パレルモFC
原語表記Palermo Football Club
愛称I Rosanero (ピンクと黒)
Le Aquile (鷲)
クラブカラーピンクと黒
創設年1900年
所属リーグセリエB
所属ディビジョン2部
ホームタウンパレルモ
ホームスタジアムスタディオ・レンツォ・バルベラ
収容人数36,365人[1]
運営法人シティ・フットボール・グループ (94.94%)
Hera Hora S.r.l. (5%)
Associazione Amici Rosanero (0.06%)[2][3]
代表者 ダリオ・ミッリ
ホームカラーアウェイカラーサードカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ
パレルモFC(Palermo FC)は、イタリア・パレルモを本拠地とするサッカークラブチーム。 主な愛称はエンブレムやユニフォームなどからロザネーロ(イタリア語で「ピンクと黒」)。クラブのサポーターは「パレルモ人」を意味するパレルミターノと呼ばれている。同じくシチリア島を本拠とするカターニャとの対戦はデルビー・ディ・シチリアと呼ばれるイタリア屈指の有名カードである。その他、ナポリとの対戦はデルビー・デル・スッド(「南部のダービー」)、カリアリとの対戦はデルビー・デッレ・イーゾレ(「島のダービー」)と呼ばれ、毎年白熱した試合が繰り広げられている。 欧州では珍しいピンクをクラブカラーとしていることで知られるが、1900年の設立から7年間は「赤と青」を採用していた。現在のカラーを採用するに至った経緯は明確になっておらず諸説あるが、ユニフォームを漂白する過程で誤ってピンクと黒になってしまったという説や、創設者の一人ジョセフ・ウィテカー 1900年11月1日、ウニオーネ・スポルティーヴァ・チッタ・ディ・パレルモ(Unione Sportiva Citta di Palermo)として創設。 多くをセリエAで過ごした1940?50年代を除いて長らく下部リーグに所属していたが、2002年夏、ヴェネツィアのオーナーだったマウリツィオ・ザンパリーニが1500万ユーロでクラブを買収し、会長に就任すると、積極的な補強などが実を結び2004年に31季ぶりのセリエA昇格を果たし、さらに欧州カップ戦への出場を成し遂げるなどクラブの地位を著しく向上させた。通算29シーズンをセリエAで過ごし、また2006年のイタリア代表のワールドカップ制覇にはアンドレア・バルツァッリ、クリスティアン・ザッカルド、ファビオ・グロッソ、シモーネ・バローネの4名を送り込み、ユヴェントスの5名に次ぐ2番目の勢力として代表チームに貢献した。2008年にG-14(ヨーロッパビッグクラブ連合体)の後継組織であるECA(欧州クラブ協会)に加盟。 セリエA復帰後の2014-15シーズンはアルゼンチン人のパウロ・ディバラとフランコ・バスケスの活躍もあり、シーズンを11位で終えた。 ディバラがユヴェントスに移籍して迎えた2015-16シーズンは実に8度の監督交代が行われるなど、チームは混迷を深めながらも最終節でエラス・ヴェローナに3-2で勝利して16位となり、降格を免れた[6]。 1年でのセリエA復帰を目指した2017-18シーズンは、ブルーノ・テディーノ
概要
歴史
2018-19シーズンは勝ち点63の3位で終え、昇格プレーオフの出場権を獲得したものの、深刻な財政難に陥り、2019年5月13日、FIGCにより、一度は最下位の19位でセリエC降格処分が下された[7][8]。しかし、クラブはこの処分に対しFIGCに上訴し、自動降格処分から勝ち点20の剥奪処分に軽減され、最終的に11位となった[9]。
2019年7月12日、FIGC(イタリアサッカー連盟)により、2019-20シーズンのセリエBから除外され[10]、7月23日、起業家ダリオ・ミッリ(パレルモ出身、レンツォ・バルベラの甥)と、シチリア系アメリカ人のトニー・ディピアッツァが共同所有の会社"Hera Hora srl"がクラブを買収してSSDパレルモ(Societa Sportiva Dilettantistica Palermo)が創設され、セリエD(4部)へ所属することとなった[11]。2020年7月16日、クラブ名をパレルモFC(Palermo Football Club)に改称した[12]。