UNIVAC_I
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UNIVAC Iオペレーターコンソールフランクリン生命保険会社のUNIVAC I

UNIVAC I (UNIVersal Automatic Computer I、ユニバック・ワン、万能自動計算機の略)は米国で作られたビジネスアプリケーション向けとして世界初の汎用電子デジタルコンピュータ[注釈 1]ENIACの発明者であるジョン・プレスパー・エッカートジョン・モークリーが中心となって設計した。彼らが設立したエッカート・モークリー・コンピュータ・コーポレーション(EMCC)で開発が開始された。資金不足に陥り、IBMに資金援助を断られ、1950年にレミントンランド[注釈 2]が買収して販売にこぎつけた。このマシンは後継機が出るまで単にUNIVACと呼ばれた[1]

1号機は1951年3月31日に米国国勢調査局が契約し、その年の6月14日に納品された[2][3]米国原子力委員会用に製作した5号機は1952年の大統領選挙で結果を予測するためにCBSが使用した。わずか1%のサンプル調査でアイゼンハワーの逆転勝利を的中させたことで有名[4]

ENIACと比較して真空管の本数は3分の1以下の5200本。メモリには100本の水銀遅延管を使用し、10000本のダイオードを搭載していた。重量7.5トン。入出力装置には初めて磁気テープが搭載された。プログラム内蔵方式で、1秒間に10万回の加算が可能だった。

当時、コンピュータといえばUNIVACと言われるほど普及した。この機械は更にUNIVAC IIとして進化した。UNIVAC IIではメインメモリ(2000ワード)や磁気テープ外部記憶装置のバッファメモリ(60ワード)が磁気コアメモリとなり、磁気テープの記録密度は250ppi(pulse per inch)の倍密度だった。内部レジスタは超音波を結晶中で反射させその遅延時間を利用していた。1ワードは7ビットの12桁で、通常の機械命令語はその半分の6文字で構成していた。日本でも東京電力が第29号機を輸入し昭和36年?昭和43年まで、主に従量電灯計算など大量データ処理に使用された。

現在、スミソニアン博物館に第一号機が展示されている。またミュンヘンのドイッチェ博物館にも本体が展示されている。
歴史
市場の開拓レミントンランドの従業員であるハロルド・スウィーニー(左)とプレスパー・エッカート(中央)が米国国勢調査局のUNIVACの操作デモをCBSのレポーターであるウォルター・クロンカイト(右)に披露している様子UNIVAC Iオペレーターコンソールの近影

UNIVAC Iは比較的単純な計算とデータ処理を高速に実行するビジネス用途を目的として設計したものとしては米国初のコンピュータで、これまでの科学技術用の複雑な計算を行うコンピュータとは対照的だった。この分野はパンチカード集計機の市場であり、UNIVACはこれと競合する商品であったが、当初UNIVACにはパンチカードの入出力機能がなかった。カードに保存された大量のデータを手作業で入力しなければならず、作業コストの懸念から売り上げは伸びなかった。カードを読んで磁気テープに出力する装置と、磁気テープからカードに出力する装置の2つのコンバータをUNIVACが別途発売したことでこの問題は修正された[5]。しかしながらUNIVAC Iの当初の売り上げはレミントンランドの希望よりも低かった。

宣伝のためCBSと提携してUNIVAC Iに1952年大統領選挙の結果を予想させた。事前の世論調査ではアドレー・スティーブンソンが有利とされていたが、UNIVAC Iはアイゼンハワーの逆転勝利を予想した。CBSのスタッフはUNIVACが間違っていると確信しており、UNIVACは使い物にならないと考えていた。開票作業が進むとUNIVACの予想が正しかったことが明らかになり、アナウンサーがUNIVACの能力を評価したことでマシンは有名になった。これによりコンピュータに対する国民の評価が変わり[6]、以降コンピュータによる選挙予想は選挙結果を伝える夜の報道に欠かせないものとなった。
インストール国勢調査局のUNIVAC Iと2人のオペレータ 1960年頃

当初は国勢調査局米空軍、米陸軍地図サービスなどの政府機関が顧客だった[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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