WOW_WAR_TONIGHT_?時には起こせよムーヴメント
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「WOW WAR TONIGHT
?時には起こせよムーヴメント?」
H Jungle with tシングル
初出アルバム『WOW WAR TONIGHT REMIXED
A面WOW WAR TONIGHT ?時には起こせよムーヴメント "2 Million Mix"
B面WOW WAR TONIGHT ?時には起こせよムーヴメント "H Jungle Mix"
リリース1995年3月15日
規格8cmシングル
ジャンル

J-POP

ジャングル

レゲエ

時間5分59秒
レーベルavex trax
作詞・作曲小室哲哉
プロデュース

小室哲哉

久保こーじ[1]

ゴールドディスク


2ミリオン(日本レコード協会

チャート最高順位

週間1位(7週連続、オリコン

1995年4月度月間1位(オリコン)

1995年度年間2位(オリコン)

オリコン歴代シングルランキング17位[注 1]

H Jungle with t シングル 年表

WOW WAR TONIGHT ?時には起こせよムーヴメント
(1995年)GOING GOING HOME
(1995年)


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「WOW WAR TONIGHT ?時には起こせよムーヴメント?」(ウォウ・ウォー・トゥナイト ときにはおこせよムーヴメント)は、日本音楽ユニットであるH Jungle with tの1枚目のシングル1995年3月15日avex traxよりリリースされた。

お笑いコンビであるダウンタウン浜田雅功と、音楽プロデューサーである小室哲哉のコラボレーションによって制作された作品である。楽曲ではDJ KOOマーク・パンサーも参加している。
解説

フジテレビ系『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』テーマソング。

浜田、小室、DJ KOO(TRF)、マーク・パンサー(globe)の4人で『第46回NHK紅白歌合戦』にも出場した[注 2]。また、『LOVE LOVEあいしてる』の特番(1999年)や『カウントダウンオールヒット』(1999年)でも披露されている。

2000年以降歌うことはなかった[注 3]が、『リンカーン』の番組内で、堀北真希のリクエストによりカラオケで披露された。

2012年4月8日に吉本興業創業100周年イベント「伝説の一日」が開催され、浜田は久しぶりにこの曲を歌った。

2014年12月29日放送の『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP 20周年大感謝祭』(フジテレビ)で、H Jungle with tが一夜限りの再結成(復活)をして、約18年ぶりにテレビ披露された。

2015年アプリゲーム(ゲームオブウォー)のCMソングに使用された[2]

背景

前年の1994年小室プロデュースで「
恋しさと せつなさと 心強さと」が大ヒット中の篠原涼子が『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』にゲスト出演した際、冗談で浜田が小室に「小室さんが曲を出したら売れるんやから、僕にも曲を作ってくださいよ」と言ったことから始まり、直後に小室に浜田サイドのスタッフが正式にオファーを出したことで始まった[3]

当時エイベックスの専務だった松浦勝人は当時の状況を「小室氏はどこのレコード会社でやってもよかったんだろうけど、『エイベックスでやりたい』と言ってきたんです。いつも僕が近くにいるし、現場に決定権があるから、『良いと思ったら上も意思決定が早いから自分も即座に動けてやりやすい』ってことですよ。おそらく大きなレコード会社だったら決裁等で時間がかかったでしょう」[4]「そもそもジャングルは『イギリスから出てきた初のブラックミュージック』というアンダーグラウンドな音楽で、決して売れるジャンルではないんですよ。それを取り入れるという本当に難しい作業でした」[5]と話している。

デモテープを聞いた浜田の第一印象は「小室さんが細い声で歌ってるねん。こんなもん売れるか」と良い感情を抱いてなかった[6]

発売前に浜田は「10万枚もいかないかもしれない、小室さんの作った曲は全部売れているから、これで売れなかったら俺のせいだ」と落ち込み、小室は「1位とれるよ」「100万枚は1ヶ月でいくよ」と何回も励まし続けた[7][8]。小室は最初から「売れる」という自信があった。その唯一の根拠は松本人志のエッセイ「遺書」の200万部突破という数字だったが小室は「ダウンタウンのファンが200万人いての結果ではなくて、2?4千万人の大衆に受け入れられた上での10?5%だと思う。それで200万は十分考えられる数字でしょう」と語っている[9]

録音

曲の合間には「背後霊」をモチーフにした「BUSAIKU HAMADA(ブサイク浜田)」という掛け声と、最後の小室がテープレコーダーを持ってダウンタウンのレギュラー番組の収録現場に赴き、ダウンタウンの思い出話をテーマにした語りは相方である
松本人志[注 4][10]、曲の合間にあるラップはマーク・パンサーがそれぞれ担当している。これはリスナーに「何を言っているのか」と興味を持ってもらい、1枚でも多く買ってもらうための演出である[8]

ボーカルのレコーディングは小室の当時の個人スタジオのソファーがある以外は何の変哲もない広いリビングで行われた。そこでマイクを持たされて歌ったため浜田は「他の人の目も気にしないで、本当に『ただ家でカラオケしているだけか』とも思ってレコーディングできた」と語っている。しかし、本当は天井の近くにカメラがついていて、小室はカメラに向かって別の部屋の本格的な機材のある部屋のスタッフに部分的な指示を出していた[11]

サビのコーラスのレコーディングは小室の「親しみを持たせたいから、ちゃんとしたコーラス隊じゃない方がいい」という意向から、DJ KOOが六本木のクラブで踊っていた客にその場で直接声をかけて小室のスタジオに来てもらい、その時のテンションで歌ってもらった[12]

仕事でハワイに向かわなくてはならない浜田に考慮し、1995年1月1日に仮歌付きのデモテープを完成させた[13]。オファーを引き受けてから完成するまでの間は1週間かからなかった[14]。最初の打ち合わせのときに既にデモテープを用意していた小室に対する礼儀として、浜田は小室の自宅内スタジオでのレコーディングが始まる2週間前に小室から間髪入れずに渡された完成版を聞き込み、全ての歌詞と譜割りを暗記した。それが功を奏し、歌入れは1995年1月中にわずか4テイク・わずか1時間半でOKテイクが出された[15][16][注 5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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