UNIQLO
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「ユニクロ」のその他の用法については「ユニクロ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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株式会社ユニクロ
UNIQLO CO., LTD.
ユニクロ大阪心斎橋店(大阪市中央区
種類株式会社
本社所在地 日本
754-0894
山口県山口市佐山10717番地1[1][注 1]
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度2分3.9秒 東経131度20分3.8秒 / 北緯34.034417度 東経131.334389度 / 34.034417; 131.334389座標: 北緯34度2分3.9秒 東経131度20分3.8秒 / 北緯34.034417度 東経131.334389度 / 34.034417; 131.334389
設立1974年9月2日(サンロード株式会社)[注 2](創業: 1949年
業種小売業
法人番号9250001001451
事業内容衣料品の商品企画・生産・物流・販売(SPA)
代表者代表取締役社長COO 塚越大介
資本金10億円(2020年8月31日現在)[2]
発行済株式総数1万株(2020年8月31日現在)[2]
売上高8288億8600万円(2020年8月期)[2]
営業利益1068億6400万円(2020年8月期)[2]
経常利益1094億6100万円(2020年8月期)[2]
純利益763億3800万円(2020年8月期)[2]
純資産2249億3100万円
(2020年8月31日現在)[2]
総資産5126億5000万円
(2020年8月31日現在)[2]
従業員数38,105人(2021年8月31日時点)
支店舗数国内810店、海外1,502店 (2021年8月31日時点)
決算期8月末日
主要株主株式会社ファーストリテイリング 100%
外部リンクwww.uniqlo.com/jp/ja/
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ユニクロ吉祥寺店(東京都武蔵野市)ユニクロ東京銀座旗艦店(東京都中央区
世界で9番目のグローバル旗艦店で、2012年4月現在、世界最大の規模を持つ。ユニクロ大阪心斎橋店内UNIQLO OSAKA(大阪市北区
世界で13番目のグローバル旗艦店。

株式会社ユニクロ(: UNIQLO CO., LTD.)は、「UNIQLO(ユニクロ)」の店舗名・商品ブランド名で、実用(カジュアル)衣料品製造小売を一括して展開する日本の企業である。日本におけるファストファッションの代表的存在であり、自社のファッション製品を「ライフウェア(Life Wear)」と称している。ファーストリテイリングの完全子会社

本社を山口県山口市佐山に置いている。また、東京本部を東京都港区赤坂ミッドタウン・タワー、有明本部を東京都江東区有明の「UNIQLO CITY TOKYO」6階に置いている。
歴史
創業

柳井正の伯父にあたる柳井政雄が小郡商事を創業し代表者に就任。柳井政雄は実業家であると同時に部落解放運動家でもあった。

1949年3月、柳井等が兄の柳井政雄より任されていた小郡商事の繊維・洋服部門が、個人営業の紳士服専門店「メンズショップ小郡商事(メンズショップOS、1992年4月までに全店閉店またはユニクロに改装)」を、山口県宇部市に開店した[3]
ユニクロの開業

1984年6月2日広島市中区袋町裏通り(うらぶくろ)に[4][5][6]ユニセックスカジュアル衣料品店「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)を開店[3][4][7][8][9]。これがユニクロの1号店となるが、この1号店は現存しない[10]。この店名でも分かるように「セルフサービスの倉庫のような店」が創業時からのコンセプトで、これは以降の店舗でも継承されている[3]。同年9月に等の息子の柳井正代表取締役社長に就任した[3]

「ユニクロ」の名称は、この1号店の店舗名の略称が元になっているが、当初略称の英文綴りはそのまま「UNI-CLO」であった。1988年香港に現地法人を設立した際、会社登記の書類に略称の「UNI-CLO」を「UNI-QLO」と書き間違えられてしまったのだが、そのスペルを柳井正が気に入り、そのまま英文綴りを「UNI-QLO」に変更した商標を採用した。かつては包装紙やテープ等に「U296」と表記していた時期もあった。

広島での1号店開店当初は、地元(広島県福山市)出身の小林克也を起用し、広島ローカルでCMを打った[5]。開店以来、ワインレッドをシンボルカラーとした白抜きのロゴタイプを用いていたが、かつてはこれと別に手を繋いだ男女のシルエットをモチーフとしたシンボルマークが存在した。

1984年6月2日にオープンしたユニクロ1号店の初日は早朝6時のオープンで、開店待ちの列を作った客に対してユニクロが朝食としてあんパン牛乳を無料で振る舞った[4][6][7][8][10]。事前にテレビCMを打ち、近くの高校の前などで開店チラシを配ったこともあり[3][5]、1号店の前には入場制限をするほど客が押し寄せた[3][5][6]ラジオ中継で柳井が「人が多すぎるので来ないでください」と呼び掛けたほどだった[3][6]。柳井は「金鉱脈を発見した気分だったが、今ほど成功するとは思っていなかった」と振り返る[3]2009年11月21日には、ファーストリテイリング創業60周年記念の企画として、テナント内店舗などを除く全国約400店舗が朝6時開店となり、各店舗先着100名にあんパンと牛乳の朝食サービスが1日限定で復活した[11]。当日は目玉商品を目当てに徹夜で並んだ客もいたという[12][13]。なお、2010年以降も創業記念キャンペーンとして行っているが、2012年以降は牛乳が緑茶に変更されている。創業40周年となる2024年には国内約800店舗の各店長が選んだ、地域の名品を店舗ごとに先着順、無料で配布すると発表した(2024年5月24日から6月2日まで)[4][14]
利益拡大と海外進出

1991年9月、小郡商事からファーストリテイリングに社名変更した。

当初はナショナルブランド衣料品の小売店であった。アメリカン・スタイルの倉庫風の建物内に、クラシックな映画ポスターや有名スターのポートレイトを展示した特徴的な店舗(右記写真の店舗例2の姪浜店参照)を全国に展開し、またいち早く中国の優良な工場と提携して低価格で調達するモデルを構築した。

1994年7月24日、ファーストリテイリングとして今はなき広島証券取引所新規株式公開[15]公募価格は7,200円で、上場初日は注文殺到で値つかず。2日目に1万4,900円の初値をつけた[15]。その後の株式分割を反映した公募価格は165円、初値は342円。地方証券取引所への全国的にはまだ無名の存在だった一アパレル企業の上場にもかかわらず、公募価格の倍で初値をつけた事実は、同社がこのころ既にその存在を知る投資家からは未来を期待される企業だったことを意味している[15]。30年後の2023年5月23日、ファーストリテイリング株は前日比230円高となり、終値ベースの上場来高値を3万4,300円まで切り上げた。最高値を更新し続けているファーストリテイリングであるが、この日の終値には、上場初値からの上昇率が100倍を超えるという象徴的な意味があった[15]。公募価格からは208倍、初値からは100倍にあたる[15]

1990年代に「購入後の商品の返品・交換が可能」であることをアピールするために、中年の女性(辻イト子)が関西弁で喋りながらレジカウンターの前で着用していたユニクロ製品を突然脱ぎ出し、下着姿になるという大胆なCMを放映したことがある。同様のCMで中年男性バージョンもあった。以前は購入から3か月以内でレシートを保管してあれば、購入後の商品の返品・交換が可能であった。2020年8月現在は返品・交換が可能な条件として、購入後30日以内で未着用であり、洗濯済みでないこと、客の取扱に由来する傷や汚れがないことなどに改定されている[16]

1995年10月には、全国紙・週刊誌に「ユニクロに悪口言って100万円」という一面広告を掲載した[6]。売上が伸び店舗数も増えていくにつれ、商品の品質チェックが行き届かなくなり質の悪い商品を提供するケースが増えていったことへの危惧から企画されたもので、実際に約1万通のクレームが届き、審査で選ばれた1名に100万円が贈呈された。企業がクレームを顧客満足度の向上に生かした例として取り上げられることが多い。

1997年頃からプライベートブランド商品の取扱比率を高め、アメリカの衣料品小売店GAP(ギャップ)をモデルとした製造小売業 (SPA)への事業転換を進め、経済の状況にマッチした低価格・高品質商品を展開した。また広告代理店と提携し、クリエイティブディレクターにタナカノリユキを起用して明確なメッセージを発信したPRを行うなど、戦略を次々と刷新した。

1998年、悲願としてきた東京への本格進出と、全国的なSPAチェーン確立に乗り出す[17]。同年秋、「ユニクロのフリース。1900円」と、たったそれだけの文字が書かれたシンプルだが斬新なポスターが若者の街、渋谷駅原宿駅の構内や銀座線丸ノ内線など地下鉄の車内に突如、大量に貼り出された[17]


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