USチッタ・ディ・パレルモ
[Wikipedia|▼Menu]

パレルモFC
原語表記Palermo Football Club
愛称I Rosanero (ピンクと黒)
Le Aquile (鷲)
クラブカラーピンクと黒
創設年
1900年
所属リーグセリエB
所属ディビジョン2部
ホームタウンパレルモ
ホームスタジアムスタディオ・レンツォ・バルベラ
収容人数36,365人[1]
運営法人シティ・フットボール・グループ (94.94%)
Hera Hora S.r.l. (5%)
Associazione Amici Rosanero (0.06%)[2][3]
代表者 ダリオ・ミッリ
監督 ミケーレ・ミニャーニ
公式サイト公式サイト

ホームカラーアウェイカラーサードカラー

テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

パレルモFC(Palermo FC)は、イタリアパレルモを本拠地とするサッカークラブチーム。
概要

主な愛称はエンブレムやユニフォームなどからロザネーロ(イタリア語で「ピンクと黒」)。クラブのサポーターは「パレルモ人」を意味するパレルミターノと呼ばれている。同じくシチリア島を本拠とするカターニャとの対戦はデルビー・ディ・シチリアと呼ばれるイタリア屈指の有名カードである。その他、ナポリとの対戦はデルビー・デル・スッド(「南部のダービー」)、カリアリとの対戦はデルビー・デッレ・イーゾレ(「島のダービー」)と呼ばれ、毎年白熱した試合が繰り広げられている。

欧州では珍しいピンクをクラブカラーとしていることで知られるが、1900年の設立から7年間は「赤と青」を採用していた。現在のカラーを採用するに至った経緯は明確になっておらず諸説あるが、ユニフォームを漂白する過程で誤ってピンクと黒になってしまったという説や、創設者の一人ジョセフ・ウィテカーが勝利あるいは敗北の試合後に飲んだリキュールと薬草酒の「甘みと苦味」を表現したという説が最も有名である[4][5]
歴史

1900年11月1日、ウニオーネ・スポルティーヴァ・チッタ・ディ・パレルモ(Unione Sportiva Citta di Palermo)として創設。

多くをセリエAで過ごした1940?50年代を除いて長らく下部リーグに所属していたが、2002年夏、ヴェネツィアのオーナーだったマウリツィオ・ザンパリーニが1500万ユーロでクラブを買収し、会長に就任すると、積極的な補強などが実を結び2004年に31季ぶりのセリエA昇格を果たし、さらに欧州カップ戦への出場を成し遂げるなどクラブの地位を著しく向上させた。通算29シーズンをセリエAで過ごし、また2006年のイタリア代表ワールドカップ制覇にはアンドレア・バルツァッリクリスティアン・ザッカルドファビオ・グロッソシモーネ・バローネの4名を送り込み、ユヴェントスの5名に次ぐ2番目の勢力として代表チームに貢献した。2008年にG-14(ヨーロッパビッグクラブ連合体)の後継組織であるECA(欧州クラブ協会)に加盟。

セリエA復帰後の2014-15シーズンはアルゼンチン人のパウロ・ディバラフランコ・バスケスの活躍もあり、シーズンを11位で終えた。

ディバラがユヴェントスに移籍して迎えた2015-16シーズンは実に8度の監督交代が行われるなど、チームは混迷を深めながらも最終節でエラス・ヴェローナに3-2で勝利して16位となり、降格を免れた[6]

1年でのセリエA復帰を目指した2017-18シーズンは、ブルーノ・テディーノが監督に就任しシーズン前半を首位で折り返すも、最終的には自動昇格圏外の4位で終え、昇格プレーオフでも決勝でフロジノーネに敗れ昇格を逃した。

2018-19シーズンは勝ち点63の3位で終え、昇格プレーオフの出場権を獲得したものの、深刻な財政難に陥り、2019年5月13日、FIGCにより、一度は最下位の19位でセリエC降格処分が下された[7][8]。しかし、クラブはこの処分に対しFIGCに上訴し、自動降格処分から勝ち点20の剥奪処分に軽減され、最終的に11位となった[9]

2019年7月12日、FIGC(イタリアサッカー連盟)により、2019-20シーズンのセリエBから除外され[10]、7月23日、起業家ダリオ・ミッリ(パレルモ出身、レンツォ・バルベラの甥)と、シチリア系アメリカ人のトニー・ディピアッツァが共同所有の会社"Hera Hora srl"がクラブを買収してSSDパレルモ(Societa Sportiva Dilettantistica Palermo)が創設され、セリエD(4部)へ所属することとなった[11]。2020年7月16日、クラブ名をパレルモFC(Palermo Football Club)に改称した[12]

2022年7月4日、マンチェスター・シティFCを保有するシティ・フットボール・グループによる買収が発表された[13][14]。買収額は1300万ユーロであり、クラブ株式の80%を取得した。
名物オーナー

2002年にASローマのフランコ・センシ会長からクラブを買収した現会長マウリツィオ・ザンパリーニは、イタリア最大のスーパーマーケットチェーン、エンメゼータのオーナーであった(2005年所有する全株を多国籍企業に売却)。同氏はパレルモを買い取るまでSSCヴェネツィアで20年(1987年?2002年)会長を務めた他、セリエC1やC2のさまざまなクラブでオーナー経験を持つ。本業であるエンメゼータを重点出店したい地域のチームを買収し、「あなたの買い物がチームを強くする」と看板広告に記載し、サポーターのチームに対しての忠誠を巧みにスーパーの売り上げに利用すると言うユニークな手法で本業を大きくした。

「スクデットを獲得するまで財布の紐を締めない」という発言の通り巨万の富を投入し積極的な補強を行いクラブを強化する。シチリアの州都である大都市パレルモを本拠地に持ちながらセリエC1に甘んじていたパレルモをセリエAに定着させ、人気クラブへと成長させた功績は非常に大きい。一方で成果が出なければ短期間で監督を解任する短気さで有名であり、25年を超えるクラブオーナー生活で支払った違約金は合計で1000万ユーロを超えるという[15]。また監督交代で成果が出なければ呼び戻すことも多く、フランチェスコ・グイドリンなどは4度も解任されている。近年は南米からタレントを発掘し高額で売却する移籍方針に代わり、「もう広告としてのチームは必要では無くなった」と売却を示唆したり、自身が担う役割を任せられる優秀なディレクターを求めるなど一線から退きたい意向を示している。実際に2012年にCEOに就任したピエトロ・ロ・モナコはクラブ株式の10%を保有しており、後継者として期待されていたが、一躍名を上げたカターニャ時代と同様の極端な南米路線はチームの崩壊を招き低迷。ザンパリーニの就任10シーズン目の節目の一年は久々のセリエB降格という結果に終わり、ロ・モナコはシーズン終了を待たずしてクラブを去った。
サプライヤーとスポンサー

期間サプライヤースポンサー[16]
1999?2000KronosTele+
2000?2001ロットアリタリア
2001?2002LTS
2002?2006プロビンチャ・ディ・パレルモ
2006?2008なし
2008Pramac
2008?2009なし
2009?2010ベットショップ
2010ユーロベット
2010?2011レゲア
2011?2012ユーロベット & バーガーキング
2012?2013プーマユーロベット & Italiacom
2013?2014Palermocalcio.it & シグマ
2014-2015ホマRosaneroCares & CBM
2015-2017なし
2017-2019レゲア


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:88 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef