WAKASHOYO
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若翔洋 俊一

基礎情報
四股名若翔洋 俊一
本名馬場口 洸敬
生年月日 (1966-03-08)
1966年3月8日(58歳)[1]
出身東京都中野区
身長181cm
体重169kg[1]
BMI51.59
所属部屋二子山部屋
得意技左四つ、寄り、小手投げ
成績
現在の番付引退
最高位東張出関脇
生涯戦歴499勝444敗52休(100場所)
幕内戦歴144勝185敗16休(23場所)
優勝十両優勝1回
三段目優勝1回
敢闘賞2回
データ
初土俵1981年5月場所[1]
入幕1991年9月場所[1]
引退1997年11月場所[1]
引退後格闘家へ転向
他の活動総合格闘技キックボクシング、プロレス、タレント
備考
2013年1月3日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

馬場口 洸敬(ばばぐち ひろたか、1966年3月8日 - )は、東京都中野区(出生地は千葉県千葉市)出身で日本男性総合格闘家二子山部屋所属の元大相撲力士。大相撲時代の四股名は若翔洋 俊一(わかしょうよう しゅんいち)、最高位は東張出関脇キックボクシング・総合格闘技でのリングネームは若翔洋、WAKASHOYOを経て本名と同じ馬場口洋一にしたが、現在は再び若翔洋を名乗ってプロレスラーとして活動している。得意手は左四つ、寄り、小手投げ[1]ステテコ隊に所属しておりNo.5を担当している[2]。現在は、東京つけ蕎麦専門店『東京KING』東加古川駅前店の店長も務める。[3]
経歴
大相撲時代

中野区立中野富士見中学校(現・南中野中学校。1学年先輩に野村義男がいる)を卒業後、1981年二子山部屋(師匠は第45代横綱若乃花)へ入門。同年5月場所に馬場口の四股名で初土俵を踏んだ。付き人を務めていた第59代横綱・隆の里による命名で三段目時代の1983年11月場所より四股名を紫電隆(しでんりゅう)と改名し、1986年1月場所に三段目優勝して幕下に定着した。しかし脊椎分離症[1]によって休場が続いたこともあり、四股名も馬場口の名前に戻した。

治療のかいもあり、1991年5月場所で十両に昇進して若翔洋俊一と改名、十両を2場所で通過して同年9月場所に新入幕を果たした。1993年には元大関・貴ノ花の藤島部屋と合併して新・二子山部屋所属となり、後に横綱となる貴乃花若乃花兄弟など稽古相手に恵まれた(若貴との対戦が無くなったことは一部で惜しまれた)。1993年1月場所では10勝5敗。続く1993年3月場所は小結昇進、横綱・を破るなどして10勝5敗の成績を挙げ、翌5月場所には関脇に昇進した[1]

三役・幕内上位にいたが怪我のため、その後は伸び悩み幕内下位と十両を往復するなどして1997年9月場所には幕下まで陥落、同年11月場所限りで引退した。引退後は、年寄音羽山を襲名して二子山部屋部屋付き親方として後進の指導にあたった。2000年3月、元小結・隆三杉藤島親方が音羽山に名跡変更することになり日本相撲協会を退職した。2012年12月より兵庫県加古川市で力士料理『若翔洋』をオープンしたが、2014年6月30日に賃貸契約と移転問題で閉店を余儀なくされた。2014年12月に雑誌のインタビューに応じた際には、霊園開発および墓石販売を行う『山石』の社長の支援もあって同社の告宣伝部門を務めており、山石ピクチャーズの専属タレントも行っていることを明かした。同年10月4日からは『BAN-BANラジオ』で毎週土曜日午後9時『ごっちゃんです!』の主役を務めており、居住状況についても「加古川市内一人暮らししてる。もちろん、住民票もちゃんと移したし、もうすっかり播州の人間だよ」と答えていた。[4][5][6]
年寄名跡問題

2000年3月に横綱・若乃花が引退、横綱の特権として5年間は現役名のまま相撲協会に残ることができるが、若翔洋は相撲界の政治に巻き込まれ退職させられた。直後に若乃花は藤島を襲名、前藤島の隆三杉が音羽山を襲名した。(音羽山は貴ノ浪所有)。
格闘家への転向

WAKASHOYO基本情報
本名馬場口 洸敬
国籍
日本
生年月日 (1966-03-08) 1966年3月8日(58歳)
出身地東京都中野区
所属パンクラスMEGATON
→TEAM PAON
身長182cm
体重169kg
階級ヘビー級
バックボーン相撲
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2004年6月 - パンクラスMEGATONに入団

2005年1月 - TEAM PAON結成、フリーへ転向

2005年3月19日 - K-1でリングネーム若翔洋として格闘家デビュー、7月6日 - HERO'S総合格闘技デビュー

2006年4月 - リングネームをWAKASHOYOに変更[7]

2007年9月8日 - プロレスのIGF「GENOME」でエリック・パーソンと対戦し、STFでギブアップ負け

2008年3月29日 - リングネームを本名の馬場口洋一に変更し、DEEP メガトンGPに出場。1回戦で鶴亀金太郎と対戦し、TKO勝ち。格闘家転身後、初勝利を挙げた。6月23日 - IGF「GENOME5 ?北海道元気サミット?」でエリック・ハマーと対戦し、KO負け。8月15日 - IGF「GENOME6 闘魂BOM-BA-YE」で澤田敦士と対戦し、フォール負け。

2011年12月6日 - フリーの立場として若翔洋のリングネームで武道掣圏第二回大会に出場。第9試合(無差別級)で柴田正人と対戦し、2本選手で勝利。

2014年4月16日、リアルジャパンでデビューを迎えを行い、タカ・クノウと対戦。3分20秒、腕ひしぎ十字固めでギブアップ負け。[8]

2016年6月 ジャパンプロレス2000 J2000選手権チャンピオン

2018年4月29日 KING7 MMA無差別級 初代チャンピオン

戦績
総合格闘技

総合格闘技 戦績
7 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合
1 勝100010
5 敗4100

勝敗対戦相手試合結果大会名開催年月日
×藤沼弘秀1R 0:17 TKO(スタンドパンチ連打)DEEP 47 IMPACT2010年4月17日
×
川口雄介1R 0:16 TKO(パウンド)club DEEP TOKYO ?メガトンGP 2008?
【メガトンGP 2回戦】2008年5月24日
○鶴亀金太郎1R 1:22 TKO(右フック→パウンド)DEEP メガトンGP 2008
【メガトンGP 1回戦】2008年3月29日
×謙吾1R 0:20 TKO(パウンド)CAGE FORCE EX -western bound-2007年2月17日
×浜中和宏1R 1:22 チキンウィングアームロックHERO'S 20062006年5月3日
△西田操一5分2R終了 判定0-0D.O.G2005年12月11日
×ピーター・アーツ1R 1:36 TKO(右ストレート→パウンド)HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント開幕戦2005年7月6日

キックボクシング

キックボクシング 戦績
6 試合(T)KO判定その他引き分け無効試合
0 勝00010
5 敗500

勝敗対戦相手試合結果大会名開催年月日
×昇平1R 0:46 TKO(ローキック)宇都宮蹴拳伝 Vol.2 ?宇都宮四天王凱旋!?2009年3月29日
×上野正美1R 0:40 KO(ローキック)CHIKUSEI FIGHTING DREAM2008年9月15日
×濱田淳史1R 1:55 KO(右ローキック)燃えろドラゴン! その壱2007年12月22日
×嚴士鎔1R 0:54 KO(右ローキック)新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS II」2007年9月16日
△ミスター神風3R終了 判定0-0琉球 Kamikaze Spirits2005年11月13日
×
チェ・ホンマン1R 1:40 TKO(2ノックダウン:右フック)K-1 WORLD GP 2005 in SEOUL
【ASIA GP 1回戦】2005年3月19日


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