UWF
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ユニバーサル・レスリング・フェデレーション
設立1984年
主催株式会社U.W.F.
本部東京都世田谷区用賀
代表者浦田昇
前田日明
→神新二
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UWF(ユー・ダブリュー・エフ)は、かつて存在した日本プロレス団体。正式名称はユニバーサル・レスリング・フェデレーション、ユニバーサル・レスリング連盟。1985年9月に活動休止した第1次と、1988年4月に旗揚げし1991年1月に解散した第2次の2期に分かれる。
概要

第1次UWFは1984年3月、新日本プロレス専務取締役営業本部長の新間寿が設立。

第2次UWF解散後はリングスUWFインターナショナル新UWF藤原組の3団体に分裂している。

選手入場時などで使われたメインテーマ、通称「UWFのテーマ」はUWFの象徴とされ、UWFが解散した後もUWF出身選手が大一番で使用している[1]。また、落語家の鈴々舎馬るこが出囃子に使用している。

UWFの思想から派生した格闘系プロレス団体を総称してUWF系、略してU系と呼ぶ。

アメリカビル・ワットが主宰していた同名のプロレス団体「Universal Wrestling Federation」が同時期に存在したが交流も関係も全くない。スティーブ・ウィリアムスらが保持していたUWFヘビー級王座は、このビル・ワット版UWFの認定王座である。

日本にも同名のプロレス団体「ユニバーサル・プロレスリング」が設立されているが関連はなくスタイルも異なる。混同を避けるため当ページのプロレス団体を「UWF」、ユニバーサル・プロレスリングは「ユニバーサル」と呼び分けることもある。
歴史
第1次UWF

旧UWF、ユニバーサルとも呼ばれる。
旗揚げまでの経緯

設立の裏には当時、新日本プロレスのアントニオ猪木が起こした事業「アントン・ハイセル」の失敗により莫大な負債を抱えて、新日本がその補填をすることに対して新間寿と反猪木派社員が反目。新間が猪木の新たな受け皿として用意したのがユニバーサル・レスリング連盟(UWF)である。

前田日明によると、クーデター事件により新たな資金源が必要になった猪木が、フジテレビと契約するために作ったという[2]。一時はクーデター派によって新間は新日本プロレスの専務取締役を解任されて同時に猪木も新日本の代表取締役社長を一時的に解任されたが、「猪木なしでの中継放送はありえない」というテレビ朝日の介入により、クーデターは未遂に終わる。この経緯から、設立前には猪木を含めた新日本所属選手の参加が噂され、旗揚げ戦のポスターにも当時の新日本主力選手や主力外国人選手の写真が載せられたが(「私はすでに数十人のレスラーを確保した」というコピーまで刷り込まれた)、結果としては前田を始め、当時の新日本で主力・エース級でない選手を中心に参加にするにとどまった。

後に前田は「猪木さんが『俺も後から行くから先に行ってくれ』と言われたので移籍した」と発言、さらに後年の補足では「新日本プロレスの業務命令による異動であった」と以下を説明した。「当時は高視聴率にもかかわらず、テレビ朝日からの恩恵は横ばいだった。そこで会社側の戦略としては新団体(ユニバーサル)を作り、テレビ朝日とフジテレビの2局体制を目論み選手間の移動も可能とする構想だったようだが、テレビ朝日との契約上から上手くいかなかった」「構想は頓挫してしまったため、猪木さん側から『取りあえずお前だけ新日に戻ってこい』と伝えられたが、何も知らず付いてきた選手もいるので自分だけ戻るわけにはいかなかった」と語っている[3]

外国人選手に関しては、表立ってはいなかったがジャイアント馬場のルートでテリー・ファンクが斡旋の窓口となっていた(4月開幕の旗揚げシリーズには、テリーが主戦場としていたテキサス州サンアントニオのサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングからボブ・スウィータンスコット・ケーシーテネシー州メンフィスCWAからダッチ・マンテルが来日)[4]。新間は当初、自身が会長を務めていたWWFをUWFの外国人供給ルートとして考えていたが、当時のWWFは新日本プロレスとの業務提携契約が5月末まで残っており、4月の旗揚げシリーズには別ルートから外国人選手を招聘する必要があったためである[5]。WWFのビンス・マクマホン・シニアは、新日本プロレスとの契約終了後は新間への協力を約束しており、そこで新間は、WWFとの契約締結までの外国人選手の斡旋を馬場に頼んだ[5]マーク・ルーインカリプス・ハリケーンといった全日本プロレスへの来日経験者がUWFに登場したのはこのためである。6月に予定されていた旗揚げシリーズ第2弾は外国人勢が強化され、馬場のNWAルートからキングコング・バンディトミー・リッチジャイアント・キマラなどが来日することになっていた[4]。その見返りとして馬場は、ハルク・ホーガンアンドレ・ザ・ジャイアントなど、WWFのトップレスラーの全日本プロレス参戦を要望していたという[5]

新間の退陣後はWWFとの業務提携も立ち消えとなり、ラッシャー木村剛竜馬マッハ隼人をブッカーに、カナダ沿海州アトランティック・グランプリ・レスリングメキシコEMLLからの招聘ルートを独自に開拓。カナダからはフレンチ・マーテルレオ・バークザ・UFOスウィート・ダディ・シキキューバン・アサシンなどのベテランのほか、ダニー・クロファットもフィル・ラファイアーの名義で第1次UWFに初来日している。
旗揚げ

1984年4月11日、大宮スケートセンターで旗揚げ戦を開催。ポスターに掲載されていた猪木を始めとする新日本の主力選手や、ホーガン、アンドレ、ボブ・バックランドら大物外国人選手は誰も出場しなかった。そのため、これらの選手の出場を期待して来場したファンからは罵声や、当日の興行には関係のない猪木、長州力藤波辰巳らのコールがメインイベントの前田の試合中に発生するなど波瀾含みのスタートだった。旗揚げシリーズは路線も定まらない状態だったが、6月27日、藤原喜明と田伸彦ホテルグランドパレスで記者会見を行い、正式にUWF入りを発表。前田の師匠格である藤原が高田を引き連れて参加したあたりから方向性が定まり始め、道場で行われるスパーリングのような関節を取り合う攻防を中心としたレスリングスタイルに転換していく。


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