この項目では、2013年設立の日本のプロレス団体について説明しています。
2002年から2003年に開催されたプロレス興行については「ファンタジーファイトWRESTLE-1」をご覧ください。
2005年に開催されたプロレス興行については「WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005」をご覧ください。
株式会社GENスポーツエンターテインメント
GEN SPORTS ENTERTAINMENT CO.,LTD.
種類株式会社
略称W-1
本社所在地 日本
〒150-0001
東京都渋谷区神宮前6-34-20
原宿リージェンシー1階[1]
設立2013年7月[1]
業種サービス業
法人番号2010401106500
WRESTLE-1(レッスル-ワン)は、かつて存在した日本のプロレス団体。 創業者の武藤敬司が近未来的なプロレスを目指して開催したファンタジーファイトWRESTLE-1が由来[2]。略称の「W-1」である「W」には「Wrestling」、「Worldwide」、「Win」もかけられている。 旗揚げ当初は、出場する所属選手のみ事前に発表してフリー、他団体参戦選手の場合は「X」と表記して対戦カードを当日発表とするスタイルを採っていた。また、試合試合の合間に幕間劇を入れてアングル上にいる者同士のカードを多めに組ませるなどアメリカンプロレス的な対戦カード編成が組まれている。しかし2014年3月2日の両国国技館大会以降、対戦カード発表は次第に事前へと移行して路線変更。国内他団体との対抗戦も積極的に展開して、これまでにプロレスリングZERO1、大日本プロレス、WNC、KAIENTAI DOJOとの対抗戦が組まれている。このうちZERO1については後述するマッチメーカーの征矢学の舌禍が引き金となり団体間抗争さらにZERO1の至宝たる世界ヘビー級王座の争奪へと至った。一方でWNCについては活動休止後に大半の選手がWRESTLE-1に吸収されたが若手選手でNovusを結成してWRESTLE-1における対抗勢力として活動している。なお、全日本プロレスに対しては分裂の経緯から交流は無いと思われていたが、2016年5月4日のWRESTLE-1後楽園ホール大会で武藤の闘いたい相手として秋山準が指名され、来場。8月11日のWRESTLE-1横浜文化体育館大会で武藤とのタッグ対決が決定して全日本との交流が開始される。 海外のプロレス団体とは、旗揚げ当初にアメリカのTNAと業務提携を結び外国人選手を招聘し、WRESTLE-1からの選手派遣も行われていた。同団体及び、その業務提携先であるメキシコのAAA、ヨーロッパのプロレス団体と4団体で大会の持ち回り開催[3]や統一王座の創設などの構想もあったが[4]、TNAがWRESTLE-1との提携を打ち切りプロレスリング・ノアと業務提携を結んだ関係でほぼ交流が途絶え、AAAについても積極的な交流は行われなくなり、ヨーロッパのプロレス団体とも交流が途絶えているため、興行の持ち回り開催、統一王座の創設などの構想は挫折している。 設立当初は統一王座構想もあり、団体としてのフラッグシップタイトルは保有しない方向であったが船木誠勝の呼びかけで7月21日、WRESTLE-1チャンピオンシップを創設[5][6]。9月22日にはWRESTLE-1タッグチャンピオンシップ、2015年2月25日にはカズ・ハヤシの提案によりWRESTLE-1クルーザーディビジョンチャンピオンシップを創設。2016年1月8日、新世代のさらなる活性化を目的としたWRESTLE-1リザルトチャンピオンシップを創設。
団体名の由来
特徴
歴史
2013年
7月10日、全日本プロレスを退団した武藤敬司が設立。事務所は東京都港区南麻布2丁目10-2シェラン南麻布4階に置いた。
7月30日、TNAとの業務提携を発表[7][8]。
8月9日、出場選手28名のうち所属以外の17名が当日発表のXとされる異例の旗揚げ戦カード(女子プロレス1試合含む)を発表[9][10][11][12][13]。
9月8日、東京ドームシティホールで旗揚げ戦(観衆2,500人)。GAORAでの生中継、ニコニコ生放送並びにUSTREAMでのPPVも行われる。
9月22日、旗揚げシリーズ最終戦として石川県産業展示館3号館大会を開催(観衆1,508人)[14]。
10月1日、旗揚げ戦からフリーとして参戦をしていた真田聖也が正式入団[15]。
10月6日、第2シリーズ開幕戦として後楽園ホール大会を開催(観衆1,750人)。
10月26日、大和ヒロシのプロデュース興行第1弾「千葉からもっとをモットーに! チャリティ大網白里大会」を開催(観衆750人)。
11月9日、大和のプロデュース興行第2弾「?縁から絆に? チャリティー釜石大会」を開催。
11月30日、THE RING
2014年
1月12日、後楽園ホールで征矢学がマッチメーカーに就任[16](観衆1,550人)。
1月26日、初の公開新人オーディションを開催[17]。3人が合格[18]。
1月、WNCを退団した村瀬広樹が練習生として参加[19]。
3月2日、両国国技館大会「開戦?OUTBREAK?」を開催[20](観衆5,800人[21])。
3月4日、事務所をGENスポーツパレス(旧:スポーツ会館)に移転[22]。
4月9日、マッチメーカーの征矢学がKAIに対して「WRESTLE-1でエースになることは無理なのでZERO1あたりでエースになってくれ」と発言したことに対してプロレスリングZERO1が抗議。ZERO1新木場1stRING大会で征矢が謝罪するも社長の大谷晋二郎は面会を拒否して横山佳和に水を掛けられる。
5月17日、「田中稔デビュー20周年記念vol.2“初プロデュース”大会 ?KYOTO LIVE?」をKBSホールで開催。