UTOPIA_最後の世界大戦
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足塚不二雄(
藤子不二雄) > 連載と描き下ろし > UTOPIA 最後の世界大戦

『UTOPIA 最後の世界大戦』(ユートピア さいごのせかいたいせん)は、足塚不二雄(のちの藤子不二雄)による日本SF漫画作品。1953年に出版された。藤子不二雄(藤本弘安孫子素雄)の合作による漫画作品としては、最初で最後の単行本描き下ろし作品である。作品は全96ページ。全1巻。鶴書房による初出では、中島利行[1]『覆面団』併録。
作品概要

機械文明の発展した未来を描き、それが必ずしも人類に平和をもたらすものではないというテーマを掲げて描かれた。そして戦後間もない頃に描かれた作品のため、戦争批判や戦後復興への憧憬も色濃い内容である。そしてこの作品の中核である「ユートピア」で描かれている、「人々が管理され、裏切り者は弾圧・抹殺される」という点で、管理社会に対する批判も見て取れる(「ディストピア」も参照の事)。

合作作品。高校3年進級後の春から執筆を開始するが10月に頓挫。翌年の高校卒業後、手塚治虫の仲介により出版社から単行本の執筆依頼があったため、執筆を再開(大部分の物語と構成は刷新)。会社を辞め漫画業に専念していた藤本弘が指揮を執り、当時はまだ新聞社に務めていた安孫子素雄が夜や週末に手伝うという形で執筆されたという。

画風は当時両人が入れ込んでいた、手塚治虫の影響が色濃いものである。作品の随所に、藤子両人のその後の作風や構成の原点が見られる。後の藤子作品に、本書がネタとして取り上げられることがある(#その他を参照)。
執筆の経緯

着想から出版までの経緯と、前後の出来事は以下の通り[2]
1950年

12月 -
手塚治虫新世界ルルー』連載開始。

連載初回の題字には「LURUE THE UTOPIA」と英題が記されている。

「英題の一部」「閉鎖空間に長く閉じ込められる人物が登場する」「主人公が見たことのない世界(社会)に触れて感動する場面がある」等の共通点があるが、作品内容の大筋はまったく異なっている。


1951年
安孫子の日記より(日付が誤植の可能性あり)


4月18日(水)- 高校3年の安孫子の日記に、単行本のプランを立てるため会議を行ったとの記述。候補作品は『クォ・ヴァジス』『乞食王子
[3]』『ラパチーニの娘』『海底都市[注釈 1]』『荒らされゆく地球』の5本。2時間経ってもまとまらず2人で不機嫌になったが、お茶を飲んで水入りになったところで安孫子が藤本から『みごとな新世界』の話を伝え聞く。触発された2人は他の漫画案をすべて没にし、未来漫画の草案をそれぞれ考えることに決定。

4月22日(日)- 安孫子の日記に脚本完成、配役決定との記述。この時点での配役ではフジオが二役(息子と特殊警察隊長)を演じることになっている。そっくりな2人が入れ替わる構想があったが、完成版ではそれが変化した事情がうかがえる。「コスチュウム」も決定し、後はページの配分のみとの記述も[注釈 2]

日付は藤本のノートより、内容は安孫子の日記より


5月18日(金)- 藤本が『みごとな新世界』(「科学ペン」20P短縮版)を読む。

本作は『世界名作縮冊全集』(中央公論社)に2ページにてあらすじが紹介されていたオルダス・ハクスリーすばらしい新世界』に触発されたものであることが安孫子の1951年4月18日の日記で語られているが[4]、『世界名作縮冊全集』には『すばらしい新世界』は掲載されていない。藤子不二雄研究者の河井質店は、1937年発行の『科学ペン』に『みごとな新世界』の20頁版が掲載されており、その他の短縮版は確認されていないことから、安孫子の日記は勘違いで、実際には藤本は『科学ペン』掲載の20頁版を読んだのではと推測している[5]


藤本のノートより


5月19日 (土)- 藤本の構想ノートの冒頭のページに、この日の16時?19時に安孫子と2人で「単行本の題材について」の「第一回会談」が開かれたとの記述。『クオ・ヴァディス』『乞食王子』『新世界』『沈みゆく世界[注釈 1]』『荒らされる地球』の5本に『ラパチーニの娘』を加えた候補から、結局『新世界』と決定したと記されている。安孫子の4月18日の日記とほぼ同内容[6]。藤本のノートにはこの後ろに物語の構成表が記されている。

5月20日(日)?22日(火)- 藤本の構想ノートに「人物スケッチ」と配役のメモ[7]。「題材会議と配役決定の記述内容がほぼ同じで、それらの日付が安孫子と藤本でほぼ1か月ずつずれている」「典拠の安孫子の日記は印刷物、藤本のノートは手書き文字」という事実を考えると、安孫子の日記の印刷物の日付が誤植である可能性が高い。また、安孫子の日記には4月から『UTOPIA』のタイトルが登場するが、藤本のこの日までの構想ノートには「新世界」という仮タイトルが登場するのみで「UTOPIA」の文字は登場しない[注釈 3]

安孫子の日記より


8月26日(日)-『UTOPIA』[注釈 4]赤道祭祝で手塚治虫から単行本『バンビ』が届く[注釈 5]。実際に描けていたのは30枚。

10月14日(日)- 機構改革討論。ストーリーを再構成することにし、描いた原稿は使えるものだけ使うことに。

10月18日(木)- 頓挫。製作一時中止を決定。

当時の出版物の奥付より


11月10日付 手塚治虫『バンビ』の単行本が鶴書房より刊行[8]。 

毎日小学生新聞紙面より


12月16日(日)- 『天使の玉ちゃん』でプロ漫画家デビュー(2人がその事実を知ったのは12月29日)。

1952年

1月 - 手塚治虫『新世界ルルー』連載完結。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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