V8エンジン
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元々頑丈さを特長としたフォード車は、V型8気筒の搭載でパワフルな自動車という評価をも得るようになり、一方数年前まで中級車イメージの強かった直列6気筒には「大衆車用の廉価エンジン」という印象が付くようになった。[注釈 2]

しかしV型8気筒エンジンの量産化には多額のコストを要すること、当時のアメリカ車における実用上必要な性能は直列6気筒でも十分充足できたことから、戦前に大衆車でのV型8気筒導入はフォードのみに留まった。
アメリカにおけるV型8気筒エンジンへの移行

1933年にクライスラーは流線型車「エアフロー」を開発したが、このモデルでは重量配分に新しい考え方が導入されていた。それまでの自動車では、駆動輪である後輪にある程度大きな重量を掛ける考え方が主流であったが、エアフローは全重量の50 %以上を前輪に掛ける「アンダーステア型重量配分」を用いることで、結果として操縦性、直進安定性を改善させることに成功したのである。また、この重量配分を用いるにあたってエンジン搭載位置を前進させ、客室部分をホイールベース内に収めることで、車室スペースの拡大・座席位置の低下も実現され、乗客の居住性が改善された。この手法は1930年代中期以降、競合他社も続々と追随した。

第二次世界大戦後もしばらく、アメリカでは中級車以下は直列6気筒が主流であった。また高級車については複雑すぎるV型12気筒が廃れ、V型8気筒か直列8気筒かに収斂された。そしてこの時期から中級車エンジンのV型8気筒移行が本格化する。

エンジンから従来以上の高出力を得るために必要な策の一つが高回転化である。クランクシャフトが長すぎる直列8気筒で高回転を得るには、細かなバランスまでも考慮した極めて高度な精密加工を要する。これに対し、V型8気筒のクランクシャフトは短く、元々高回転向けで、一定水準以上の加工精度があれば必要十分な性能が得られる(フォードV型8気筒が鋳造クランクシャフトを実現していたことを想起)。

そしてエンジンのフローティング・マウントが進歩したことで、出来の良いV型8気筒なら従来のV型12気筒に比して実用上振動面での遜色は小さくなっていた。またエアフロー式のレイアウトを使う場合、エンジン長は極力コンパクトな方が好ましく、この点でも直列8気筒よりV型8気筒が有利だった。

このように、重く嵩張る直列8気筒やV型12気筒より、コンパクトで高性能を確保しやすいV型8気筒は、総合的に見て有利なシリンダーレイアウトであった。またトランスファーマシンを用いた大規模な量産手法を前提とすれば、大排気量エンジンとしては生産性がよく、むしろ低コストで生産することができたのである。
戦後のV型8気筒化競争

1947年、中堅の中級車メーカーであるスチュードベイカーがV型8気筒を新たに開発して搭載、GMも1948年、中級車のオールズモビル1949年型に新型のV型8気筒を搭載した。高級車ブランドの代表であるキャデラックとリンカーンも1948年?1949年までに新型V型8気筒への転換を完了した。

また、「スーパーエイト」と称する、回転のスムーズな直列8気筒を長年看板エンジンとして用いてきた名門高級車メーカーのパッカードも、1951年までにV型8気筒への転換を余儀なくされた。

1951年には、戦前以来のサイドバルブ直列8気筒搭載のまま出遅れていたクライスラーが、「完全燃焼」のフレーズのもと、高効率な半球形燃焼室(ヘミスフェリカル・ヘッド、通常は単に「ヘミ」と略される)を持つ新しいOHV・V型8気筒「ファイアパワー」を発表した。この斬新なエンジンは5.4リットル、180 hpという大出力で、クライスラーは衰退するパッカードに代わってアメリカの高級車業界に打って出たのだった。1955年以降はバージル・エクスナーの手になる華麗なボディデザインとパワフルなエンジンの組み合わせで、キャデラックやリンカーンと張り合うことになる。

そしてフォードも1952年のリンカーンV8以降、戦前の設計になる第一世代のサイドバルブV型8気筒に代わり、より効率の良いOHV型の戦後型V型8気筒へ世代交代した。この時期までビュイックやポンティアックなどに残っていた直列8気筒も、1950年代中期までにV型8気筒にその地位を譲って消滅した。
V型8気筒のスタンダード化

以後アメリカの自動車界では1970年代初頭まで、各種のV型8気筒エンジンによる過激なパワーウォーズが展開される。ビッグ3はV型8気筒搭載車を主力モデルとし、1950年代後半以降は、大衆車であるシボレープリムスまでもが普通にV型8気筒を搭載するようになった。

大衆車にも強力なV型8気筒を搭載することで商品性が高まり、また年々アメリカ車が大型化していく中で大衆車にまで新たに普及した附属装備(自動変速機パワーステアリングエア・コンディショナーパワーウィンドウ等々)に対応して余りある性能を得るには、性能に余裕のあるV型8気筒エンジンが不可欠でもあった。V型8気筒エンジン自体が量産効果で廉価な存在となっており、またガソリンが非常に廉価だった当時のアメリカでは、大排気量故の劣悪な燃費は度外視できた。その結果、アメリカでは1969年モデルの乗用車のうち、実に88.9 %がV型8気筒エンジンを搭載していたという。[1]

1950年代後半?1960年代にかけ、アメリカのフルサイズセダンでは7リットル超の巨大なV型8気筒を搭載し、大型キャブレター装備で400 HP前後を発生するようなモデルも多数存在した。それらはフールプルーフなオートマチックトランスミッションで、総重量2 t超の大きなボディを200 km/h前後?220 km/h以上まで到達させた。[注釈 3]

一方で、戦前からの旧式6気筒エンジンのみを搭載しており、1950年代前半までにV型8気筒エンジンを自社開発できなかった中堅以下のメーカー(ナッシュ、ハドソン、カイザー=フレーザーなど)は商品力を失って中級車市場から脱落し、ニッチ分野の小型車への転進や自動車業界撤退を余儀なくされた。

アメリカではオイルショック以後の自動車のダウンサイジング傾向もあり、大衆車クラスではV型8気筒より更にコンパクトなV6への移行が一時著しかったが、1990年代前後からガソリン価格の落ち着きと景気の急回復を受けて、かつてのような高出力V型8気筒エンジンの再登場を望むマーケットからの要請が強く、新世代のハイパワーV型8気筒(電子制御インジェクション仕様)の開発が進むこととなった。このためインターミディエイトクラス?フルサイズクラス、大型SUV、自家用トラックなどでは現在再び、タフでパワフルと評判の高いV型8気筒エンジン搭載車に人気がある。
戦前ヨーロッパのV型8気筒

ヨーロッパでは、自動車が平均的にアメリカより小型であったため、ほとんどの需要に単純な直列4気筒ないし6気筒エンジンで対応できたことから、量産車におけるV型8気筒は一般化しなかった。

また特殊な大型高級車については、第二次世界大戦以前は直列8気筒やV型12気筒が主流であった。戦前はボンネット短縮の必要性が低く、長大なエンジンを搭載した高級車の長いボンネットは却ってステータスであった。大排気量の多気筒エンジンが必要なら、生産しやすい直列8気筒を手堅く製造するか、さもなくば航空機エンジン生産技術(少なからぬ高級車メーカーが航空エンジンメーカーを兼業していた)を生かして、V型8気筒よりもスムーズなV型12気筒まで飛躍していたのである。直8に比して生産性の面で有利とは言えないV型8気筒を、敢えて採用するメーカーは多くなかった。

例外的なケースとしてV型8気筒を量産した代表例としては、フォードのヨーロッパ法人各社があげられる。1935年以降、英国フォード、ドイツ・フォード、マットフォード(フランスのマチス社とフォードの合弁会社。のちフォード単独出資のフォード・フランスに取って代わられる)がアメリカ本国に倣ったV型8気筒モデルを生産した。フォード・フランスは戦後も長年にわたりV型8気筒モデルを生産し、1955年にシムカに買収された後も1962年製造終了の「シムカ・アリアーヌ8」までV型8気筒車が存続した。これらは最後までサイドバルブ方式だった。

ドイツでは1930年代にホルヒがV型8気筒エンジンモデルを生産したが、同社主力エンジンの直列8気筒にとって代わるまでには至らなかった。チェコのタトラは空冷V型8気筒エンジンをリアに搭載した流線型セダンを1934年から限定生産するようになり、以後1950年代の一時期を除いて、1998年まで空冷V型8気筒リアエンジン方式に固執して乗用車を生産し続けたことで特異なメーカーであるが、技術的には完全に他から孤立した存在であった。

イギリスでは他にライレーが1930年代中期、既存の4気筒エンジンの設計を利用したV型8気筒エンジンを少量生産した。これは既存の中型シャシに搭載することを考慮したものであったが、相前後してより高性能でシンプルな大排気量4気筒が開発されたこともあり、ライレーの経営悪化を背景にわずかな量が生産されただけで終わった。

フランスのシトロエンはV型8気筒エンジン前輪駆動車22CVの開発を計画し、フォードエンジンを搭載した試作車開発にまで至ったが、量産は実現しなかった。
戦後ヨーロッパのV型8気筒エンジン

1950年代以降、一部の欧州メーカーではV型8気筒の採用例が見られるようになる。以下に著名なV型8気筒車の例を挙げるが、商業的には概して失敗作が多い。
BMW
1954年、メルセデス・ベンツへの対抗策としてV型8気筒エンジンを開発し、同年の「502」をはじめとして高級車やスポーツカーに搭載したが、商業的には失敗に終わった。
フィアット
ダンテ・ジアコーサらによって1952年に開発された高性能スポーツカー「8V」は名前の通り2リットルV型8気筒OHVエンジンを搭載していたが、少量限定生産に終わった。
ペガソ
戦前の名門高級車メーカーのイスパノ・スイザの流れをくむスペインのトラックメーカーE.N.A.S.Aが、1948年に開発した高級スポーツカー。アルファロメオ出身の技術者ウィニフレート・リカルトの設計の複雑きわまりないDOHC・V型8気筒エンジンを搭載し、トランスアクスル方式で後輪を駆動する当時屈指の高性能車だったが、余りに凝り過ぎた設計と高価さから、1950年代中期までの少量生産に終わった。
デイムラー
英国王室御用達の名門高級車メーカーであったが戦後の経営にやや精彩を欠く中、1959年に中型のアルミ製2.5リットルV型8気筒OHVエンジンを開発した。しかしこの進んだエンジンを搭載したオープンスポーツカー「SP250」は奇怪なスタイルが災いしてあまり売れず、のちデイムラーがジャガー傘下となってから、6気筒セダンのジャガーMk2のボディを流用した「デイムラー・2?V8サルーン」にも搭載されたが、大きな成功は収められなかった。
ロールス・ロイスベントレー
戦前はファントムIIIにV型12気筒、戦後もファントムIVに直列8気筒エンジンを搭載していたが、先述の失敗とされた1905年のV型8気筒エンジン以来、長らくV型8気筒ユニットはなかった。1950年代に新しいエンジンの必要性が認識され1952年にV型8気筒エンジンの開発が始まった。1959年にLシリーズ(ロールス・ロイス=ベントレー LシリーズV8エンジン)、厳密にはL410となるエンジン(V型8気筒OHV 6.25リットル)がロールス・ロイス、ベントレーの車両に搭載された。1970年にはストロークアップにより排気量を6.75リットルとし2020年にベントレー・ミュルザンヌが生産終了するまで現役となっていた。


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