V1飛行爆弾
[Wikipedia|▼Menu]
よって、事後評価としては、ロンドンへの都市爆撃ではなく、戦略地域への攻撃に振り向けていれば、より大きな効果があった[2]だろうから、ノルマンディー上陸作戦でも艦船が集中する港湾地区を攻撃目標に選んでいれば、上陸戦への脅威になり得たのではないか、との意見[3]もある。

V-1は、プロペラ機で迎撃可能な高度を、追撃可能な600km/h程度で飛翔してくるため、イギリス軍による迎撃は可能だった。ロンドン市民は平穏な生活が妨げられ、市民生活には大きな脅威となったが、ヒトラーのもくろんだ戦意の喪失にまでは至らせなかった。

なお、ドイツの報復兵器のうち、V-2は陸軍が所管・推進したのに対して、V-1は空軍が所管した。これは、V-2 がロケットで「巨大で高性能な砲弾」とみなされたのに対して、V-1は飛行爆弾で「無人の飛行機」と考えられたからである。

構造が複雑なV-2ロケットと比較すると、爆弾搭載量の割に構造が簡素でコストも安く、簡単に製造できるので大量生産され、実戦に投入された。V-1はV-2のおよそ1/10の費用で開発、生産され、V-2とは異なり入手の比較的容易な燃料のみが必要で、徐々に蒸発する極低温の液体酸素のような酸化剤は不要であった。それでいて弾頭の重量は850kgあり、V-2と比較して破壊力は遜色なかった。終戦までに24200機のV-1が発射されたのに対し、発射されたV-2は3500機だった。これを平均すると、V-1は110機/日で、V-2は16機/日の発射であった[4]。なお、実質的に与えた損害は、V-2よりもV-1の方が多かった事が戦後の調査で判明している。これは、V-1の弾頭はV-2の弾頭のように大気圏再突入に伴う加熱がないため飛行中に暴発しづらく、またV-2の弾頭は垂直に近い角度で高速で建物や地面に陥入してから爆発するので爆風が緩和されたが、V-1の弾頭は比較的浅い角度で低速で突入し建物の表面付近で爆発するので爆風の及ぼす範囲が広かった[4]。さらにV-2は前触れなく突然落下するのに対し、V-1の発する特有の音は上述のとおり一般市民に恐怖をもたらす心理的な効果があった[4]。このように、V-1はV-2よりも、様々な点で費用対効果に優れた兵器だった。
エピソード

1944年6月17日、ヒトラーは連合軍のノルマンディー上陸後の戦況について協議するため北フランスのスワンソン近郊でロンメル元帥らと会談した。会談が終わり将軍達が帰った頃、イギリスに向けて発射されたV-1の1機がイギリス沿岸でUターンしてフランス上空に飛来し、ヒトラーのいた総統専用地下壕のすぐ近くに落下して爆発した[5]
V1(Fi-103)の派生型有人型Fi-103

Fi-103R ライヒェンベルク(Reichenberg)

1944年3月から、連合国軍の大陸反攻上陸作戦に備え対抗するために開発された、対艦攻撃用の有人型Fi-103である。Fi-103RのRはReichenberg(ライヒェンベルク)の頭文字で、コードネーム。設計はDFS(ドイツ滑空機研究所)でわずか2週間で行われ、Fi-103に操縦席が付けられた。生産ラインはダンネンベルクに設けられた。テストパイロットにハンナ・ライチュが参加していたことは有名なエピソードである。

建前では、He111などの発射母機から空中発進した後、人間が誘導して着弾寸前に脱出することとしていた。しかし、操縦席後方にパルス・ジェット・エンジンがあることや、狭いコクピット等を勘案すると、実際には脱出は極めて困難であったと考えられている。こうした点は、日本軍桜花と非常に酷似しており、いわゆる特攻兵器の一つに挙げることができるだろう。

しかし、結果として実戦で使用されることはなかった。計画としては、第200爆撃航空団(KG 200)第5飛行中隊、通称レオニダス飛行中隊(1944年4月創設)によって運用される予定だったものの、これを人命と資源の浪費と考える第200爆撃航空団司令ヴェルナー・バウムバッハ大佐などのサボタージュにより実戦投入されずに終わった。また、既に6月に連合軍がノルマンディーに上陸してしまったという戦況や、パイロットの養成・訓練にも大量のガソリンを消費するといったコスト面での懸念、さらにミステルが実用化されたことなどから、もはやライヒェンベルク計画を続行するメリットはなく、中止された。

Re(Reichenberg)-IからIVまでのバリエーションがある。1944年10月までに、約175機が完成。

Re-I: 単座訓練型。無動力。着陸スキッドを装備している。

Re-II: 機首に教官席を設けた複座訓練型。無動力。着陸スキッドを装備している。

Re-III: 単座訓練型。パルスジェットエンジン搭載。着陸スキッドを装備している。

Re-IV: 機首に炸薬を積んだ本命の実戦型。
V-1とJB-2

連合軍は不発のV-1を入手、アメリカによって生産方式と制御システムを変更されてコピーされた。
このアメリカ版V-1は
JB-2 ルーンと名付けられた。パルス・ジェット・エンジン(PJ31F1)をフォード・モータースで、機体はリパブリック社とウィリス・オーバーランド社、コントロール・システムはラジオ社、ジャック・アンド・ハインツ社で製作された。
1944年10月にフロリダ州エグリンで発射テストが成功、1945年1月には実戦配備が可能となった。
日本への攻撃用に1,000発が完成(PJ31F1エンジンは2,400基が完成)していたが、終戦により実戦で使われることはなかった。現在アメリカの博物館に展示してあるV-1とされるものは、実は多くがJB-2である。
日本への影響

V-1の情報は、同盟国の日本にも伝えられた。作家である一色次郎1944年(昭和19年)6月19日の日記には、職場が「ドイツの無人飛行機」の噂で活気づいているとある[6]

V-1のエンジンであるアルグス As 014の製造権は、日本にももたらされた。1945年7月には、Fi-103Rに似たパルスジェット推進の対艦用特殊攻撃機である梅花の開発が始められたが、終戦により実機の製造には至っていない。
V-1(Fi 103)性能諸元イギリス帝国戦争博物館に展示されたV-1の実物

全長: 8.32 m

全幅: 5.37 m

全高: 1.42 m

胴体最大直径: 0.84 m

発射重量: 2,150 kg

弾頭重量: アマトール 850 kg

動力: アルグス As 014 パルスジェットエンジン×1基 (推力300 kg)※750hpに相当

最大速度: 約600 km/h

最大上昇高度: 3,000 m

航続距離: 約250 km



登場作品
『逆撃シリーズ・ドイツ編』
大戦終盤、ドイツ本土に迫りくる連合軍前線部隊へ核弾頭装備のV1多数を発射する計画が発動するが、ハインリヒ・ヒムラーの妨害により頓挫している。
BF5
ドイツ軍の分隊長支援要請で発射可能。
ブレイジングエンジェル2 シークレット・ミッション・オブ・WWII
ミッション12「ポイント防御」にて、サンフランシスコ攻撃のためにUボートから多数発射される。
現存する機体リスト

型名   機体写真  国名  保存施設公開状況  状態  備考
Fi103 V-1
2014年5月撮影アメリカフライング・ヘリテージ・コレクション[1]公開静態展示 ドイツにて終戦後半世紀近くを経て、地下工場の入り口が新たに発見された際にその内部から回収され、2001年に左記施設が取得した機体。 ⇒[2]
Fi103 R2014年5月撮影アメリカフライング・ヘリテージ・コレクション公開静態展示 同上。 ⇒[3]
Fi103 V-12015年4月撮影アメリカミュージアム・オブ・フライト ⇒[4]公開静態展示 ドイツのノルトハウゼン市(Nordhausen)にあった Mittelwerk 工場から回収された部品をもとに復元された機体。 ⇒[5]
Fi103 V-12015年7月撮影アメリカ国立アメリカ空軍博物館公開静態展示 
Fi103 V-12015年2月撮影イギリスイギリス空軍博物館コスフォード館[6]公開静態展示  ⇒[7]

関連項目

報復兵器

V2ロケット

V3 15センチ高圧ポンプ砲

ラインボーテ

He111

一式陸攻桜花

梅花

脚注^ Cockchafer guide: how to identify and where to see 著:BBC Wildlife Magazine(Stuart Blackman, Richard Jones) 掲載サイト:discoverwildlife.com 参照日:2021年10月4日
^ カーユス・ベッカー 著、松谷健二 訳『攻撃高度4000―ドイツ空軍戦闘記録』フジ出版、1974年。 
^ パウル・カレル 著、松谷健二 訳『彼らは来た―ノルマンディー上陸作戦』フジ出版。 
^ a b c Steven J. Zaloga (2003-08-20). V-2 Ballistic Missile 1942-52. Osprey Publishing. p. 37-38. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9781841765419 


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:54 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef