UK_(バンド)
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別名UK
出身地

ジャンルプログレッシブ・ロック
ハードロック
ジャズロック
活動期間1977年 - 1980年
2011年 - 2015年
レーベルEGレコード
ポリドール・レコード
ヴァージン・レコード

メンバージョン・ウェットン (Vo/B)
エディ・ジョブソン (Key)
アラン・ホールズワース (G)
ビル・ブルーフォード (Dr)
テリー・ボジオ (Dr)

U.K.(ユー・ケー)は、イングランド出身のプログレッシブ・ロックバンド

1977年、パンクムーブメントが勃興して既存の音楽が終息する中、当時の実力派プレイヤーが集結して、バンド名そのままにブリティッシュ・ロックの最後を飾る大物として結成された。スタジオ・アルバム2作、ライヴ・アルバム1作を残して1980年解散。比較的短命に終わったが、そのコンセプトは次代のスーパーグループエイジア』へと受け継がれた。
概要・略歴
スーパーグループ結成 - 解散(1977年 - 1980年)

1974年に解散したキング・クリムゾンジョン・ウェットン(ボーカル、ベース)とビル・ブルーフォード(ドラム)が、キング・クリムゾンのようなインプロビゼーション主体のロックを再びプレイしようと話をしたことに端を発する[注釈 1]

1976年、ウェットンとブルーフォードはエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)の音楽を発展させてアメリカ市場を開拓しようと思い立って、元イエスリック・ウェイクマンを誘ってキーボード・トリオの編成を試みた。しかしレコード会社[注釈 2]やマネージメント[注釈 3]の問題が生じて、リハーサルが数週間行なわれた時点で試みは挫折した[注釈 4]

1977年、ウェットン[1][注釈 5]が元ロキシー・ミュージックエディ・ジョブソン(キーボード、ヴァイオリン)を勧誘。キーボード・トリオのリハーサルの途中でギタリストの必要を感じたので、元ソフト・マシーンアラン・ホールズワース[注釈 6](ギター)を迎え、4人編成として始動した(第1期)。

1978年、ファースト・アルバム『U.K. (憂国の四士)』を発表。続いて行なわれたツアーでは新曲も披露されたが、メンバーの音楽性の不一致がいかんともしがたくなり、ホールズワースが解雇され、ブルーフォードも脱退[注釈 7]。ジョブソンとウェットンは、フランク・ザッパと活動していたテリー・ボジオ[注釈 8][2]を後任のドラマーに迎えて、キーボード・トリオとして再始動した(第2期)。

1979年、セカンド・アルバム『デンジャー・マネー』を発表。同年5月に「デンジャー・マネー・ツアー」で来日して東京、大阪、名古屋で全5公演を開催。同年、日本公演のライブ・アルバム『ナイト・アフター・ナイト (ライヴ・イン・ジャパン)』を発表。徐々にジョブソン色が強くなっていき、ウェットンとジョブソンの方向性に違いが生まれ、翌1980年のツアー後に解散した。ウェットンのインタビューによると「日本での異様な人気で、エディが有頂天になってしまい手がつけられない状態になっていた」。
解散後の動向(1980年 - 2010年)

ウェットンは1981年にジェフ・ダウンズスティーヴ・ハウカール・パーマーポップ性の強いスーパーグループエイジア」を結成。ジョブソンはソロ活動。ボジオはフランク・ザッパ時代の同僚らと「ミッシング・パーソンズ」を結成した。

1995年、ジョブソンとウェットンがU.K.を再結成するというニュースが広まり、ドラマーにカール・パーマーが決定したとの情報がインターネットで流れた。ウェットンは直ぐに根拠のないデマだと否定した。

1996年からジョブソンとウェットンで録音を開始。ブルーフォード全面参加、ロバート・フリップ参加、ブルガリア女声合唱団をフィーチャー予定云々と報じられたが、ジョブソンがCM音楽製作を優先させたことによって生じた作業の遅れと2人の仲違いが原因で、制作は空中分解状態に陥った。この時の音源の一部はウェットンのベース、ボーカルが差し替えられて、ジョブソンのソロ・プロジェクトとも称されるThe Bulgarian Women's Choir Angelite[3]名義のアルバム"Voices Of Life"(2000年)に収録された[4]

2007年、U.K.を受け継ぐバンド「UKZ」がジョブソンを中心にして結成された。元キング・クリムゾンのトレイ・ガンアレックス・マカチェク[注釈 9]を含んだ5人編成だった。

2009年6月、UKZの来日公演が行われ、ジョブソンにとって30年ぶりの来日が実現した。11月、ジョブソンが新たに結成したU-Zプロジェクトのポーランドでのライブにおいて、ウェットンとの共演が実現した。U.K.とキング・クリムゾンの曲も演奏された。
再始動 - バンドの終焉(2011年 - 2017年)

2011年、ジョブソンとウェットンを中心に、正式な再結成を果たす。4月、2度のアメリカでの公演の後、U.K.名義の2度目の来日公演。1979年5月以来の32年ぶりの公演で、東日本大震災の影響などで開催が危ぶまれたが、メンバーの思いもあって実現した。4月15日、16日、18日(追加公演)(全3公演が開催)、神奈川県川崎市川崎区のCLUB CITTA'に於いて、「CLUB CITTA' PRESENTS UK Reunion Japan Tour 2011」を開催した。

2012年5月にジョブソン、ウェットン、ボジオの第2期メンバーでアメリカ巡業を行った。5月後半のヨーロッパ巡業にはボジオは参加せず、ドラムにゲイリー・ハズバンド、ギターにマカチェクを再度入れた4人編成で公演している。6月14日から21日まで「Night After Night 2012」と銘打ち、ジョブソン、ウェットン、ボジオの編成で日本公演を行った[5]

2013年11月8日、CLUB CITTA'において、「CLUB CITTA' PRESENTS U.K. Special Live 2013」が催された。招聘元はCLUB CITTA'。(「U.K.」名義のスタジオ録音で発売した2枚のアルバム収録楽曲を、収録曲順に忠実に再現したライブ。「U.K.」名義では4度目の来日公演)

2014年4月、船上でのプログレ・ライブ・フェスティバル「Cruise to the Edge」に出演。ドラムはヴァージル・ドナティだった。

2015年、ファイナル・ツアーを開催し、4月に来日公演も行った。この年をもって再度の活動停止[6]

2017年、オリジナル・メンバーのウェットン[7]、ホールズワースが死去[8]。ジョブソンは様々な要因を理由にライブ活動からの引退を表明[9]。バンドは消滅した。
音楽性

U.K.の結成時の音楽シーンはパンクニュー・ウェイヴといったジャンルが主流だった。1960年代-1970年代のプログレッシブ・ロック的な雰囲気を多く残して演奏技術を前面に押し出す、という彼等の作風は日本やヨーロッパでは歓迎されたが、母国イギリスや最大の音楽市場であるアメリカでは、時代遅れと捉えられがちで売り上げにはつながらなかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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