。その後、3号機は1945年5月27日にオハイオ州のライト飛行場で行われていた航空ショーで飛行中に墜落、パイロットは死亡した。 型名 番号 機体写真 所在地所有者公開状況状態備考
概要
諸元駐機中のXP-55(試作2号機)
XP-55-CU
全長:9.01 m
全高:3.53 m
全幅:12.36 m
翼面積:21.83 m2
自重:2,882 kg
全備重量:3,597 kg
エンジン:アリソンV-1710-95 液冷V型12気筒 1,275 hp
最大速度:628 km/h
航続距離:1,022 km
実用上昇限度:10,912 m
乗員:1名
武装:
12.7mm機関銃 × 4
現存する機体
XP-55-CU42-78846アメリカ ミシガン州エア・ズー航空宇宙科学博物館