Wikipedia:削除依頼/ジェームズ・ボンド関連
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(コメント)武田一男様、このたびはわざわざお越しいただき、また貴重なご説明・ご意見をいただき、本当にありがとうございました。お名前の件でご不快に思われたかもしれませんが、経緯はすでに申し上げた通りですので、なにとぞご容赦下さい。削除するかどうかの審議は客観的・公正に行われますので、現状ではどうなるか私には何とも申し上げられません。もうお越しいただけないとのことですが、もしお時間があるようでしたら、審議の行方を見届けていただければと思います。繰り返しになりますが、いろいろ失礼を申し上げましたことをお詫びいたします。--Rollin 2009年9月11日 (金) 12:13 (UTC)[返信]


(確認)武田様。ひとつ確認させてください。ウィキペディアのライセンスと現在のソフトの仕組みでは、武田様の名前などを示さず、ウィキペディア以外での商用利用が可能な状態となっています。現実味は薄いですが、たとえば、ボンドのページをコピーして、街角で一枚100円で売りさばいて何百万円なり何千万円なりを稼ぐ人がいたとしても、分け前が得られない、ということになります。それでもよろしいでしょうか。--Ks aka 98 2009年9月11日 (金) 18:55 (UTC)[返信]

(コメント)確認の件、お答えします。確認されたいことは僕が作成した「007の年表」の著作権のことだと思います。著作権放棄はしていません。「どうぞ、ご自由にお使い下さい」と申し上げたのはRollinさんに対して言ったのであって他のいかなる人へではありません。なぜなら、Rollinさんの場合、そのお人柄から推察して、仮にお使いになっても、出典明記をされる方、と思いましたから。これが確認の答えです。もしご懸念のように無断使用の場合は法的な処置をとることは自明です。僕も長年、映像作品、音楽作品のプロデュースを仕事にしていますので。 武田一男--以上の署名のないコメントは、60.62.150.168(会話)さんが 2009年9月18日 (金) 12:47 (UTC) に投稿したものです。これまでの武田さんのコメントについて、インデントを調整しました。--Ziman-JAPAN 2009年9月24日 (木) 21:52 (UTC)[返信]


(コメント)審議が停滞していますが、Wikipediaのライセンスに基づいた使用を前提に、問題の記述について追認をいただける状況にないのは既に明らかだと思います。特に異論がなければ、本記事が削除の方針に該当するかどうかの検討に話を戻したいと思います。--西村崇 2009年10月7日 (水) 14:38 (UTC)[返信]

(ジェームズ・ボンド (架空の人物)は削除、ジェームズ・ボンドは特定版削除)特に異論も出ないようですので、議論を最初の時点に戻し、見解を述べます。著作権侵害のおそれがあるため、依頼者の指定した記事・版の削除、あるいは特定版削除による対応が必要であると考えます。
以下の検討において、西村の手元にある、『007 私を愛したスパイ』昭和52年12月10日 東宝株式会社事業部発行と記載のある映画パンフレットにおいて、表紙を1ページ目とすると14ページ・15ページに相当するページに掲載されている、武田一男氏による「ボンドの生い立ち」と題された年表を「原年表」と呼びます(ただし後述するように、この情報で出典が一意に特定できているかどうかは疑問が残ります)。一方、本記事の年表は、ジェームズ・ボンド 2006年12月12日 (火) 08:53(UTC)の版
において前半部分が投稿され、しばらくおいて2006年12月28日 (木) 01:15(UTC)の版で後半部分が加筆されました。この間、年表には2006年12月16日 (土) 10:05(UTC)の版で「映画カジノ・ロワイヤルの公式サイトでは…」という記述が加えられましたが、この加筆は無関係な第三者による投稿であると思われます。したがって、以下では2006年12月28日 (木) 01:15(UTC)の版において「プロフィール」の節の前半に掲載されている年表から、「映画カジノ・ロワイヤルの公式サイトでは…」の記述を除いたものを検討の対象とすることとし、以下これを「本記事年表」と呼びます。
まず、原年表が著作物であることには争いがないと思います。この年表は、一人の人物の歴史を年代順に記したものです。K・エイミス『007号/ジェイムズ・ボンド白書』永井淳訳、早川書房、1966年のあとがきには、主題の人物に関する編年史的な研究書籍は多数ある旨が記載されており、この人物の歴史に関しては一定の研究成果の蓄積があることがうかがわれます。適書を得られなかったため、私は主題の人物に関する常識的な事柄を把握するには至っておらず、原年表が研究者一般が共有する歴史観とどの程度一致しているのか、あるいは離れているのかは分かりません。しかし、干支を用いた出生時期の推定(原年表「註1」)といった欧米では考えにくい視点による考察や、特定の時期が同人が充実していた時期であると位置付ける記述(同「1939」)、ある時期における業績に対する評価(同「1941」)といった記述を交えた原年表は、そういった平均的な史観との比較を行うまでもなく、単純な歴史年表の域にとどまってはいないと考えられます。 ⇒[4]にあるような受け止められ方がなされるのも、原年表の充実した記述によるところが大きいでしょう。以上のように、原年表は創作性を有しています。
次に、本記事年表が原年表に依拠していることもまた明らかです。本記事年表の52項目のうち、45項目においては項目の全文について、3項目においては項目の一部について、文意の上では同一の記述を原年表に見つけることができます。ここで文意の上では、と断ったのは、両者の間には、

「ドラックス」に対し「ドラッグス」のような表記の相違

「同僚の勧めで」に対し「同僚の薦めで」のような用字の相違

「どこそこへ。何何する。」に対し「何何するためにどこそこへ。」のような語順の相違
のように、字句の上ではおびただしい相違が見られるためです。しかし、このような本質的ではない相違は依拠の有無の判断には影響しません。また本記事年表のうち4項目(1957年8月、1957年9月、1959年2月、1961年12月)においては項目の全文について、3項目(1953年1月の「当時の秘書は…」以降、1953年10月の傷に関する記述、1961年3月の保養に関する記述)においては項目の一部について、原年表には対応する記述が見当たりません。しかし、これら7項目における記述(以下「追加記述分」とします)が原年表に依拠したものではなく、投稿者自身の認識を追加したものだとしても、量的にも質的にも一部分であり、残部分での依拠が否定されるわけではありません。対応する項目の多さから考えれば、本記事年表は、原年表に強く依拠していると言えます。
とはいえ、投稿者が実際に依拠しているのは、西村が参照している「原年表」とは別の版であると思われます。本削除依頼の依頼者は、ノートページにおいて、両者は「ほぼ一字一句同一の文章」であると評していますが、「一字一句同一」が「一字一句に至るまで一致している」という意味であると解釈するならば、この評価は既に述べた状況とはかけ離れています。これは、
依頼者所有の「劇場用パンフレット」と西村が参照しているパンフレットは同一であるが、「ほぼ一字一句同一」の解釈に相違がある。

依頼者所有の「劇場用パンフレット」と西村が参照しているパンフレットは異なるものであり、依頼者の「劇場用パンフレット」には、「ほぼ一字一句同一」と形容するのが適切な、より類似度の高い年表が掲載されている。
のいずれかでなければ辻褄が合いません。通常、深刻な問題がない限り、映画の劇場用パンフレットが版を重ね、改版の度に細かく内容が改訂される、といった状況は考えにくいです。また依頼者は「ほぼ一字一句同一」かどうかを判定する上で、語尾の相違や原年表からの記述の削除は考慮しない、としていますから、普通ならば1.が実態に近いと考えられます。ところが本削除依頼において、原年表の執筆者である武田氏は、東宝株式会社事業部昭和52年12月10日発行の映画劇場用パンフレットに、1953年12月の受章についての記述を入れた、という趣旨の発言をなさっています。冒頭に記しましたように、私の手元のパンフレットは「昭和52年12月10日 東宝株式会社事業部発行」と記載のある映画パンフレットであり、条件を満たしていますが、1953年12月の記述はありません。このことから、2.である可能性も否定できません。そもそも本件はノートページにおいてLPの解説書との類似が指摘されたのが発端であり、また武田氏も「いろいろ転載されました」と発言されています。依頼者のパンフレットと西村のそれが同一であるかはともかくとして、原年表に複数の版があるのは確かです。これら各版の相違が1953年12月の件以外に存在するのかどうかは不明ですが、ここで本記事年表の追加記述分に戻ると、たとえば1953年1月の後半の記述は、体言止めが主体である原年表と文体が一致しており、このままの文言が原年表に含まれていたとしても違和感がありません。また1957年9月の記述は、新規に書かれた文章にしては不自然であり、1957年8月の記述と合わせて一項目であったものを無理矢理分割したかのような文章です。以上の状況から、追加記述分の一部は、投稿者が自身の認識を追加した結果であると解釈するよりは、原年表には当該記述を含んだ別の版(B)があり、本記事年表の投稿者はBを参照した、と想定するのが自然です。Bが何であるかについては、年表の後半が投稿された際に同時に投稿された内容が何かを示唆しているようにも思われますが、ここでは深入りいたしません。いずれにせよ、この想定では西村が参照している版(A)はBとは異なっているのですから、Aと本記事年表の比較検討は有効性が限られたものとなります。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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