V・ヴィジャエーンドラ・プラサード
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V・ヴィジャエーンドラ・プラサード
V. Vijayendra Prasad

本名Koduri Viswa Vijayendra Prasad[1]
生年月日 (1942-05-27) 1942年5月27日(82歳)
出生地 イギリス領インド帝国 マドラス管区コヴール(英語版)
(現:アーンドラ・プラデーシュ州西ゴーダーヴァリ県(英語版))
職業映画監督脚本家
活動期間1988年 -
配偶者ラージャー・ナンディニ
著名な家族S・S・ラージャマウリ(息子)

 受賞
フィルムフェア賞
原案賞(英語版)
2016年(英語版)『バジュランギおじさんと、小さな迷子
その他の賞
ナンディ賞
長編映画賞(英語版)
2011年『Rajanna』

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コドゥリ・ヴィシュワ・ヴィジャエーンドラ・プラサード(Koduri Viswa Vijayendra Prasad、1942年5月27日[2] - )は、インドテルグ語映画で活動する映画監督脚本家[3]。テルグ語映画の他にヒンディー語映画カンナダ語映画タミル語映画でも活動しており、これまでに25本以上の映画で脚本を手掛け、その大半がブロックバスターを記録している[4]。代表作には『マガディーラ 勇者転生』『マジック(英語版)』『バーフバリ 伝説誕生』『バーフバリ 王の凱旋』『バジュランギおじさんと、小さな迷子』『マニカルニカ ジャーンシーの女王』『RRR』がある[5][6][7][8]
生い立ち

ラージャムンドリー近郊のコヴール(英語版)で生まれ、エールールのサー・C・R教育大学(英語版)に進学する[4]。プラサードの生家はコヴールに土地を所有していたが、鉄道敷設によって土地を失っている[9]。1968年にカルナータカ州に移住し、兄K・V・シヴァシャンカルと共にライチュール県(英語版)マンヴィ(英語版)にある村に7エーカーの水田を購入するが軌道に乗らず、1977年に一家はコヴールに帰郷している[10]。その後も様々な事業に手を出したものの、いずれも失敗に終わっている[4]
キャリア

1985年に兄コドゥリ・シヴァ・シャクティ・ダッタの誘いを受け、映画製作のため家族を連れてマドラスに移住する。ダッタは数人の映画監督の助手を務めた後に『Pillanagrovi』の製作を開始するが、全財産を投入した挙句に経済的な理由で製作中止となる[11]。その後、プラサードはダッタの伝手を頼りに映画界で働き始め[4]、友人だったサマタ・アーツのムカルジーの紹介でK・ラーガヴェンドラ・ラーウと知り合い、ダッタと共に彼の作品に参加するようになる。1988年に『Janaki Ramudu』で脚本家デビューし、同作は興行的な成功を収めた[4][12]。1994年にはダサリ・ナーラーヤナ・ラーオの『Bangaru Kutumbam』で脚本を手掛け、同作はナンディ賞 長編映画賞(英語版)を受賞している[13]。また、同年に脚本を手掛けた『Bobbili Simham』の成功により脚本家としての地位を確立し[4]、1999年に手掛けた『Samarasimha Reddy』は当時のテルグ語映画の中で最大のヒットを記録した[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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