V型8気筒
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V型8気筒水冷ピストン航空エンジン(カーチスOXX(英語版))吸気と排気が90度反対になっているV8の標準的な点火構成航空機用のアントワネット_VII(英語版)エンジン(1909年)

V型8気筒(ブイがたはちきとう)は、レシプロエンジン等のシリンダー配列形式の一つで、直列4シリンダー2組がV字様に配置されている形式を指す。当記事では専らピストン式内燃機関のそれについて述べる[注釈 1]。V8(ブイはち)と略されることが多い。

多気筒レシプロエンジンとして広く用いられるエンジン形式の一つであり、自動車用としては特に大排気量車の多かったアメリカ合衆国で発達してきた。ガソリンエンジンディーゼルエンジン双方あるも、現代では大型乗用車用のエンジン形式として普及している。
概説
V型8気筒エンジンのクランクシャフト

クランクシャフトの形式によりV型8気筒エンジンは2種類に分けられる。
クロスプレーン
通常の乗用車に用いられる。クランクピンが90度で交差しているためにクランクシャフト末端から見ると十字に見える。クロスプレーンはバンク角(「V」の間の角度)90度では振動バランスは良いが、非常に重いカウンターウェイトが必要になる。そのために高回転化、レスポンスの点では不利となる。クロスプレーンのV型8気筒は全体でみると燃焼間隔は等間隔であるが、片側のバンクで見ると等間隔とならないため、排気干渉を防ぐには2つのバンク間の排気管を繋げる必要が生じる。このことはレーシングカーにとっては問題となる。
フラットプレーン
180度のクランクピンを持つ。フラットプレーンでは二次振動はバランスしないためにバランサーシャフトなしでは振動をともなう。一方で大きなカウンターウェイトを必要としないため重量が軽く、クランクシャフトの慣性も小さいため、よりすみやかな加速と高回転が可能となる。バンク角が何度であっても振動バランスが崩れないため、90度以外のバンク角では必然的にフラットプレーンが採用される。

クロスプレーンの製造は容易ではなく、極初期のV型8気筒はフラットプレーンのみであった。1915年、クロスプレーンは全米自動車工業会で提案されたが、生産に至るまでは8年の歳月を要した。共に高級車メーカーであるキャデラックとピアレス(Peerless )の両社はクロスプレーンのV型8気筒に関する特許をほぼ同時に出願し、両社はその特許を共有することに同意した。1923年にキャデラックは「Compensated Crankshaft」V型8気筒エンジンを導入し、1924年11月にピアレスから「Equipoised Eight」が現れた。
V型8気筒エンジンのバンク角

最も一般的なものは90度である。左右のバンクでクランクピンを共通化した上で、燃焼間隔も等間隔に出来るためにほとんどのV型8気筒エンジンで用いられる。一方で90度よりも狭いバンク角も用いられることがある。狭いバンク角はエンジンのコンパクト化に寄与するためにレーシングカーや横置きエンジン車に用いられることがある。レーシングエンジンが出自のTVR・AJP8や、ヤマハ製でフォードグループで使われるエンジンなどに見られる。
乗用車用V型8気筒エンジンの歴史ロールス・ロイス=ベントレー LシリーズV8エンジン
V型8気筒の黎明期

19世紀末期に始まる自動車用ガソリンエンジン発達の初期過程では、高速化と大排気量化を両立させる目的から、当初の単気筒から2気筒4気筒と気筒数が増加し、1900年代初頭には直列6気筒までが出現した。

しかしこの頃から長すぎるクランクシャフトが、生産時の加工精度と搭載スペースの確保、高速回転時の振動などに制約を及ぼすことは認識されていた。1900年代の初期6気筒エンジンには、クランクシャフト剛性の低さや加工精度の悪さによって、所期の性能を得られないものも多かった。従ってこれ以上の多気筒化はしばらく停滞した。

クランクシャフトを短縮できるV型配置として8気筒エンジンを実現する発想は、フランスのエンジンメーカーアントワネットの技術者レオン・ルヴァヴァッスールが1902年に航空用高出力エンジンをつくるためのレイアウトとして考案し、1904年に発売したのが最初であるが、これは当初モーターボートの動力に利用され、1906年以降航空機に用いられるようになった。アントワネットは1906年に7.2L32PSのV8エンジン自動車を開発・発表しているが、これは本格量産には至らなかった。

ロールス・ロイスは1905年の試作車レガリミットでV8を試みている。レガリミットはロンドン市内のタクシー用に開発されたもので、変速頻度を極力少なく済ませるため低回転で高トルクを発揮する特性を持たせ、なおかつコンパクトに作られたV型8気筒エンジンを車体床下に押し込んだアンダーフロアレイアウトを採用した。しかしこの奇異な設計の試作車は、市場調査の結果需要が見込めないと判断され、生産に移されなかった。

市販乗用車でV型8気筒を採用した最初は、フランスのド・ディオン・ブートンで、1909年のことであった。ところが、そのエンジンは加工精度や吸排気系統の設計に難のある不出来なエンジンで、6リットルの排気量がありながら、当時としてもさして高出力とは言えない50 hpを発生するに過ぎなかった。V型8気筒は、直列4気筒2セットで1本のクランクを共用するレイアウトであり、両バンク相互間のバランスやフリクション抑制の見地からも、ブロックの加工精度では直列6気筒エンジンをも上回る水準を要求されるのである。
キャデラックV型8気筒

実用水準に達したV型8気筒エンジンの最初は、アメリカのキャデラック・1914年型である。当時の高級車で主流であった直列6気筒に対抗する見地から、エンジンの多気筒化による低振動・高回転化と、エンジン自体の小型化を両立させる目的で導入されたものであった。

1910年頃のキャデラックは高級車ながら4気筒エンジン車で、競合他社の6気筒化に乗り遅れていた。このためキャデラック社内では6気筒エンジン開発案が取りざたされていたが、創業者ヘンリー・リーランドの息子で経営幹部であったウィルフレッド・リーランドが前述のようなV型8気筒のメリットを主張し、ヘンリー・リーランドがこれを受容れたことで開発されたものである。

ド・ディオンのV型8気筒エンジン、そしてホール・スコットの航空用V型8気筒エンジンが開発の参考にされた。その結果開発されたキャデラックのサイドバルブV型8気筒エンジンは、高い加工精度と吸排気系統の適切な設計によって、5.2リットルで70 hpという当時としては優秀な性能を発揮、回転もスムーズな高級車向けエンジンとなった。V型8気筒エンジンはキャデラックの世評を高め、大きな商業的成功を収めることになる。キャデラックがもともと精密工作技術に優れたメーカーであったことが、このV型8気筒エンジンの成功の背景になっている。

これに対抗する形でパッカードは1915年に「ツインシックス」と称するV型12気筒エンジンを開発、更に他社からもV型8気筒、V型12気筒が輩出し、ついにはV型16気筒まで出現するなど、アメリカの高級車業界においては1920年代以降、多気筒V型エンジンが一時隆盛を極めた。しかし当時の自動車ではボンネット短縮の必要性が必ずしも強くなく、クランクシャフトは長くなるがより製造しやすい直列8気筒も、1920年代後半以降の高級車で広く使われた。
フォード・フラットヘッドV型8気筒

V型8気筒がアメリカで大衆車にまで普及するきっかけとなったのは、1932年にフォードがV型8気筒を導入したことであった。これはトヨタが1980年代中盤より量販型大衆車にDOHCエンジンを大挙搭載したことと並んで、自動車史に残る壮挙の一つと言える。

初期のアメリカ製大衆車が直列4気筒を主流とする中で、1920年代後半以降、シボレーやエセックスが中級車並みの直列6気筒を導入してユーザーにアピールすると、フォード社創業者のヘンリー・フォードはこれに対抗するため、高級車向けのエンジンレイアウトであるV型8気筒をフォードに導入することを決意する。これにはキャデラックやリンカーンの強力かつ洗練されたV型8気筒エンジンに対する、ヘンリー・フォードの強い憧憬が背景にあったと指摘されている。

フォードの第一世代V型8気筒エンジンであるこのブロック・クランクケース一体型の3.6リットルサイドバルブエンジンは、後続のV型8気筒エンジンにも強い影響を与えた傑作で、一般に「アーリー・フォードV8」または「フラットヘッドV8」と呼ばれている。

その優れていた点は、大衆車用に量産されることを十分に念頭に置いて企画・設計された点であった。元々フォード社のエンジンブロック鋳造技術の水準は高かったが、さらに複雑なV型8気筒エンジン用エンジンブロックを一括加工できる効率的なトランスファーマシンの導入を図るなど、生産過程に根本的な改良が施された。この結果、フォードV型8気筒のエンジンブロック加工コストは従来のフォード直列4気筒より低くなったという。さらにのちにはクランクシャフトにダクタイル鋳鉄を用いることで、削り出しや鍛造でなく、鋳造によって低コストなV型8気筒用クランクシャフト生産を実現したことも、技術面の見逃せないブレイクスルーであった。メインベアリング数は3個に減らして簡略化、バンク間のバルブから両側面に排気ガスを導くため、排気マニホールドはブロック本体に鋳込まれた。

6気筒よりも軽快に吹け上がり、パワーのある点は歓迎されたが、初期のフォードV型8気筒は熱問題を抱えてオーバーヒートしやすいなどのトラブルも少なくなく、冷却対策や加工精度向上で性能が安定した時期は1930年代後半以降である。1932年の初期形の65 HPが、1937年には同じ排気量で85 HPまで出力増大した点が、性能向上ぶりを如実に現している。

フォードは1935年にはアメリカ本国モデルへの直列4気筒搭載を中止、大小2種のV型8気筒による「完全V8化」を達成し、1938年にはやはりV型8気筒を搭載する中級車マーキュリーを新規開発、手薄だった中級車分野の強化を図った。元々頑丈さを特長としたフォード車は、V型8気筒の搭載でパワフルな自動車という評価をも得るようになり、一方数年前まで中級車イメージの強かった直列6気筒には「大衆車用の廉価エンジン」という印象が付くようになった。[注釈 2]

しかしV型8気筒エンジンの量産化には多額のコストを要すること、当時のアメリカ車における実用上必要な性能は直列6気筒でも十分充足できたことから、戦前に大衆車でのV型8気筒導入はフォードのみに留まった。
アメリカにおけるV型8気筒エンジンへの移行

1933年にクライスラーは流線型車「エアフロー」を開発したが、このモデルでは重量配分に新しい考え方が導入されていた。それまでの自動車では、駆動輪である後輪にある程度大きな重量を掛ける考え方が主流であったが、エアフローは全重量の50 %以上を前輪に掛ける「アンダーステア型重量配分」を用いることで、結果として操縦性、直進安定性を改善させることに成功したのである。また、この重量配分を用いるにあたってエンジン搭載位置を前進させ、客室部分をホイールベース内に収めることで、車室スペースの拡大・座席位置の低下も実現され、乗客の居住性が改善された。この手法は1930年代中期以降、競合他社も続々と追随した。

第二次世界大戦後もしばらく、アメリカでは中級車以下は直列6気筒が主流であった。また高級車については複雑すぎるV型12気筒が廃れ、V型8気筒か直列8気筒かに収斂された。そしてこの時期から中級車エンジンのV型8気筒移行が本格化する。

エンジンから従来以上の高出力を得るために必要な策の一つが高回転化である。クランクシャフトが長すぎる直列8気筒で高回転を得るには、細かなバランスまでも考慮した極めて高度な精密加工を要する。これに対し、V型8気筒のクランクシャフトは短く、元々高回転向けで、一定水準以上の加工精度があれば必要十分な性能が得られる(フォードV型8気筒が鋳造クランクシャフトを実現していたことを想起)。

そしてエンジンのフローティング・マウントが進歩したことで、出来の良いV型8気筒なら従来のV型12気筒に比して実用上振動面での遜色は小さくなっていた。またエアフロー式のレイアウトを使う場合、エンジン長は極力コンパクトな方が好ましく、この点でも直列8気筒よりV型8気筒が有利だった。

このように、重く嵩張る直列8気筒やV型12気筒より、コンパクトで高性能を確保しやすいV型8気筒は、総合的に見て有利なシリンダーレイアウトであった。またトランスファーマシンを用いた大規模な量産手法を前提とすれば、大排気量エンジンとしては生産性がよく、むしろ低コストで生産することができたのである。
戦後のV型8気筒化競争

1947年、中堅の中級車メーカーであるスチュードベイカーがV型8気筒を新たに開発して搭載、GMも1948年、中級車のオールズモビル1949年型に新型のV型8気筒を搭載した。高級車ブランドの代表であるキャデラックとリンカーンも1948年?1949年までに新型V型8気筒への転換を完了した。

また、「スーパーエイト」と称する、回転のスムーズな直列8気筒を長年看板エンジンとして用いてきた名門高級車メーカーのパッカードも、1951年までにV型8気筒への転換を余儀なくされた。

1951年には、戦前以来のサイドバルブ直列8気筒搭載のまま出遅れていたクライスラーが、「完全燃焼」のフレーズのもと、高効率な半球形燃焼室(ヘミスフェリカル・ヘッド、通常は単に「ヘミ」と略される)を持つ新しいOHV・V型8気筒「ファイアパワー」を発表した。この斬新なエンジンは5.4リットル、180 hpという大出力で、クライスラーは衰退するパッカードに代わってアメリカの高級車業界に打って出たのだった。1955年以降はバージル・エクスナーの手になる華麗なボディデザインとパワフルなエンジンの組み合わせで、キャデラックやリンカーンと張り合うことになる。

そしてフォードも1952年のリンカーンV8以降、戦前の設計になる第一世代のサイドバルブV型8気筒に代わり、より効率の良いOHV型の戦後型V型8気筒へ世代交代した。この時期までビュイックやポンティアックなどに残っていた直列8気筒も、1950年代中期までにV型8気筒にその地位を譲って消滅した。
V型8気筒のスタンダード化

以後アメリカの自動車界では1970年代初頭まで、各種のV型8気筒エンジンによる過激なパワーウォーズが展開される。ビッグ3はV型8気筒搭載車を主力モデルとし、1950年代後半以降は、大衆車であるシボレープリムスまでもが普通にV型8気筒を搭載するようになった。

大衆車にも強力なV型8気筒を搭載することで商品性が高まり、また年々アメリカ車が大型化していく中で大衆車にまで新たに普及した附属装備(自動変速機パワーステアリングエア・コンディショナーパワーウィンドウ等々)に対応して余りある性能を得るには、性能に余裕のあるV型8気筒エンジンが不可欠でもあった。V型8気筒エンジン自体が量産効果で廉価な存在となっており、またガソリンが非常に廉価だった当時のアメリカでは、大排気量故の劣悪な燃費は度外視できた。その結果、アメリカでは1969年モデルの乗用車のうち、実に88.9 %がV型8気筒エンジンを搭載していたという。[1]

1950年代後半?1960年代にかけ、アメリカのフルサイズセダンでは7リットル超の巨大なV型8気筒を搭載し、大型キャブレター装備で400 HP前後を発生するようなモデルも多数存在した。それらはフールプルーフなオートマチックトランスミッションで、総重量2 t超の大きなボディを200 km/h前後?220 km/h以上まで到達させた。[注釈 3]

一方で、戦前からの旧式6気筒エンジンのみを搭載しており、1950年代前半までにV型8気筒エンジンを自社開発できなかった中堅以下のメーカー(ナッシュ、ハドソン、カイザー=フレーザーなど)は商品力を失って中級車市場から脱落し、ニッチ分野の小型車への転進や自動車業界撤退を余儀なくされた。

アメリカではオイルショック以後の自動車のダウンサイジング傾向もあり、大衆車クラスではV型8気筒より更にコンパクトなV6への移行が一時著しかったが、1990年代前後からガソリン価格の落ち着きと景気の急回復を受けて、かつてのような高出力V型8気筒エンジンの再登場を望むマーケットからの要請が強く、新世代のハイパワーV型8気筒(電子制御インジェクション仕様)の開発が進むこととなった。このためインターミディエイトクラス?フルサイズクラス、大型SUV、自家用トラックなどでは現在再び、タフでパワフルと評判の高いV型8気筒エンジン搭載車に人気がある。
戦前ヨーロッパのV型8気筒

ヨーロッパでは、自動車が平均的にアメリカより小型であったため、ほとんどの需要に単純な直列4気筒ないし6気筒エンジンで対応できたことから、量産車におけるV型8気筒は一般化しなかった。

また特殊な大型高級車については、第二次世界大戦以前は直列8気筒やV型12気筒が主流であった。戦前はボンネット短縮の必要性が低く、長大なエンジンを搭載した高級車の長いボンネットは却ってステータスであった。大排気量の多気筒エンジンが必要なら、生産しやすい直列8気筒を手堅く製造するか、さもなくば航空機エンジン生産技術(少なからぬ高級車メーカーが航空エンジンメーカーを兼業していた)を生かして、V型8気筒よりもスムーズなV型12気筒まで飛躍していたのである。直8に比して生産性の面で有利とは言えないV型8気筒を、敢えて採用するメーカーは多くなかった。

例外的なケースとしてV型8気筒を量産した代表例としては、フォードのヨーロッパ法人各社があげられる。1935年以降、英国フォード、ドイツ・フォード、マットフォード(フランスのマチス社とフォードの合弁会社。のちフォード単独出資のフォード・フランスに取って代わられる)がアメリカ本国に倣ったV型8気筒モデルを生産した。フォード・フランスは戦後も長年にわたりV型8気筒モデルを生産し、1955年にシムカに買収された後も1962年製造終了の「シムカ・アリアーヌ8」までV型8気筒車が存続した。これらは最後までサイドバルブ方式だった。

ドイツでは1930年代にホルヒがV型8気筒エンジンモデルを生産したが、同社主力エンジンの直列8気筒にとって代わるまでには至らなかった。


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