V6_(グループ)
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2021年6月、「デビューからのシングルTOP10入り連続年数」(各年度のオリコン年間ランキング集計期間に準拠)が27年で歴代1位を記録[10]

2021年11月1日をもって解散した。同時に森田剛はジャニーズ事務所も退所した(詳細後述)。Coming Centuryは活動を終了し、20th Centuryのみ活動を継続する[3]

V6解散と同時に退所した森田と共にComing Centuryとして活動していた三宅健と岡田准一はV6解散後もジャニーズ事務所に所属していたが、三宅は2023年5月2日に、岡田も同年11月30日に退所したため、Coming Centuryとして活動したメンバー全員が退所することとなった。
略歴
CDデビューまで

1995年8月に発売されたアイドル雑誌『Myojo』10月号で、発足以来プロ化を目指していた日本バレーボールVリーグに乗じて、同年秋にフジテレビ主催で行われる『バレーボールワールドカップ』のイメージキャラクターとして、新しいグループが作られることが初めて発表される。当時のグループ名表記は「Vsix」で、候補段階のメンバーは、坂本昌行・井ノ原快彦・原知宏の写真と、長野博・佐野瑞樹・喜多見英明と思われるシルエット(次号で発表)の、計6名となっている。この6名は当時、「ジャニーズSr.」(初代メインメンバー:坂本・長野、初代サポートメンバー:井ノ原・佐野・原・喜多見)としてNHK-BS2アイドルオンステージ』で活躍していたメンバーだった。

翌9月発売の『Myojo』11月号で、「V6」のデビューが大々的に掲載され、この時点でメンバーは坂本・長野・井ノ原・森田剛・三宅健・岡田准一の6名となり、9月4日六本木のディスコ「ヴェルファーレ」でデビュー記者発表が行われた[2]

11月1日に「MUSIC FOR THE PEOPLE」でCDデビュー。同日にデビューイベント『SING FOR THE PEOPLE』を国立代々木競技場第一体育館前の特設会場で行う[11]。また、イメージキャラクターを務めた『バレーボールワールドカップ』の大会中継や、V6主演のタイアップドラマ『Vの炎』に出演した。翌年1996年からは『春の高校バレー』のイメージキャラクターを務めた。
エピソード

三宅健はジャニー喜多川より直接「V6やらない?」と加入を勧められた。その際、三宅が「(森田)剛は入らないの?」と聞いたところジャニーより「入らない」と言われたため、「(森田が加入しなければ)じゃあやりたくない」と答えた。ジャニーは当初三宅中心のグループを構想しており、森田はそのメンバーの構想外であった。三宅の返答にジャニーは、「どうすんの!お前、剛入ったら、1番になれないじゃない!」と返したそうだが、三宅は「グループが売れるためには森田が必要だ」と考えていたため、森田加入が条件である意志が変わることなく、「それでもいいから森田くんも入れてくれよ」と意志を伝え最終的に森田剛も加入となった[12]

V6のVの意味はジャニー喜多川が「せっかく6人居るんだから色んな意味付けちゃいなよ」と提案。先述の意味以外にも、リーダー坂本昌行の実家が八百屋なので『Vegetable(野菜)』、長野博は自転車屋なので『Bicycle(自転車)』でBなのだが、ジャニーが「これもVだよ!」てほぼこじ付け気味に納め、井ノ原快彦が「俺は何?」と聞くとジャニーは『お前は…Veteran(ベテラン)だよ』と答えた[13]
1990年代

レコード会社の籍をエイベックスに置いた事から、当初のシングルはデイブ・ロジャースなどの作曲によるユーロビートの楽曲を歌っていた[注 1]他、エイベックス初期から活動していた永岡昌憲星野靖彦や、DJ KOOTRF)・motsum.o.v.e)らエイベックス所属アーティストから楽曲提供を受けていた。

1996年12月31日、前年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の復興チャリティイベント『V6 COUNT DOWN '97』を神戸ワールド記念ホールにて開催し、収益金を神戸市教育委員会に寄付[14]

1997年10月16日、レギュラー番組『学校へ行こう!』放送開始。後続番組の『学校へ行こう!MAX』が終了する2008年9月まで11年間にわたり放送される[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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