この項目では、アメリカ合衆国で発行される新聞について説明しています。スーザが作曲した行進曲については「ワシントン・ポスト (行進曲)」をご覧ください。
ワシントン・ポスト
The Washington Post
同紙のライノタイプ
種別日刊紙
判型ブランケット判
ワシントン・ポスト(英語: The Washington Post)は、1877年創刊のアメリカ合衆国ワシントンD.C.の日刊紙である。米国内での発行部数は25万部で、USAトゥデイ(162万部 本紙のみ全国紙)、ウォール・ストリート・ジャーナル(101万部)、ニューヨーク・タイムズ(48万部)、ニューヨーク・ポスト(42万部)、ロサンゼルス・タイムズ(41万部)に次いで第6位[1]。首都ワシントン最大の新聞であり特に国家政治に重点を置いている。
2013年に、オーナーのドナルド・グラハムの15年来の友人であるAmazon.comの創業者ジェフ・ベゾスに買収された[2]。冷戦中には特に容共リベラルな編集方針や記事がアメリカの政権から敵視され、保守派からは「Pravda on the Potomac (ポトマック河畔のプラウダ(ソ連共産党の機関誌)」と称された[3][4][5]。2017年に「暗闇の中では民主主義は死んでしまう」を新スローガンに採用した[6]。
目次
1 概要
2 記事
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
概要 「ワシントンポスト」を読む少女(1969年撮影)。記事はアポロ11号の月面着陸に関するもの
ワシントンD.C.の地方紙である[7]が、世界的影響力を与える「高級紙」の部類であり、新聞の読者もアメリカ合衆国の高学歴層が大半である。
二世代にわたってワシントン・ポスト社を所有していたマクリーン家の破産後に、ユージン・メイヤー(1875年 - 1959年)が同社を買収し、その娘のキャサリン・グレアムが夫のフィリップ・グレアムの自殺以降、同社を支配管理した。彼女は、この新聞の発行人を1969年から1979年まで務め、1973年から1991年まで社長を、1999年から亡くなる2001年まで会長を歴任した。息子のドナルド・グレアムも1979年から2000年まで発行人を務めた。彼に引継ぎ、ボイスヒューレット・ジョーンズ・ジュニアがワシントン・ポストの発行人及びCEOを務めている。
2013年8月5日、ワシントン・ポスト・カンパニー(NYSE: WPO)は、ワシントン・ポストを含む同社の新聞事業を2億5千万ドルでジェフ・ベゾス(Amazon.com創業者・会長兼CEO兼社長)に売却すると発表した[8]。ポスト・カンパニーの放送・ケーブルテレビ事業、一部の出版事業、医療事業は本取引には含まれない。Amazon.comは本取引には関与しておらず、ワシントン・ポストはベゾスがオーナーとなる非公開企業の下で発行されることになる[9]。2013年10月1日に取り引きが完了し、ワシントン・ポスト(WP Company LLC)はベゾスの個人投資会社であるナッシュ・ホールディングスLLCの傘下になった。新聞事業を売却したワシントン・ポスト・カンパニーは、同年11月29日付でグレアム・ホールディングス・カンパニー(NYSE: GHC)に改名した。
2017年に、ワシントン・ポストのスローガンを「Democracy Dies in Darkness(暗闇の中では民主主義は死んでしまう)」とすることを発表。公式ウェブサイトのみでなく、今後紙面などでも掲げていくことを発表。このスローガンはそれ以前から編集部内で使われていたもの[10]。
1889年にジョン・フィリップ・スーザがこの新聞の発行人に依頼され、同タイトルの行進曲『ワシントン・ポスト』を作曲した。この曲はスーザにとって初の大ヒット曲となり、米国内だけでなく、国際的にも流行した。「ワシントン・ポスト (行進曲)」も参照
記事
1970年代初頭のボブ・ウッドワード及びカール・バーンスタインによるウォーターゲート事件の追及で国際的な名声を獲得した。