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VERBAL
VERBAL
基本情報
出生名リュウ・ヨンギ
柳 栄起
別名L Universe
生誕 (1975-08-21) 1975年8月21日(48歳)
・東京都
学歴Boston College 1997年卒業
ゴードン・コンウェル神学校
ジャンルホップス
柳 栄起
各種表記
ハングル:???
???
漢字:柳榮起
発音:リュ・ヨンギ
ユ・ヨンギ
ローマ字:Ryu Yeong gi
Yu Yeong gi
本人表記:Yu Young-Kee[1]
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VERBAL(バーバル、本名:柳 榮起〈??? / リュウ・ヨンギ〉[2]、1975年8月21日 - )は、韓国のMC、DJ、音楽プロデューサー、デザイナーである。東京都出身。血液型B型。三世の在日韓国人。m-flo、TERIYAKI BOYZ、PKCZR、HONEST BOYZのメンバー。
m-floでの活動の他、複数のアーティストとコラボレーションもこなす。TERIYAKI BOYZのメンバーとしても活動しており、ファレル・ウィリアムス、カニエ・ウェスト、ウィル・アイ・アムなど、海外のアーティストとも交流が深い。近年はDJとしても活動しているほか、ジュエリーブランド "ANTONIO MURPHY & ASTRO"や"AMBUSH"のデザインも手掛ける。株式会社WHATIFの代表として、3Dプロジェクションマッピングや3Dモーションキャプチャースーツ等の最新技術の提供も始めている。
2012年10月、所属していたアーティマージュからそれぞれ独立。VERBAL及びm-floのマネージメントは有限会社 柳 / AMBUSHR DESIGN。
2016年からLDHの国際事業部プロデューサーも務める[3]。 1975年、東京生まれ。初めてヒップホップを聴いたのは1985年、小学5年の時[4]。親の仕事の都合でボストンに滞在したことがあり、ニューヨークでYMCAのサマーキャンプに参加した[5][6]。その時に、子供たちがスクールバスの中でRUN-D.M.C.の「It's Tricky」を歌っている事にカルチャーショックを受けた[6]。また、その他にも数多くのヒップホップ文化にニューヨークで触れ、これをきっかけにヒップホップを好むようになった。その後、14歳の頃から自分で英語のリリックを書き、ラップするようになった[6]。 東京都世田谷区のセント・メリーズ・インターナショナル・スクール(1993年度クラス)に進学。同スクールに在学していた☆Taku Takahashiが結成していたミクスチャー・ロックバンド "N.M.D."に加入。1992年からN.M.D.はライブ活動を開始し、いくつかのレコード会社からメジャーデビューのオファーを受けるなどした。しかしVERBALはラッパーとして音楽をやっていくのは現実的ではないと考え、音楽活動を断念した[7]。 卒業後は、渡米しボストンカレッジに入学[8]、大学では哲学とマーケティングを専攻した[9]。大学一年の時に大失恋をし[10][11]、自分を見失いかけた時にルームメイトに勧められ参加したキャンプをきっかけにクリスチャン(プロテスタント)となった[5][8]。2007年にはパワー・フォー・リビングのCMにも出演している。卒業後は証券会社(スミス・バーニー
来歴
転機は、1998年大学院の冬休みに帰国していたVERBALがラップを入れ、☆Taku Takahashiがリミックスを手掛けた楽曲 (The Way We Were) を、ARTIMAGEの浅川真次が評価したことである。VERBALは☆Takuとm-floを結成し数曲を製作、2人の共通の友人であったLISAも楽曲製作に参加した。LISAがボーカルを務めた「been so long」を浅川は高く評価し、3人でm-floとしてデビューする話が持ち上がった。VERBALはラッパーとしては生活していけないと考えており、大学院修了後は牧師になると決めていたが、浅川が説得しミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせた[13]。m-floとしてデビュー後も、アルバム2作目までは、学業と音楽活動を両立させるため、日本とアメリカを行き来していた[14]。デビュー後の活動の詳細は、m-flo、TERIYAKI BOYZ等の項目を参照のこと。
m-floとしての活動以外にも、フィーチャリングワーク、様々なユニットへの参加やプロデュース、DJなど多岐に渡って活動している。2008年には、オムニバス・ショート・ムービー『R246 STORY』において、日本のヒップホップをテーマとしたドキュメンタリー『DEAD NOISE』の監督を務めた。また、グラフィック・デザイナーのYOONと共にデザインチーム「AMBUSH DESIGN」を2002年設立。