垂直離着陸機(すいちょくりちゃくりくき、英語: Vertical Take-Off and Landing aircraft, VTOL機[注 1])は、全く滑走しないで垂直方向に離着陸する航空機[1]。飛行船や気球などの軽航空機や回転翼機を含む場合もあるが、固定翼機に限定するのが一般的である[2]。
また、電動のものはeVTOLと呼ばれるが、こちらは一般的に回転翼をもった機体が扱われる。 固定翼機が垂直離着陸を行う場合、離着陸時にはエンジンの動力のみで機体を浮揚させるパワード・リフトを行う必要がある[2]。このため推力重量比を1以上に引き上げられるよう、軽量な機体と強力なエンジンの組み合わせが求められる[2]。また、離着陸時や遷移飛行中は空力的に安定を保つことができないため、動力による機体制御装置を備える[2]。VTOL機の形式は、パワード・リフトの方式と遷移飛行での推進方式の組み合わせ等によって多様であり、飛行に成功した機体だけでも、15 - 20種類に分類される[2]。 なお、垂直離着陸機の多くは、垂直離着陸(VTOL)だけでなく短距離離着陸(STOL)にも対応しており、このような機体は垂直/短距離離着陸機と称される[3]。 1928年にはニコラ・テスラがフリーバー(Flivver)と言う名前の空中輸送装置の特許を得たが、それが垂直離着陸の最初期に当たる。なお、これは現代のティルトローターに近いものであった。第二次世界大戦後期、連合国軍からの爆撃に常にさらされることになったナチス・ドイツは、滑走路なしで運用できる迎撃機の開発を急いだ。ドイツの各航空機企業はハインケル ヴェスペ
特徴と分類
コンバーチプレーン
ティルトローター
ティルトウイング
テイルシッター
推力偏向
リフトエンジン
歴史
これら航空機は、いずれも「機体を立てて」の垂直離着陸方式を取っており、戦後に連合国も、近いシステムでの実用化を目指し、アメリカ合衆国はXFY・XFV-1を製作し、フランスはC450コレオプテールを開発した。しかしXFY以外は垂直離着陸に成功せず、XFVは一応は飛行にも成功したものの、性能と実用性に問題があり(超音速戦闘機の時代において、いまだ亜音速未満であった)実用化には至っていない。これら、機体を立てて垂直離着陸を実現しようという方式は、テイル・シッター方式とよばれる。一番の問題とされたのは垂直着陸時にパイロットがミラーを利用してでしか地面を見る事ができないため、垂直着陸が非常に困難なことであり、この方式での垂直離着陸機の実用化は無理であるという結論に至った。ショート SC.1
1953年、イギリスのロールス・ロイスは、スラスト・メジャリング・リグ(英語版)とよばれる物を開発した。「空飛ぶベッドの骨組み(flying bedstead)」とよばれたこの代物は、まさにベッドの骨組みのような風貌であり、外見的にも航空機とは言いがたい代物であったが、これに使用されたエンジンの思想は、ショート SC.1(英語版)に使われたエンジンに引き継がれている。さらにこのシステムは、画期的な推力偏向式のジェットエンジンであるペガサス・エンジンの開発へつながった。ペガサス・エンジンは推力偏向可能なノズルを4ヶ所持ち、単発でも安定を保って垂直離着陸を可能とした。
イギリスはこのペガサスエンジンを装備するホーカー P.1127の開発を進め、1960年にはホバリング飛行に成功している。さらにその発展型であるホーカー・シドレー P.1154を計画したが、これは試作直前にキャンセルされた。しかし、ホーカー P.1127の開発は続けられ、改良型であるケストレル、そして、それの実用型であり、世界初の実用垂直離着陸機であるハリアーを生み出した。ハリアーは多くの国に採用され、開発国のイギリスを含め、正規空母が導入できない海軍において、軽空母をもって代替する際の搭載機として用いられた。AV-8B
アメリカはイギリスが開発したハリアーにいち早く関心を示し、強襲揚陸艦の搭載機として海兵隊が採用した。さらには発展型のハリアー IIを開発し、元の開発国であるイギリスに逆輸出されるに至っている。1960年代から1970年代にかけて、大型空母の代替として制海艦構想が生まれ、搭載機としてマッハ2級の超音速戦闘機XFV-12を開発したが、結局実用化には至らず、制海艦構想も実現しなかった。