WWWA世界シングル王座
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WWWA世界シングル王座
詳細
管理団体
全日本女子プロレス
創立1950年
廃止2006年3月26日

統計
最多保持者ジャンボ宮本(5回)
初代王者ミルドレッド・バーク
最長保持者ミルドレッド・バーク
最年少マッハ文朱(16歳0か月)

WWWA世界シングル王座(スリーダブリュー・エーせかいシングルおうざ)は、全日本女子プロレスが管理、WWWAが認定していた王座。「WWWA」は「World Women's Wrestling Association(世界女子レスリング協会)」の略。
歴史

1937年1月28日ミルドレッド・バークがクララ・モーテンソンを破って世界女子王座を獲得。

1950年、世界女子王座を管理する機関としてロサンゼルスWWWAを発足してバークが会長に就任。また、世界女子王座を引き継ぐ形でWWWA世界シングル王座を創設してバークは自身を初代王者に認定。

ベルト部分の色から「赤いベルト」と呼ばれている。

1954年にバークが初来日を果たした際、防衛戦が行われて来日興行に関わった松永高司がチャンピオンベルトを「世界最高峰」と紹介していた。

バークは1956年の引退までWWWA世界シングル王座を保持していた。

1968年、松永が設立した全日本女子プロレスはバークからWWWA世界王座の管理権を買い取る話を進める。

1970年8月16日、ロサンゼルスで行われた第2代王座決定トーナメントに優勝したマリー・バグノンがバークからチャンピオンベルトを授与されて第2代王者になった。10月15日京愛子が獲得したことで日本に定着して全日本女子の管理下に置かれた。

全日本女子最強の象徴と称されて、その長い歴史の中で数々の名勝負が行われていた。京は22回連続防衛に成功しており、現在でも日本の女子プロレス史上最多連続防衛記録である。

管理権譲渡を受けた全日本女子はNWAに加盟しており、NWAの規約上加盟団体は独自の王座には「世界」と冠することができなかったが、NWA世界女子王座はNWAの直轄ではないことから(NWA世界女子王者であるファビュラス・ムーラの個人管理)、WWWA世界シングル王座を「世界」と冠することができた。

1997年8月20日、全日本女子の経営危機による所属選手の大量離脱の際、棚ボタ式で堀田祐美子が王者になったことで全日本女子OG達から猛烈な反発があったことからも、女子プロレス界において非常に重要な意味を持つ王座であったことがうかがえる。

1970年10月26日、王者の京が初代チャンピオンベルトをバークに返却された。同年、全日本女子によって2代目チャンピオンベルトが製作された。

1985年8月22日、全日本女子によって3代目チャンピオンベルトが制作された。また、王者のジャガー横田が防衛に成功した際、その功績から横田に2代目チャンピオンベルトが贈呈された[1]

2005年4月17日、全日本女子の解散により、WWWA世界王座も封印されたがWWWA世界シングル王座だけは最後の王者である前川久美子の希望で管理権が譲渡された。

2006年3月26日後楽園ホールで開催された「前川久美子引退興行」で、前川を破って王者になった高橋奈苗がチャンピオンベルトを松永に返還して封印された[2]。チャンピオンベルトは松永と親しかった人物に買い取られて保管されている[3][4]

2012年1月8日TOKYO DOME CITY HALLで開催された「ブル中野引退興行」で引退セレモニーが行われて中野からアジャコングにチャンピオンベルトが渡された際、アジャが中野の腰にチャンピオンベルトを巻いたことで一時的に復活を遂げた。6月3日THE GRAND HALLで開催された「ジャガー横田35周年記念大会」で歴代WWWA世界シングル王者による6人タッグマッチが行われて、横田が所有していた2代目チャンピオンベルトが懸けられたが結局は防衛に成功している[5]
歴代王者

歴代選手戴冠回数防衛回数獲得日付獲得場所
(対戦相手・その他)
初代
ミルドレッド・バーク16701937年1月28日カリフォルニア州ロサンゼルス
WWWA会長のミルドレッド・バークが自身を王者に認定
1956年に引退のため返上
第2代マリー・バグノン121970年8月16日カリフォルニア州ロサンゼルス
第3代京愛子1221970年10月15日足立区体育館
第4代ジーン・アントン101972年3月9日小田原市体育館
第5代京愛子231972年3月15日愛知県体育館
第6代サンデー・スター111972年4月26日大阪府立体育館
第7代京愛子301972年5月24日九電体育館
第8代サラ・リー121972年7月1日大田区体育館
第9代星野美代子171972年7月26日春日部市体育館
第10代サンディ・パーカー101973年5月15日銚子市体育館
第11代星野美代子241973年7月10日笠間市体育館
第12代ジャンボ宮本111973年11月11日足立区体育館
第13代バンビ・ボール111974年3月2日後楽園ホール
1974年3月に負傷のため返上
第14代ジャンボ宮本201974年3月6日前橋スポーツセンター
ジェーン・オブライエン
第15代ジャッキー・ウエスト101974年4月1日神戸市立王子スポーツセンター
第16代ジャンボ宮本3101974年4月24日熊本市体育館
第17代マッハ文朱101975年3月19日大田区体育館


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