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出典検索?: "V号戦車パンター"
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V号戦車パンターパンターG型後期型
性能諸元
全長8.66 m
車体長6.87 m
全幅3.27 m
全高2.85 m
重量44.8 t
懸架方式ダブルトーションバー方式
速度45 - 55 km/h(整地)
27 - 33 km/h(不整地)
行動距離170 - 250 km
主砲70口径75mm KwK 42 L/70(79発)
副武装7.92mm機関銃MG34×2(4,200発)
装甲
砲塔前面110mm 傾斜11°
側・後面45mm 傾斜25°
車体前面80mm 傾斜55°
側面40mm 傾斜40°
後面40mm 傾斜30°
エンジンMaybach HL230P30
水冷4ストロークV型12気筒ガソリン
700 hp (520 kW)
乗員5 名
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V号戦車パンター(ごごうせんしゃパンター、Panzerkampfwagen V Panther 制式番号:Sd.Kfz.171)は、第二次世界大戦中のドイツの中戦車(45トン級)である。
後に「V号戦車」という名称は廃止され、「パンター戦車(独:Pz.Kpfw. Panther、豹戦車)」が正式名称となる。目次 1938年、ドイツ陸軍は戦車隊中核を担う主力中戦車として、III号戦車とIV号戦車を統合した新戦車開発計画を立ち上げた。当初の計画では重量20トン級、5cm級戦車砲装備の中戦車として計画名称「VK20.00」が与えられ、1939年10月、ダイムラー・ベンツ社が開発主体に選定される。後にクルップ社が加わり、更に1940年にはMAN社が参加、各社に設計案提出が求められ、それぞれVK20.01(D)、VK20.01(K)、VK20.01(M)の計画名称が与えられた。 各社設計案より最終選定された車両は「Pz.Kpfw.V(V号戦車)」の名称とすることも内定、設計作業が進められたが、1941年に独ソ戦が開始されると、T-34戦車を始めとしたソ連戦車に対しIII号/IV号戦車は苦戦する。この事態に衝撃を受けたハインツ・グデーリアン将軍は、後に「戦車委員会(Panzerkommission)」と呼ばれることになる調査団を東部戦線に派遣、T-34の評価を行った。詳細な調査の後、T-34の最大の長所は 以上3点が重要な特徴であると結論した。 この調査結果を受け、T-34には従来の設計思想の車両では対抗できないと考えられ、VK20.00計画は30トン級中戦車開発計画として拡大され、計画名称も「VK30.02」と改称[注釈 1]、VK20.00の制式名称として予定されていた「V号戦車」の制式番号は、当車の開発が開発・生産中の戦車のうちで最優先することと、T-34に対抗する新型車両開発を秘匿するため引き続き使用され、開発・設計がVI号戦車(ティーガーI)の後に開始されたが、番号はそれよりも古い。 1941年11月末、ダイムラー・ベンツ社とMAN社に30-35t級新型中戦車、VK3002の1942年4月までの期限での設計が発注された。 ダイムラー・ベンツによるVK3002(DB)はT-34の影響を大きく受けたスタイルではあるが、足回りは大型転綸とリーフスプリング式サスペンションの組み合わせであり、このためターレットリングの小型化、車体小型化などが実現された。 MANの初期案、VK3002(MAN)、秘匿名称“トラディショナルなドイツ戦車”と共に両者の案は42年1月から3月までフリッツ・トート、後にアルベルト・シュペーアによるレビューを受け、両者ともDB案をヒトラーへ提案する事を支持していた。しかし最終案提出に際しMAN社はDB社の提案を参考にデザイン変更し最終的に採用となったのは、よりドイツ戦車的構造であるVK3002(MAN)の方であった。この決定の決め手の一つに、MAN社のデザインは既存のラインメタル―ボルジッヒの砲塔を利用できた、と言う事もあった。 この新型中戦車は1942年5月15日に「V号戦車パンターA型(Sd.Kfz.171)」と命名された。しかしこれは1943年1月に「パンターD型」に変更され、A型の名はより後の型につけられている。 「パンター(Panther:豹)」の名称は、先行して開発されていた重戦車が非公式ながらヒトラーにより「ティーガー(Tiger:虎)」の愛称を与えられていた(後に正式名称となる)ため、より快速で軽量な機動力の高い俊敏な車両として完成することを印象づけるために命名された。しかし、VK3002は当初35tクラスの予定から設計段階で重量が大幅増加した上、設計がほぼ完了した時点でヒトラー総統の要求で車体前面装甲を60mmから80mm、砲塔前面を80mmから100mmへと強化したため、当時の重戦車クラス約45tの重量の「中戦車」として完成した。そのため、当初予定の最高速度は60km/hから55km/hに低下し、重量増加はほかにも様々な問題を引き起こしている。しかしヒトラーによる装甲の強化が実施されていなければソ連の主力戦車であったT-34-76に正面から撃破される可能性があり、優位性が大きく損なわれていた上ソ連主力重戦車のIS-2とも互角に戦闘出来なかったため装甲の強化は重量増加問題以上に戦略的な点において大きな効果があったと言える。 本車はそれまでのドイツ戦車と違い傾斜装甲で、70口径 7.5 cm KwK 42という強力な(対戦車兵器として56口径8.8 cm KwK 36よりも近距離であれば高い装甲貫徹力を持つ)戦車砲を搭載していた。また、ティーガー同様に幅の広い履帯、挟み込み式配置の大きな転輪で車重を分散し接地圧を下げる工夫が行われ、これは車台側面を守る補助装甲の役わりもする。 パンターの車体上部は前面、側面及び後面の全面に渡って傾斜がつけられており、避弾経始を追求したデザインとなっている。ただし、強力な前面装甲に対し側面装甲は半分の厚みで、特にD・A型は燃料タンクのある車体後部を容易く射貫され炎上することがあった(側背面装甲が薄いのは本戦車に限らない)。 主装甲板は初期型のみニッケルを一切使用しない装甲板を使用、Oh式という特殊な焼き入れで表面硬化を行い、さらに高周波表面硬化を施して強度を保っていたが、のちにこの処理を止めており、特にG型からは全車が表面硬化処理を廃止している。ただし装甲厚の薄い側面装甲には表面硬化処理が施されている(イギリスが鹵獲したパンターD・A型を調査した結果、主装甲には表面硬化処理が施されていなかった。またドイツ軍の火焔焼き入れ鋼板規格においてパンターの主装甲厚である80mm規格は1943年末には廃止されている)。 転輪の上に露出している車台側部は、射撃試験の結果ソ連軍の14.5mm対戦車ライフルに射貫される恐れがあったため、量産型ではこの部分を被う補助装甲、シュルツェンが装着された。
1 開発までの経緯
2 開発
3 構造
3.1 装甲
3.2 懸架装置
3.3 エンジン
4 実戦投入後
5 連合軍の反応
5.1 東部戦線
5.2 西部戦線
6 他国軍での使用
7 戦後
8 バリエーション
9 派生型
10 ギャラリー
11 現存車両
12 登場作品
12.1 映画
12.2 アニメ・漫画
12.3 書籍
12.4 ゲーム
13 脚注
13.1 注釈
13.2 出典
14 参考文献
15 関連項目
開発までの経緯
避弾経始を取り入れた傾斜装甲を採用している
幅広の履帯を有し、柔らかい土の上での機動性を向上させている
装備する76.2mm砲は、同世代戦車と比較し大口径で威力に優れる
開発 VK3002
上:MAN案、下:ダイムラー・ベンツ案
構造
装甲 車体正面・側面を傾斜装甲とし、履帯上はスポンソン構造にしている。ナチス・ドイツ主力戦車の後期に見られる特徴である 車体右斜め後ろから見た砲塔側面(右側に砲塔が旋回している状態)と車体側面、傾斜装甲のため、角度がついているのが分かる
懸架装置 パンターの転輪 転輪を組み立てる整備兵