WAR(闘)
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トゥー・ハーツ・ビート・アズ・ワン - Two Hearts Beat as One

レッド・ライト - Red Light                 ツアーで訪れたオランダ・アムステルダムで見た、赤い光に照らされてショーウインドウに佇む売春婦の姿にインスピレーションを受けた曲。バックコーラスにツアーでダブリンを訪れていたKid Creole & the Coconutsを起用。レコーディングは実際赤い光を照らして行われた。

サレンダー - Surrender              歌詞にはサディーという路上で暮らし売春をしながら、肉体と魂を同一化することに固執している女性が登場する。"本物の人生"を手に入れるためには身を委ねなければならないと主張する歌で、当時としては珍しく、即興に頼らずボノが予め歌詞を用意した曲。「Red Light」と同じくThe Coconutsがバックコーラスでクレジットされている

"40" - "40"         スタジオのレンタル期限を一週間延長し、次にスタジオを使用するバンドが待機する中、ボノが聖書を開いて、詩篇40を元に大急ぎで書いた曲。「Sunday Bloody Sunday」の「How long must we sing this song」という歌詞がここでも繰り返されている。1987年4月29日の'The Joshua Treeツアー・シカゴ公演で、ボノは「この曲は僕たちがスタジオを追い出されそうになった時に作った曲。僕たちは10分で曲を書き、10分でレコーディングし、10分でミックスし、10分間演奏し直した。だから40というんだ」と曲を紹介した。[5]なおレコーディングの際、アダムが不在だったので、エッジがベースを弾いた。 80年代のU2のライブのほとんどはこの曲で締めくくられ、その際、エッジとアダムは楽器を交換して、エッジがベースを、アダムがギターを弾き、曲が終わりに近づくと、ボノ、アダム、エッジ、そしてラリーの順でステージから下りるというパフォーマンスが定番になった。1983年8月20日、ドイツのザンクト・ゴアールスハウゼンのLoreley Amphitheatreで行われたRockpalast summer festivalで、U2はライブを行った。これはテレビ中継されて人気を博したので、その人気を商業的成功に結び付けるべく、ドイツのみでシングルカットされた。

シングル

ニュー・イヤーズ・デイ - New Year's Day

トゥー・ハーツ・ビート・アズ・ワン - Two Hearts Beat as One

40 - 40 (ドイツ限定リリース)

ブラディ・サンデー - Sunday Bloody Sunday

ドイツ、オランダ限定リリース(B面はエンドレス・ディープ - Endless Deep)

日本限定リリース(B面はレッド・ライト - Red Light)


Warツアー

Warツアー
U2 の ツアー
場所欧州・北米9ヶ国
関連アルバムWar
行程4
公演数100
U2 ツアー 年表

OctoberツアーWarツアーThe Unforgettable Fireツアー

各地で熱いパフォーマンスを繰り広げ、評判を高めていった。またこのツアーからいよいよボノのパフォーマンスが興に乗ってきて、白旗パフォーマンスや舞台装置をよじ登るパフォーマンスが登場した。そしてこのツアーからウィリー・ウィリアムスが舞台装置を手掛けるようになり、以後、現在に至るまでその関係は続いている。そしてツアー最終日にボノは「これでU2は一旦解散し、同じメンバーでまた続けます」と宣言して、U2の第一幕に幕を下ろした[6]

また初の来日公演も果たした。

11月22日:大阪・フェスティバルホール

11月23日:愛知・瀬戸市文化センター

11月26日:東京・渋谷公会堂

11月27日:東京・渋谷公会堂

11月28日:東京・中野サンプラザ

11月29日:東京・中野サンプラザ

11月30日:東京・中野サンプラザ

評価
イヤーオブ

1983年ホットプレス年間ベストアルバム第3位
[7]

1983年ホットプレス読者が選ぶ年間ベストアイリッシュアルバム第1位[8]

1983年ヴィレッジ・ボイスPazz & Jopアルバムリスト第6位[9]

1983年サウンズ年間ベストアルバム第14位[10]

1983年クリーム(US)年間ベストアルバム第5位[11]

1983年Rockerilla(イタリア)年間ベストアルバム第14位[12]

1983年Rockerilla(イタリア)読者が選ぶ年間ベストアルバム第1位[13]

オールタイム

ヴィレッジ・ボイスが選ぶ80年代ベストアルバム100第80位
[14]

1988年Rockerilla(イタリア)読者が選んだアルバム30第24位[15]

1989年ロックスター(イタリア)が選ぶベストアルバム100第22位[16]

1989年Buscadero(イタリア)が選ぶ80年代ベストアルバム[17]

1990年Mucchio Selvaggio (イタリア)が選ぶ80年代ベストアルバム[18]

1990年ローリングストーンが選ぶ80年代ベストアルバム10第40位[19]

1994年「The Book of Rock Lists」が選ぶポストパンクアルバム150第54位[20]

1994年ギネスが選ぶオールタイムトップアルバム1000第63位[21]

1998年ヴァージンが選ぶオールタイムベストアルバム1000第273位[22]

1998年スタジオ・ブリュッセル(ベルギー)の視聴者が選んだオールタイムベストアルバム第60位[23]

2000年ヴァージンが選ぶオールタイムベストアルバム1000第122位[24]

2000年レコードコレクターが選ぶ21世紀に残したい21ジャンルのアルバム:80年代のアルバム[25]

2002年ローリングストーン読者が選ぶトップ100アルバム第49位[26]

2003年ローリングストーンが選ぶアルバム500第221位[27]

2005年死ぬ前に聴いておくべきアルバム1001[28]

2006年BBCレディオ2が選ぶオールタイムベストアルバム第68位[29]

2012年ローリングストーンが選ぶアルバム500第223位[30]

脚注^500 Greatest Albums of All Time: U2, 'War' 。Rolling Stone
^ a b “Seconds by U2”. 2024年3月26日閲覧。
^ a b スーザン ブラック (著), 中野 園子 (翻訳)『ボノ語録』シンコーミュージック、1998年12月。 
^ Graham, Bill. “OUTSIDE IT'S DONEGAL”. Hotpress. 2024年3月26日閲覧。


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