VIC-1001/VIC-20
開発元コモドールジャパン/コモドール
製造元フォスター電機[1]ほか
種別ホームコンピューター
発売日1980年12月(日本版VIC-1001) / 1981年(世界)
販売終了日1985年
OSCommodore BASIC 2.0
CPUMOS 6502 @ 1.108404 MHz (PAL) [2] @ 1.02 MHz (NTSC)
メモリ5 KB - 64 KB
グラフィックVIC
VIC-1001(ビック-1001)はコモドールジャパンが1980年12月[4]に日本で発売した8ビットの家庭用パーソナルコンピュータである。海外での製品名はVIC-20。
コモドールの最初のパーソナルコンピューターであるPET 2001から3年後、1980年6月にVIC-20としてリリースされた。5KバイトRAMとモステクノロジー6502マイクロプロセッサーを搭載し、後のコモドール64などと似た形状である。 PETよりもローエンドのマシンを志向している。ビデオチップ(VIC)は低価格なディスプレイでゲームなどに使用することを考慮して設計されたが、コモドールは当初、そのチップの市場を見つけられていなかった。同時にコモドールは1KビットSRAMチップの過剰在庫を抱えていた。コモドールは自社でチップを製造していたわけではないが、モステクノロジーの製造するチップをほぼ全て買い取っていた。 1980年4月、コモドールは300USドル以下で売れるコンピューターの開発を開始する。これにより在庫として抱えていたチップを、VIC-20として一掃することができた。PETは認可したディーラーでのみ販売されていたが、VIC-20は一般流通ルート特にディスカウント店や玩具店で売られ、ゲーム機と直接対抗することになった。コモドールはスタートレックのウィリアム・シャトナーを宣伝に起用し「何故、ただのビデオゲームを買うの?」と問いかけている。 性能が悪いと酷評されたが、この宣伝は効き、100万台以上を売り上げる世界初のコンピューターとなり、1982年の販売台数1位となった。同年5月から翌年まで日本のフォスター電機が製造・OEM供給を行い[1][5]、ピーク時には一日に9,000台製造され、製造が終了した1985年1月までにトータルで250万台が販売された。その後コモドールはC64をエントリーレベルとし、さらにコモドール128とAmigaを投入することになる。 メモリーが少なくディスプレイが低解像度のため、教育ソフトとゲームに使われたが、生産性のあるソフト、たとえば家計簿プログラム、表計算、通信ソフトなども作られた。コモドール自社出版も含め、いくつか専門雑誌が生まれている。 VICのプログラムのしやすさと安価なモデムが接続できたことによって、パブリック・ドメインやフリーウェアのソフトウェアライブラリが生み出された。このソフトウェアはCompuServe、BBS、ユーザーグループなどによって広まっていく。 市販ソフトウェアはカートリッジで300タイトル、カセットテープで500タイトル以上が販売された。ちなみに同時期のゲーム機であるAtari 2600は900タイトルを持っている。 VIC-1001は、コモドール社が初めて100%日本で設計開発製造したコンピューターであり、1980年12月に69,800円で発売された。当時発売されていた日本製パソコンが専用ディスプレー (当時のNEC PC8001シリーズのディスプレイ (コンピュータ)端子は8ピン角型デジタル端子を装備し、専用モニタを用いる事が主流)が必要だったのに対して、VIC-1001は専用モニタを接続すると高価になる事から廉価とするため、RCA端子(黄色映像)からRF端子のリボンフィーダー(VHF用平行フィーダー)を経由して「1ch」「2ch」をスイッチ選択して家庭用テレビに繋げるRFモジュレーター 同等価格帯の他社パソコンの多くが、安価なゴムやビニール製の消しゴムキーボードを供えていたのに対し、VIC-1001 のキーボードはフルサイズのプラスチック製キートップを持っていたことも評価され、中学・高校などのパソコン教材用として導入されるケースも少なくなかった。当時、タイプライターに馴染みのない日本人がいかにしてキーボードに慣れるかが大きな問題と考えられており、パソコン教室にはキーボード打ち方教室という意味合いも強かった。 一方で翌年の11月にNECが89,800円でPC-6001を発売。2万円の価格差があったが、VIC-1001の内蔵RAMは少なく、増設して使用するのが一般的で、実際の購入時の価格は大差なかった。さらにVIC-1001は標準ではBASIC命令でのハイレゾグラフィック描画、音楽演奏、ファンクションキーへのコマンド登録などがサポートされておらず、これらの機能を追加するには、別売のスーパーエクスパンダーも購入する必要があった。カートリッジスロットによるゲーム供給(あまり活用されなかった)、ジョイスティックポート、サウンド機能、家庭用テレビをモニターにできるといった機能が共通であり、ホビー向けパソコンというPC-6001の位置付けはVIC-1001と競合する。テレビコマーシャルを放送し、NECの流通ルートと新日本電気の家電ルートで幅広くセールスされたPC-6001の前に、VIC-1001は瞬く間に市場を奪われた。 後に49,800円に値下げされたが、当時のパソコンはゲーム機としての需要が大きかった。他の国産ホームコンピューターが、パソコンショップの市販ソフトやパソコン雑誌にゲームのプログラムが掲載されているのに対して、VIC-1001は日本国内市場ではコモドールジャパンのカートリッジ供給の数本のゲームしかなく、値下げによってシェアを獲得することは出来なかった。 さらにコモドールジャパンが1982年の末、VIC-1001と互換性がないコモドール64を99,800円で発売。これはRAMを64KB搭載し、スプライト機能も有する機種である。同時にキーボードを搭載するがゲーム専用機の色彩の濃い(いわゆるゲームパソコン)MAX MACHINEが34,800円で登場した。コモドール64とMAX MACHINEのゲームカートリッジは互換性があり、これによりVIC-1001は商業的に終了した。 尚、当時、コモドールジャパンの下請けとしてコモドールブランドのゲームを開発していたのはHAL研究所である。HAL研究所は設立わずか7ヶ月、メインプログラマーは当時大学生のアルバイトで後に任天堂の社長となる岩田聡であった。HAL研究所の製作したゲームはほとんどが既存ゲームの海賊版[* 1]であった。中でも『パックマン』はアメリカ本国でリリースされた際、ナムコより正当なライセンスを受けていたAtari社の権利を侵害していたために[* 2]訴えられて発売中止となるという騒動を起こしたが、2年後にAtariから出た純正のVIC-20版『パックマン』や、アタリショックの引き金の一つともなったクソゲーとして知られるAtari 2600版『パックマン』等よりも高い完成度を評価され、HAL研究所は後継機のマックスマシーン・コモドール64でも引き続き下請けとしてコモドールブランドのゲームの製作を担当することとなる。
歴史
日本でのVIC-1001
ハードウェア
本体(VIC-1001)マザーボード
CPU:6502A 1MHz
メモリ:5KバイトRAM、ただし1.5Kバイトはシステムが使用。最大32Kバイトまで拡張可能。16KバイトROM。
表示:22×23文字。176×184ピクセル。8色(バックグラウンドは16色)。PCG機能。
内蔵ソフト:BASICと低レベルOS
キーボード:フルストローク、66キー+4キー(機能キー)
日本国内版はカナ入力に対応するためにキーの割り当てや刻印が海外版と異なる。
外部インターフェイス:
カートリッジ:3?32KバイトRAM(およびBASIC拡張ROM)あるいはアプリケーションソフト
カセットテープレコーダー:速度は500bps
シリアルバス:ディスクドライブ、プリンター
ユーザポート:RS-232Cとパラレルの信号が出ているが、一般にモデム接続に使われた。
ジョイスティックポート×1。アタリのゲーム機と互換がある。
追加カートリッジを挿入できる拡張ボックスもある。
周辺機器VIC-1020拡張ボックスとVIC-20本体VIC-1020拡張ボックスの中身。拡張モジュールが見える。
VIC-1010:エクスパンション・モジュール 29,800円[6]。
標準で4個、エッジコネクタを追加することで最大6個のカートリッジを同時に装着可能。
VIC-1011A:RS-232C・アダプター・カートリッジ(ターミナル・タイプ)
VIC-1011B:RS-232C・アダプター・カートリッジ(カレント・ループ・タイプ)