VHS
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この項目では、ビデオ規格について説明しています。その他の用法については「VHS (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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Video Home System
VHS


メディアの種類テープ
記録容量30分
60分
90分
120分
140分
160分
180分
210分
読み込み速度約33.34mm/s(SP)
16.76mm/s(LP)
11.18mm/s(EP)
策定日本ビクター
(現・JVCケンウッド
主な用途映像等
大きさ188×104×25mm
(テープ幅:12.7mm)
上位規格S-VHS
下位規格VHS-C
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VHS(ブイ・エイチ・エス、Video Home System:ビデオ・ホーム・システム)は、日本ビクター(現:JVCケンウッド)が1976年(昭和51年)に開発した家庭用ビデオ規格で、同社の登録商標(日本第1399409号ほか)[注釈 1]である。

当初は記録方式を表現したVertical Helical Scan(バーチカル・ヘリカル・スキャン)の略称だったが、後にVideo Home System(ビデオ・ホーム・システム)の略称として再定義された。
概要

VHSの特徴として、ビデオの規格を原則として変えないことがあり、発売当初録画されたテープは現在流通している最新機種でも再生できる。テープは幅が1/2インチのカセットタイプで、標準録画時間が2時間だった。この形は現在では当たり前となったが、開発当時のVTRにはテープのリールが1つだけのカートリッジタイプがあったり、テープ幅やカセットのサイズもさまざまだったり、と互換性のない規格が氾濫していた。

技術の進歩によりテープの長尺化が進んだ結果、DF480を利用したときの現在は240分が最長となった。また、規格の範囲を大きく逸脱しないかたちでの改良を続けており、高画質化技術のHQ(High Quality)やHi-Fiオーディオ対応、ビデオカメラ規格のVHS-C水平解像度400本以上の高画質機種S-VHSとそのビデオカメラ規格S-VHS-C、衛星放送などのPCMデジタルオーディオを劣化なく記録できるS-VHS DA(DigitalAudio)、アナログハイビジョン対応のW-VHSデジタル放送対応のD-VHSなど幅広く展開している。全ての規格においてVHSテープの再生は基本的には対応している。なお、S-VHSの登場後は従来のVHSを識別のため「ノーマルVHS」または「コンベンショナルVHS」と呼ぶ場合がある。なお、上位規格であるデジタル記録のD-VHSでは地上デジタル放送BSデジタル放送CSデジタル放送などの無劣化記録が可能となっている。

ベータ8ミリLDVHDなどさまざまなメディアとの競争の結果、家庭用ビデオ方式としてデファクトスタンダードとなった。特に、DVD-Videoの普及以前は単に「ビデオ」といえば通常はVHSのことを指すものであり、関連企業も商品説明等でVHSの意でビデオという単語を用いていた(「ビデオ版とDVD版の内容は同一です」という表記や、VHSデッキを指して「ビデオデッキ」と称するなど)。

VHSのハードの普及台数は全世界で約9億台以上、テープに至っては推定300億巻以上といわれている。このことを称え、VHS規格発表から30周年の2006年(平成18年)にはIEEEによってVHSの開発が「電気電子技術分野の発展に貢献した歴史的業績」として『IEEEマイルストーン』に認定された[1]
歴史
開発

1956年(昭和31年)に開発されたアンペックス社の業務用2インチVTRNTSC方式をそのまま録画可能であったが、巨大なシステムであった。ヘリカルスキャン技術は1955年(昭和30年)に東芝が基本特許を出願。1959年(昭和34年)に放送用1ヘッドヘリカルスキャン方式VTRを東芝が発表[2]。回転2ヘッドヘリカルスキャンは同年に日本ビクターが開発している。それ以降、各社は比較的コンパクトなオープンリール式のVTRを発売、全てヘリカルスキャン方式であったが、各社バラバラで統一規格は制定されていなかった。

松下電器日本ビクターソニーの3社は家庭用VTRも見据え、テープがカセットに収められたビデオレコーダー(VCR)の統一規格(Uマチック)に合意。発売したが高価なこともあり、オープンリール式と同様に企業の研修用途や教育機関、旅館・ホテルの館内有料放送などが主な販売先だった。

家庭用VTR機器が本格的に普及する時代を狙い、ソニーが各社に規格統一を呼びかけ先行して開発・発売されたベータマックスが、Uマチックの小型化を目指して開発された経緯から録画時間の延長よりカセットの小型化を優先し、最長60分の録画時間でU規格と同等の操作性を確保すべく開発されたのに対し、ビクターは民生用途としての実用性を重視し、カセットが若干大きくなることを承知で録画時間を最長120分として基本規格を開発。またメカ構造もU規格にとらわれずより量産化に適した構造を目指し、家庭用VTRというコンセプトを明確にして開発・発売された。

先に発表・発売されたのはソニーのベータマックス(1号機・SL-6300)で、1975年(昭和50年)4月16日に発表、5月10日に発売されている。
規格統一の争い

ソニーは、松下電器(現在:パナソニック)にベータ方式への参加を要請したが、松下の態度は不鮮明であった。

「VHSの父」と呼ばれる高野鎭雄松下幸之助に直訴した、という経過が流布されたり、映画のストーリーで登場するが、史実に基づく経過は、松下電器は当初からVHS採用に動いていた。1975年当時、日本ビクター社長には、松野幸吉(元松下電器東京支社長)が就任していた。1975年8月、ビクターがVHSの試作機を完成させた情報が松下電器へもたらされ、同月、松下中央研究所の菅谷部長らがビクター横浜工場を訪問し、VHS試作機を見学した。NHK総合テレビプロジェクトX?挑戦者たち?』の第2話[3]では、1975年9月3日には松下幸之助がビクター横浜工場でVHS試作機を見学し、「ベータマックスは100点満点の製品だ、しかしこのVHSは150点だ」「ええもん造ってくれたな」と発言したと、試作機を覗き込む松下幸之助の写真つきで紹介されている。

1976年4月3日、ビクター横浜工場で、松下電器は松下幸之助相談役と稲井副社長、菅谷部長、ソニーは盛田会長、岩間社長、大賀副社長、木原専務、ビクターは松野社長、徳光副社長、高野事業部長が一同に会し、ベータ、VHS、VXを前にして初めて意見を交換した。VXは初めから問題にならず、VHSとベータとの長短が論じ合われた。佐藤正明著『映像メディアの世紀』によると、その後、松下幸之助相談役は「盛田さんがあまりにも熱心なので、もしかしたらベータマックスの方が良いのかと思って、ソニーの研究所も見せてもらったし、幸田の工場も見せてもらった。しかしわしの考えは変わらなかったな。」とも発言している。

1976年5月7日、ソニーの盛田会長は木原専務を伴って松下電器東京支社を訪れ、盛田だけが相談役室に通されて、松下相談役は「規格統一は何としてもせなあかん。そこでうちのビデオ事業部にベータマックスとVHSの双方かかる機械の開発を頼んでみたんやがダメやった。そこで盛田はんの言う通り、どこかの機械に統一するしか道はない。わしの見るところ、ベータマックスは百点や......わしの見るところVHSは百五十点や。仮に百二十点やったらビクターにベータを押し付けることもできるんやが......これだけ差がある以上どうにもならん。盛田はん、率直に言います。VHSの規格を採用してもらうという訳にはいかんやろうか」と発言した。「ご迷惑をおかけしました」盛田氏は返事をしない代わりに一礼して、相談役室を後にしたとされる。通商産業省が規格分裂に対し難色を示していたこともあり、松下幸之助氏が、ソニーへVHS採用を働きかけたが、ソニーが拒否していた。幸之助がVHSを選んだ決め手になったのは前述に挙げた理由の他に、VHSデッキのほうが軽かったこともあった。「ベータだと販売店の配送を待たなければならないが、VHSはギリギリ持ち帰れる重さで、購入者が自分で自宅に持ち帰りすぐ見られる」といった幸之助らしい基準だった[4][5]
ビデオデッキの発売JVC HR-3300U VIDSTAR HR-3300の米国向け機種。日本の機種とほぼ同一だが、ロゴに"VIDSTAR"の名称を使用し、"Victor"は使われなかった。

1976年(昭和51年)10月31日、日本ビクターがVHS第1号ビデオデッキ(品番:HR-3300)を発売、当時の金額で定価25万6000円(物品税込み)。留守番録画のできる時計内蔵の専用取付式タイマーは別売1万円で、VHSの録画テープも当初は120分が6000円となっていた。また、シャープ三菱電機も当初は日本ビクターの第1号機をOEMで発売していた。翌1977年(昭和52年)1月1日よりビクターが新しいロゴの使用を開始したため、VHSの1号機であるHR-3300の最初期(1976年10月 - 12月)に生産されたロットは戦前から使ってきた(書体は微妙に違う)旧ロゴ(「VICTOR」ロゴ)をつけた唯一のデッキとなった。1977年1月生産・出荷分からは順次、「Victor」ロゴに変更された。

1977年(昭和52年)には松下電器が普及型のVHSビデオデッキ「ナショナルマックロード」を発売し、VHSビデオのヒットの原動力にも繋がった。

長時間録画のユーザーのニーズにも応えるため、1977年(昭和52年)に米国市場向けの2倍モード(LP)が、日本国内向け機器にも1979年(昭和54年)に3倍モード(EP)が開発され、幅広い機種に搭載された。また規格外ではあるが標準モードで2つの番組を同時に録画できる機種も存在しており、VTR普及期にはメーカーから様々な提案がなされた。その後は5倍モードも開発され一部の機種に搭載された。

1972年(昭和47年)に松下電器のビデオ事業部長になった谷井昭雄(元社長)によると、VHS普及の最大の山場は1977年2月のRCAとの提携だった。条件が付いて8月の出荷までに録音時間を2倍の4時間にすることも求められ、村瀬通三(元松下電器副社長)などの技術陣が達成した[6]。松下電器ではOEM供給していたアメリカのRCAより、アメリカンフットボールの録画のためさらに長い録画時間が必要という要望があり、2倍(LP)モードをつけたVHSデッキを開発。OEM供給したが日本ビクターの了承を得ないものだった。VHS標準(SP)モードより画質・音質が低下し、さらにVHS規格の互換性からも外れる事から日本ビクターは松下電器の勝手なふるまいに怒り、2倍(LP)モード録画対応機種を絶対に日本国内で発売しないよう松下電器へ強く要請していた。日本国内のVHS陣営各社も、標準(SP)モードの2時間もあれば十分で、4時間録画の2倍(LP)モード採用には、日本国内にはアメリカンフットボールのような長時間録画需要が当時は無かったため否定的で、VHS規格の互換性からも外れているために採用する動きは無かった[7]

当初、VHSの音声トラックはテープの隅に固定ヘッドでモノラル録音するものだったが、その幅はコンパクトカセットより狭く、テープスピードは3/4だった。3倍モードではテープスピードが標準モードの1/3になり、S/N比の劣化(ヒスノイズの増加)および周波数特性の劣化が顕著となる。なおワウフラッターはビデオではテープ走行は同期の乱れとなるために厳格に管理されていた。上位機種では音声トラックをステレオ化していたこともあり、各メーカーでは少しでも高音質化すべくドルビーノイズリダクションシステム(ドルビーB)、dbxなどの音声信号の圧縮伸張処理技術を採用していたが、S/N比の劣化に対しては若干の改善が見られたものの周波数特性には対応できなかった。その時代のノーマル固定ヘッドでステレオ再生可能なデッキを現在、持っていないと、ノーマル音声でステレオ録音されたVHSテープをステレオで聴くことは当然だが不可能である。さらに問題なのがノーマル音声トラックに2ヶ国語の洋画を録画した場合であり、日本語と外国語が同時に再生される。当然のことながらスピーカーの左右バランスを調整しても解決はしない。
Hi-Fiデッキの普及など

1983年(昭和58年)1983年3月、谷井昭雄と高野鎮雄、RCAのジャック・ソーター副社長の3人の写真が、当時の世界最大の国際週刊誌タイム』の表紙を飾った。

同年4月、ソニーがステレオHi-Fi音声記録方式(ベータHi-Fi)を採用した「SL-HF77」を家庭用1/2インチビデオとしては世界で初めて発売した。ベータHi-Fiは従来ベータ機と輝度信号が4.4MHzから4.8MHzへ高域へのキャリアシフトも伴っており厳密な意味で互換性が失われたが、ベータHi-Fi録画されたテープを従来ベータ機で再生してもほとんど問題にならなかった。

ベータ陣営のHi-Fi化に対抗し、同年5月には松下電器が音声専用ヘッドを搭載し、磁性体への深層帯記録を使用し、ノーマルVHSと互換性のあるHi-Fiステレオオーディオ機能を追加した「NV-800」を発売。この機能はVHS Hi-Fiステレオ標準規格として採用された。松下の独自規格によるVHS Hi-Fi機「NV-800」はHi-Fi音声トラックの信号処理にdbxを使っていた。「NV-800」が採用したHi-Fi音声の磁性体への深層帯記録を用いたHi-Fi方式をVHS規格化するにあたりdbx、ドルビー社のライセンス料回避のため、両社の特許に抵触しない信号処理技術が開発され採用された。そのため「NV-800」で録画されたビデオカセットを、ビクター「HR-D725」以降発売された正式なVHS Hi-Fi規格ビデオデッキで再生すると、厳密には正式なVHS Hi-Fi規格との互換性が無いため、音声が多少歪む可能性がある。

同年秋には、ビクターから初めて正式なVHS Hi-Fi規格に対応した「HR-D725」が発売されている。このD725などの機種は前述のノーマル音声方式での録画・再生も可能でドルビーBにも対応していた。ダイナミックレンジは当初80dB以上、1986年(昭和61年)以降の機種ではCDの音声のダイナミックレンジとほぼ同等の90dB以上に向上した。周波数特性は20 - 20,000 Hz[注釈 2]と、こちらもCDの音声の周波数特性とほぼ同等である。

これにともない、ノンHi-Fiのステレオ機器は1980年代には生産終了した。ノンHi-Fiのステレオ音声に対応した最末期のモデルとしては1988年発売のHi-fiおよびS-VHS対応機『HR-S10000』(ビクター)などがあった。テレビデオはしばらくノンHi-Fi機の生産が続いたが、2000年代初頭には終了した。

1992年平成4年)に高野鎮雄が68歳で死去したとき、VHSビデオデッキの普及台数は3.7億台であった。

2008年(平成20年)、日本ビクターの初代VHSデッキ「HR-3300」が、国立科学博物館の定めた重要科学技術史資料(通称:未来技術遺産)の第0020号に登録された。

2016年(平成28年)、船井電機(日本国内では後に「DX BROADTEC」ブランドとして展開)が7月末日をもってVHSビデオテープレコーダーの生産を終了[8][9]


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