Wikipedia:よくある批判への回答
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WP:FUD

ある人々はほとんどすぐさまウィキペディアのアイディアを気に入り、虜になります。また、別の人々はこんなアイディアは馬鹿げていて、真面目に考慮するには値しないと考えます。これまで私たちはウィキペディア・プロジェクトに対するたくさんの批判を受けてきました。ここでは、それらに対する回答を提示します。

ウィキペディアに向けられた批判の多くは、ウィキペディアが誰でも自由に編集できるウィキであることに根本原因があります。ですから他のウィキに対しても同様の異議が唱えられています。
ウィキペディアの記事は質が悪い
書きかけの記事だらけだ

「私が知っているトピックを調べてみたが、そこにあったのは数個の単語しかない記事だった。ばかばかしい話だ!」

「このウェブサイトのすべてのページに巨大な「工事中」マークが必要みたいだ。参考文献として役に立たないし、要領を得ていない。」

ウィキペディアは結果でもあり過程でもあります。結果としては、今現在はそれほど刺激的でもないし、まして立派なものなどではないと思われます。実際、「スタブ」(書きかけの記事)止まりの項目はたくさんあります。抜け落ちている重要な項目や情報もたくさんあります。月並みな成果しか得られていない部分もたくさんあります。しかしながら、過程として見るならば、ウィキペディアをある時点での状態によってではなく、いかに成長しているか、最終的な形にいかに近づきつつあるかによって判定することができます。

過程を理解する一つの方法は、完璧な記事、百点満点の記事を想像することです。まだ存在していない記事は零点、スタブ記事はおそらく1点でしょう。ウィキペディアの過程は、ある重要な編集が記事を10%完成に近づけるといったような、すべての記事の継続的な質の改善によって行われます。最初の編集は記事を百点満点中の零点から10点にするかもしれません。結果として見るならば、10点の記事はとても不完全に思われるに違いありません。しかし過程が進展するにつれて、記事は継続的に向上します。次の編集では10%近づいて20点に、その次には30点に、という具合です。さらなる編集が蓄積して記事の質は完成に向けてしだいに近づき、百科事典全体の質も同様に完成に近づきます。

また、製品としての評価にせよ、もしくは過程としての評価にせよ、スタブを根拠にプロジェクト全体を判断することは無意味です。2001年1月から始まったものにあらゆる重要な主題についてのあらゆる内容が備わっていることを期待するのは理不尽です。ウィキペディアにはたくさんの素晴らしい記事だってあるのです。そしてほとんどの記事は、単に「問題のない記事」です。

すべての記事は変化しています。なぜなら、私たちは常に作業し続けているからです。私たちが一般的な項目の大部分を網羅して、ほとんどすべての記事について少なくとも「スタブ」を得られる日が来るだろうということは、想像に難くありません。そのあとは、それらのスタブをさらに詳しくしていくのです。そして私たちは、その日を楽しみにしているのです!欠けている情報を補うために、ぜひあなたもウィキペディアの執筆に参加してみてください!
間違いだらけだ

「自分が詳しい分野の記事を見てみたが、数多くの誤記や情報の欠落を発見した。はっきり言って、私はこんな低品質なものと関わろうとは思わない。」

このプロジェクトは2001年1月に始まりました[注 1]。いろいろな人たちによって書かれた、一つの巨大な百科事典の草稿だと考えてください。

質の悪い記事に失望することは私たちにもあります。ただ、私たちは間違いを修正し、品質を高める方向に努力しています。私たちはお互いの仕事を編集できます。私たちは多くの異なるページで作業をしていますが、多くは全体がどう見えるかということに対してある種の共同責任のようなものを感じています。目玉の数さえ十分あれば、どんな間違いも深刻ではありません。私たちは常に最近更新したページをモニターしています。あまりにひどい誤りについては、ウィキペディアを毎日読んでいる多数の人々によってすぐに直されるものが少なくありません。そして、私たちはお互いの間違いを見つけ訂正するのを楽しんでいます。少しごらんになってまわれば、プロジェクトの若さのわりにはそれほど悪くないものがあるでしょうし、いくつかの記事は本当によいものだと思います。

また私たちはすべてのページの版を保存しており、過去の版にとても簡単にアクセスできます。変人がやってきてページを破壊すればほとんど即座にもとに戻されます。

もしウィキペディアを否定する理由が特定分野の記事の質の悪さであるなら、来年、あるいは数年後に戻ってきてみてください。その頃には、記事の誤りは修正され、さらに多くの詳細な情報が提供されているでしょう。これは、かなりあり得る話だと思います。もちろん、あなた自身がその誤りを修正してくだされば、その瞬間に記事はよりよいものになるわけです。あなたが私たちの作業に参加してプロジェクトの品質を高める手助けをしてくだされば幸いです。記事の品質が悪いのは、無知やゲリラ組織、変人たちやその他の悪意によるものだけではありません。限りある人々が限りある時間のなかで働いているということなのです。
「おたく」の書く記事は偏ってる

「ウィキペディアへの寄稿者のほとんどは「おたく」だ。おたくは自分が重要だと考える情報を余さず書き込むことに熱心なあまりに、全体のバランスに気が回らない。結果としてウィキペディアの内容にはムラがありすぎる。」

ごもっともです。基本的に、今ウィキペディアに書いている人々の多くは何らかのマニアや、インターネットのヘビーユーザーです。また、最初に立ち上げられた時には、甚だしく偏った記事もたくさんあります。ですが、たくさんの批判的な人々が最近更新したページを毎日見ています。その結果、ウィキペディアにはかなり出来の良いバランスの取れた記事もあるのです。
不特定多数の利用者に編集させるなんて非常識だ
アマチュアの書く記事なんて

「著者や著者の経歴が記事や論文の信頼性の判断に大きく関わるというのは、研究の初歩だ。専門家なのか無学なのかもわからない人々による百科事典なんて信頼できるわけがない。そんな人間が書いた記事は間違いだらけに決まっている。無知を知識に混ぜても、知識が増えたりはしない。」

正直なところ、ウィキペディアには情報不足なアマチュアが作った記事もあります。ですが、私たちはそれを歓迎しているのです。何もないよりは、後で改善されるだろうアマチュアによる記事の方がよいと考えているからです。そして、たいていの場合、そういった記事は、時間とともにより詳しい知識をもった新たな参加者によって完全に書き換えられます。そして参加者が増えるにしたがって、記事を平均水準まで引き上げてくれる真の専門家の数も増えています。

一般にアマチュアは、専門家と話をすると自分がアマチュアであることを自覚し、記事執筆そのものとは違った方法、例えばわからないところについて質問したり、記事のどの部分が不明確かを指摘したり、調査の下働きをしたりすることで貢献し始めます。記事の全体の構成や専門用語、文体がアマチュアにもわかるものになるようになっていなければ、専門家以外の人は誰も読むことができないような難解な記事の寄せ集めになってしまいます。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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