WTCC
[Wikipedia|▼Menu]

世界ツーリングカー選手権カテゴリツーリングカー
国・地域国際
開始年1987年
終了年2017年
コンストラクター2
タイヤ
サプライヤー横浜ゴム
最終
ドライバーズ
チャンピオン テッド・ビョーク
最終
マニュファクチャラーズ
チャンピオン ボルボ
公式サイト ⇒fiawtcc.com

世界ツーリングカー選手権(せかいツーリングカーせんしゅけん、World Touring Car Championship、WTCC)は、国際自動車連盟(FIA)が開催していた、ツーリングカーによるレースの名称である。2015年WTCCロシアGP
概要

ツーリングカー(市販車改造車)による世界選手権(WTC)は1987年に初開催されており、当時はグループA車両によるセミ耐久レース(500km、スパ・フランコルシャンのみ24時間レース)であった。BMWvsフォードのクラスを超えた戦いは開幕戦の両者の失格に始まり、クレーム合戦やレギュレーションの解釈による不条理な罰則などといった運営や規則のトラブルが頻発し、わずか1年で崩壊した[1]。詳細は「1987年の世界ツーリングカー選手権」を参照

その後2001年から2004年までヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)の名称で開催されていたスプリントレースが、2005年からFIAにより再び世界選手権のタイトルが懸けられた。マカオグランプリの併催レースである「ギア・レース」も選手権の一戦として組み込まれていた。

他のレースに比べて激しいぶつかり合いが許容されていたため「ケンカレース」[2]や、「格闘技レース」[3]と呼ばれ、ブランパンGTシリーズの主催者であるステファン・ラテルも「ぶつかりたいならWTCCへ行け」と公に発言するほどであった[4]。ただし、大規模な空力パーツが装着されるようになったTC1規定以降はぶつかり合いによるリスクが大きくなったため、従来ほどの激しさはなくなっていた。

興行面ではサーキットへの観客動員よりもテレビ中継を重視していて、基本的に欧州でのテレビ放映権を持つユーロスポーツによる放送に合わせてタイムスケジュール等がパッケージ化されているのが特徴。そのため観客動員が少なくても興行としての採算が取りやすい構造になっている[5]。また新興国の開催が多いのも特徴であった。

しかし性能均衡の失敗による1メーカー独走、リーマン・ショックによる経済状況の悪化、ベースとなる市販車のフルモデルチェンジのタイミングに合わせた撤退などの負の要素が多く絡んだ結果、メーカーの関与縮小が相次ぎ、世間のシリーズへの関心が一時的に低下した。

2011?14年にかけてダウンサイジングターボや、コスト増と引き換えに改造範囲を広げた「TC1」規定を導入したことにより、複数のワークスが参入し巻き返したかに思われた。しかし従来のBMWやセアトといった安価で戦闘力のあるプライベーター人気の高い車種が事実上締め出されてしまった上に、改善されない一社独走、各社の方針転換などから短期間で撤退劇が繰り返され、ワークスもプライベーターも従来以上に数を減らしてしまった。

一方で2015年に誕生した、プライベーターのカスタマー向けツーリングカーのTCR規定によるカテゴリが多数のメーカーで賑わいを見せていたため、FIAは2018年から"ワールドカップ"に格下げしてTCRマシンとプライベーターチームのみで争われる世界ツーリングカーカップ(WTCR)に移行させ、WTCCとしては歴史に幕が下りた[6]

なお、市販車ベースのカテゴリで最高峰のマニュファクチャラーが多数撤退→格下の、安価なプライベーター向けカスタマーカー規定によるカテゴリが大隆盛→世界選手権消滅でカスタマーカー規定が最高峰に取って代わるという流れは、FIA GT1世界選手権およびFIA GT選手権の事例と酷似している。
車両規定

当初はスーパー2000、もしくはスーパープロダクション(グループSP、2007年まで)[注釈 1]の公認を取得した、4シーターの量産車によって行われた。改造はかなり厳しく、ホモロゲーション取得後は36ヶ月の間5カ所しかパーツを変更することができず、グループNのようにベース車両の素性が物を言う規定であった[7]後輪駆動車の採用や、Hパターンをシーケンシャルシフトに変更する場合は重量ハンデが課せられた。この他にも性能を均衡させるため、毎年車種ごとにも車幅や重量、空力、エンジンその他各パーツなどに細かい例外措置が設定された。

2007年からは環境意識の高まりに呼応してディーゼルターボエンジンのディーゼル2000規定やフレックス燃料の車両も参戦可能となった[8]ボルボシアン・レーシングを通じてバイオ燃料で2007年から参戦を散発的に行っていたが、WTCCでも2009年からガソリン・ディーゼルともにPANTAの供給するバイオ燃料を配合したE10燃料を使用するようになった。これにより年間で7000Lの化石燃料を削減していた。2011年からのガソリン車は、WRCと共通となるGRE(グローバル・レース・エンジン)の1.6リッターの直噴ダウンサイジングターボが導入された。こうした度重なるエンジン規定の追加・変更により、2012年の前半は2.0Lガソリン・2.0Lディーゼル・1.6Lガソリンの3種類のセアト・レオンが同時に出走するという奇妙な状況が発生した。

2014年からはスーパー2000の特例となる、改造範囲を広げたTC1規定に移行。例外措置を減らす代わりにサスペンションの前後マクファーソンストラット式化が義務付けられ、市販車のサスペンション形式に囚われない開発が可能になった。最低重量は1,150kgから1,100kgへ引き下げられ、アンダーフロアはフラットボトム形状となって空力性能が向上。さらに大規模な空力パーツの装着が可能となり、タイヤサイズは大型化(240/610/17→250/660/18)、最低地上高も低く(80→60mm)されるなど、見た目がレーシングカーらしさを増し、さらにエンジンの吸気リストリクターも従来の33mm(300馬力)から36mm(380馬力)へと緩和されてラップタイムは大幅に向上した[9]。ただ一方でトップカテゴリのレーシングカーとしてはまだ地味な方であり、その割にコストが割高だったという問題点が後から指摘されている[10]

TC1導入と同時に従来の1.6リッターターボのスーパー2000車両は「TC2」、地域規定のスーパー2000車両は「TCN」と呼ばれ、TC1導入後も僅かながらプライベーターが使用した。一方で2.0L自然吸気エンジンのスーパー2000とディーゼル2000は、2012年から一部イベントのみが参加可能となってチャンピオンシップを争う権利を失い、2013年以降は参戦自体が禁止された[11]

重量ハンデキャップ制が採用されており、レース毎に運営に指定されたウェイト(最大80kg)を積まなければならない。当初はドライバーごとに稼いだポイントに対してウェイトが加算される「サクセスバラスト」であったが、2009年から車種ごとに予選・決勝ごとの最速ラップを参照した上で各車に載せるウェイトを算出し、1ラップあたり0.3秒以内のパフォーマンス均衡を目指す「コンペンセーションウェイト」へ変更された[12]

タイヤは当初1年ごとにタイヤメーカーの入札を行いワンメイクのメーカーを選ぶ仕組みとなっていて、2005年はミシュラン、2006年は横浜ゴムが選ばれた。その後FIAのタイヤメーカー選定方針に変化が生じたため、2007年以降シリーズ終了まで10年以上横浜ゴムのワンメイクが継続されていた[13]。いわゆる「コントロールタイヤ」ではあるが、車両の特性上前輪だけを酷使してしまうFFと、四輪に平等に負担をかけることができるFRではどうしても差が出てしまうため、その調整にはかなり苦心したとされる。

インディペンデントチームとそのドライバーには、WTCCトロフィー(ミシュラントロフィー→ヨコハマトロフィー)が設定された。また東アジアでの開催が多いことを鑑みて、2013?2014年のみだが、アジアラウンドに参戦するアジア人ドライバー向けに、アジアトロフィーも設定された。
参戦ブランド

スーパー2000規定は当時世界中のツーリングカーレースで用いられていたため、各国レースで活躍していた車両がワイルドカード参戦することも珍しくなかった。
BMW

WTCでドライバーズチャンピオンを獲得したBMWは、WTCCでも唯一のFR勢としてETCC時代から参戦。2005年末に2,600台限定の4気筒エンジンのホモロゲーションモデル「320si」を発売するほどの力の入れようであった[14]FFに比べてタイヤに優しく加速も有利なFRレイアウトは非常に強力な武器で、事実ETCC時代を含めればドライバーズ/マニュファクチャラーズともに4連覇するほどの実力を示した。またプライベーターからの人気も圧倒的に高く、インディペンデントチーム向けトロフィーでも最もチャンピオンを輩出したマシンとなった。しかしそれゆえに性能均衡を鑑みる上で運営や他チームからの目は厳しく、しばし槍玉に挙げられた。

GTレースへの注力やDTMへの転身のために2010年末でワークス参戦からは撤退したが、新規定の1.6リッターターボエンジンは開発され、プライベーターへの供給およびマニュファクチャラー登録は2012年まで継続された。2011年?2012年にWRCに参戦した傘下ブランドのMiniにも、このターボエンジンが流用されている[15]
セアト

オレカのオペレーションの下にETCC時代から参戦。元々はガソリンエンジンであったが、2007年途中から初の(そして結果的に唯一の)ディーゼル2000規定勢として、BMW勢に唯一伍する勢力として台頭。ディーゼルはエンジンそのものの重さや、ターボとインタークーラーが前輪車軸より前方にあるがゆえの重量配分の悪さというデメリットもあったが最終的には克服[16]。BMW同様その特殊性故に運営や他チームからは厳しい目で見られ、2008年に救済措置であったフラットボトムの禁止や、無制限だった過給圧に制限がかけられるなどの制限を受けたものの、2008・2009年とドライバーズ/マニュファクチャラーズタイトルを連覇した。

本社の経営の傾きにより2009年限りでワークスとしては撤退したが、スペインのサンレッド・エンジニアリングを支援する形で、BMWと同様にプライベーターへの1.6リッターターボエンジン仕様の供給が行われた[17]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:83 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef