WWE王座_(世界ヘビー級)
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WWE王座
詳細
現王者
コーディ・ローデス
獲得日2024年4月7日
管理団体WWE
創立1963年4月29日
別名WWWF世界ヘビー級王座
WWWFヘビー級王座
WWFヘビー級王座
WWF世界ヘビー級王座
WWF統一王座
WWE世界ヘビー級王座
WWE世界王座

統計
最多保持者ジョン・シナ:13回
初代王者バディ・ロジャース
最長保持者ブルーノ・サンマルチノ:2803日
最短所持者アンドレ・ザ・ジャイアント:45秒
最年長ミスター・マクマホン:54歳22日
最年少ブロック・レスナー:25歳44日

WWE王座(WWE Championship)は、アメリカ合衆国プロレス団体WWEにおける王座の一つである。王座を巡る抗争は番組のメインストーリーとして扱われている。
歴史ブルーノ・サンマルチノ(1976年)

王座創設はWWEの前身であるWWWF(ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション)設立前の1963年1月25日とされる。初代王者はリオデジャネイロでのトーナメントを勝ち抜いたバディ・ロジャースで、決勝の相手はアントニオ・ロッカとされているが、このトーナメントは実際には行われていない(この前日の24日、トロントでロジャース対ルー・テーズNWA世界ヘビー級王座戦が行われ、ロジャースがテーズに敗れて王座から陥落した。当時、ロジャースの防衛スケジュールはアメリカ北東部偏重であり、NWA内部から反感を買っていた。そのため、NWA王座はテーズに移動させられることとなったが、これを不服としたビンス・マクマホン・シニアら北東部のプロモーター達はNWAを脱退し、ロジャースを初代王者としてWWWFを結成した)[1][2]。当初、ロジャースのタイトルには団体名は冠されてはおらず、単に「世界ヘビー級王座」と呼ばれていたが、4月よりタイトルはWWWF世界ヘビー級王座として定着[3]。同年5月17日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてブルーノ・サンマルチノがロジャースを下して第2代王者となり、以後約8年間に渡り王座を保持した[1]ボブ・バックランド(1978年)

1971年2月よりプエルトリカンペドロ・モラレスが新王者となり、イタリア移民のサンマルチノに続くニューヨークのマイノリティのヒーローとして活躍するが、同年8月、WWWFがNWAに加盟したためタイトルから「世界」の文字が外され、WWWFヘビー級王座に改称された[1][4]。以後、サンマルチノの第2次政権を経て、ショーマン派のスーパースター・ビリー・グラハムやアスリート系のボブ・バックランドが戴冠した。バックランド戴冠時の1979年3月29日、団体名がWWF(ワールド・レスリング・フェデレーション)に改称され[5]、タイトルもWWFヘビー級王座となる[1]。同年12月には日本でアントニオ猪木が王座を獲得したが、日本での王座移動の経緯はアメリカのファンに説明されなかった[5]。そのため、猪木の戴冠についてはWWEが認めている時期と認めていない時期があり、公式的には猪木は歴代王者にカウントされておらず、猪木が死去した際も元王者としては紹介されなかった。ハルク・ホーガン(1985年)

マクマホン・シニアが死去し、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下でWWFの全米侵攻がスタートした1984年からは、ハルク・ホーガンを主軸とした王座争いに移行。再びNWAを脱退したことから、タイトルもWWF世界ヘビー級王座として「世界」の文字が冠されることとなった[1]。その後、ランディ・サベージアルティメット・ウォリアーなども王者となり、WWFのファミリー・エンターテインメント路線を牽引した。ホーガンがWCWに移籍した1993年以降は、ニュー・ジェネレーション路線としてブレット・ハートショーン・マイケルズが王座戦線の主役となった。スティーブ・オースチン(1999年)

1997年、WWFは視聴率争いで一歩リードされていたWCWに対抗するために、これまでのプロレスの常識を覆すソープオペラ調のストーリー、アティテュード路線に切り替える。以降、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンザ・ロックトリプルHらを中心とした王座争いがドラマ仕立てで展開され、WWFの会長であるビンス・マクマホンまでもが王者になるということもあった。

2001年12月9日に開催されたヴェンジェンス2001ではWWF王座とWCW王座を統一したWWF統一王座が新設され、クリス・ジェリコ、ロック、オースチン、カート・アングルの4名によるトーナメントの結果、ジェリコが初代統一王座を戴冠した。今なおジェリコは「一夜でロックとオースチンを倒した唯一の男」と喧伝されている。

2002年8月25日に開催されたサマースラム2002での統一王座戦ロックvsブロック・レスナーでレスナーがロックに勝利し王座を奪取。当時統一王者はRAW、スマックダウン両方の番組に出ることが可能であったが、レスナーはスマックダウン専属となった。また団体の名称が世界自然保護基金(WWF)の抗議により変更となりWWE王座と改称された。以降はスマックダウンが王座を管轄し、RAWには世界ヘビー級王座が新設され、WWE王座と同等の扱いの王座となった。

2005年4月3日に開催されたレッスルマニア21ジョン・シナJBLから王座を奪取し、6月のドラフトで王座を持ったままRAWに移籍。2008年開催のドラフトでは、トリプルHが王座を保持したままスマックダウンに移籍。2009年開催のドラフトでも、トリプルHが王者のままRAWに移籍した。

2013年TLC戦で、ランディ・オートンが、シナとの王座統一戦で制し、名称もWWE世界ヘビー級王座と改称される。これにより、11年間同じ最高位の王座としてあった世界ヘビー級王座は廃止されることになった。

以降、名称はWWE王座→WWE世界王座→WWE王座と辿る[1]

2022年4月3日、WWEユニバーサル王者ロマン・レインズが、WWE王者のブロック・レスナーに勝利し、両王座を統一。のちにベルトが一本化され、統一WWEユニバーサル王座(Undisputed WWE Universal Championship)を構成する王座の一つになった。

2024年4月第3週に、王座名が統一WWE王座(Undisputed WWE Championship)へ変更された。

歴代最多戴冠はシナの13回(2017年1月29日戴冠時)。


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