VfBシュトゥットガルト
原語表記Verein fur Bewegungsspiele Stuttgart 1893 e.V.
愛称Die Weis-Roten
Die jungen Wilden
クラブカラー 赤
白
創設年1893年
所属リーグブンデスリーガ
所属ディビジョン1部(2023-24)
昨季リーグ順位16位(2022-23)
ホームタウン シュトゥットガルト
ホームスタジアム
MHPアレーナ
収容人数60,441
代表者 アレクサンダー・ウェラ
ホームカラーアウェイカラーサードカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ
フェアアイン・フュル・ベヴェグンクッシュピーレ・シュトゥットガルト(Verein fur Bewegungsspiele Stuttgart 1893 e.V.)は、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルトに本拠地を置くサッカークラブ。 1963年にブンデスリーガが創設されて以来1部に所属してきたが、1974-75シーズンには2部に降格。2シーズンを経て1部に復帰した後は1部に留まり続け、中位?上位を維持しつつ1983-84シーズン、1991-92シーズン、2006-07シーズンにはリーグ優勝も果たしている。しかし2012-13シーズン以降は下位に低迷し、2016-17シーズンには41年ぶりの2部リーグ降格を経験した。2017-18シーズンは1部へ復帰したものの、2019-20シーズンは再び2部に降格するなど近年は1部と2部の間を行き来するようになった。 1991-92シーズンのリーグ優勝以降は低迷するようになり、1998-99シーズン以降は混乱を来すようになる。また、相次ぐ監督交代や選手給料の高騰化による放漫経営により莫大な負債を抱えることとなる。フェリックス・マガトが監督に就任した頃には、満足する補強すらできないほど財政面が悪化していた。マガトは若手を鍛え上げることで、後にアンドレアス・ヒンケルやケヴィン・クラニー、ティモ・ヒルデブラントなどの若手がブレイクを果たし、2002-03シーズンには躍進して2位となった。 2003年6月26日に、エルヴィン・シュタウトがCEO & 会長に就任し、財政面にメスを入れることとなった。当時はチャンピオンズリーグに出場を果たしたものの、満足のいく補強ができなかった。しかし、チャンピオンズリーグでの活躍による収益やマガト監督時代に活躍した主力選手の放出による移籍金のおかげで、かつては火の車の状態であった財政面も改善されている。また、 マガト監督時代に活躍したホルスト・ヘルトが現役引退した後にゼネラルマネージャーに就任して以降は、チーム作りも明確化されており、2006-07シーズンにはリーグ優勝、2007-08シーズンと2009-10シーズンにはチャンピオンズリーグ出場を果たしている。 2004-05シーズンに、躍進の功労者であるマガトがバイエルン・ミュンヘンへ去り、マティアス・ザマーが監督に就任するものの最終的には5位。2005-06シーズンからは数々のクラブ・代表チームで実績を築いてきたジョバンニ・トラパットーニを監督に招聘し、得点源としてデンマーク代表のヨン・ダール・トマソンを獲得するなどして更なる飛躍を目指したが、マガト監督時代の主力選手放出による戦力低下、決定力不足とチーム全体の意志不統一に喘ぎ順位表の中位をさまようシーズンとなる。このシーズン途中にはトラパットーニが辞任し、アルミン・フェーが監督として就任。次の監督就任までの「繋ぎ役」では、との見方が大勢を占める中(実際にフェー監督は1部リーグのチームを率いた経験が僅か1シーズンのみだった)、フェー監督指揮下の2006-07シーズンには躍進を遂げる。 このシーズンから加入したメキシコ人プレーヤー、パベル・パルドは前シーズンまでチームを支え続けた名ボランチ、ズボニミール・ソルドを思わせる存在感を発揮。同じく新加入のメキシコ人右サイドバック、リカルド・オソリオや前シーズンから才能の片鱗を見せ始めていたマリオ・ゴメスやトーマス・ヒッツルスペルガーと言った若手たちで構成される攻撃ユニットが存分に機能、そして守護神のティモ・ヒルデブラントが好セーブを連発しチームを牽引し、バイエルン・ミュンヘンやヴェルダー・ブレーメンなどの強豪を抑え、最後は中盤戦以降首位を守っていたシャルケ04をかわして15シーズンぶり5度目となる優勝を決めた。 翌2007-08シーズンにドイツ王者として挑んだUEFAチャンピオンズリーグでは、グループリーグにてFCバルセロナやリヨン、レンジャーズといったクラブと同組となった。
歴史
ゲアハルト・マイヤー=フォアフェルダー会長時代
エルヴィン・シュタウト会長時代ティモ・ヒルデブラント(2007年)