UFC
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この項目では、格闘技団体について説明しています。その他の用法については「UFC (曖昧さ回避)」をご覧ください。

Ultimate Fighting Championship
商号UFC
市場情報NYSE: TKO
業種総合格闘技
設立1993年11月12日 (30年前) (1993-11-12)
創業者アート・デイビー
ホリオン・グレイシー
ボブ・メイロウィッツ 
本社 アメリカ合衆国
ネバダ州ラスベガス
主要人物.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

アリ・エマニュエル
(Endeavor、TKOグループ・ホールディングスCEO)

ダナ・ホワイト
(CEO 兼 社長)

従業員数400人 (2016年)
親会社Endeavor
TKOグループ・ホールディングス
部門UFC APEX
UFCファイトパス
UFCパフォーマンス・インスティテュート
ウェブサイトUFC公式サイト

Ultimate Fighting Championship
YouTube
チャンネル

UFC - Ultimate Fighting Championship

活動期間2006年3月4日 -
ジャンルスポーツ
登録者数1720万人
総再生回数72億6632万回
YouTube Creator Awards


登録者1,000,000人2006年
登録者10,000,000人2020年

チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年8月8日時点。
テンプレートを表示
UFC 74」での試合の様子

Ultimate Fighting Championship(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ、略称:UFC)は、アメリカ合衆国総合格闘技団体。世界最高峰の総合格闘技団体である。
概要

世界73か国以上から最高峰の選手が常時600名近く参戦し、29か国165都市で680大会以上を開催、172の国および地域において40の言語でテレビ放送されている、実力・人気共に世界最大の総合格闘技団体[1][2]

2016年7月にスポーツ史上最高額(当時)の買収額となる40億2500万ドル(約4400億円)でWME-IMG(現 Endeavor)に買収されているが、その後、主にESPNとの契約や国際放映権、スポンサー契約の上昇で企業価値はさらに上がり、2023年9月にTKOグループ・ホールディングス傘下となった際の企業価値は121億ドル(約1兆7800億円)と評価されている[3][4]。2023年のUFCの年間収益は13億ドル(約1958億円)、調整済みEBITDAは7億5600万ドル(約1139億円)となっている[5][6]

経済誌フォーブスが2024年4月に発表した格闘技プロモーションの企業価値ランキングは、1位 UFC 113億ドル(約1兆7700億円 / 年間収益:12億9000万ドル)、2位 WWE 68億ドル(約1兆700億円 / 年間収益:13億3000万ドル)、3位 AEW 20億ドル(約3100億円 / 年間収益:2億5000万ドル)、4位 ONE 13億ドル(約2000億円 / 年間収益:1億4000万ドル)、5位 マッチルーム・ボクシング 8億5000万ドル(約1300億円 / 年間収益:1億3400万ドル)、6位 PFL 6億9000万ドル(約1080億円 / 年間収益:1億1000万ドル)、7位 トップランク 6億3000万ドル(約990億円 / 年間収益:1億ドル)、8位 プレミア・ボクシング・チャンピオンズ 6億ドル(約940億円 / 年間収益:9500万ドル)、9位 ゴールデンボーイ・プロモーションズ 4億5000万ドル(約690億円 / 年間収益:7000万ドル)となっている[7]
歴史
黎明期

柔術家のグレイシー一族が様々な格闘技の猛者や道場破りと対戦する様子を収めたビデオ"グレイシー柔術・イン・アクション"を見て触発された広告代理店役員のアート・デイビーが、"War of the Worlds"と名付けた、最強の格闘技を決めるために、空手、ボクシング、カンフー、キックボクシングなどの格闘家をノールールの試合で戦わせる8人制の格闘技トーナメントを、映画監督脚本家でグレイシー柔術を習っていたジョン・ミリアスとグレイシー一族の1人であるホリオン・グレイシーに企画提案したのがUFC立ち上げの発端になり、ミリアスはクリイエイティブ・ディレクターに就任、デイビーは資金を調達してWOWプロモーションズを設立し、老舗ペイ・パー・ビュー配給会社のセマフォ・エンターテイメント・グループ(SEG)と1993年5月にパートナー契約を交わした。SEGは映像アートディレクターのジェイソン・クッソンに依頼して試合場の「 オクタゴン 」を製作し、大会の名称を"アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ"と命名するなど、UFCの基礎を構築することになる。

1993年11月12日、WOWプロモーションズとSEGが第一回大会のUFC 1コロラド州デンバーのマクニコルス・スポーツ・アリーナで共催。アート・デイビーはマッチメイカーを担当した。

1995年4月、UFC 5の大会後、アート・デイビーとホリオン・グレイシーはUFCの所有権をSEGに売却して、WOWプロモーションズを解散した。権利売却後もデイビーはマッチメイカーとコミッショナーとして1997年12月まで在籍した。

なお、黎明期の日本ではUFCではなくアルティメット大会と呼ばれることもあった[8][9][10]
ノー・ホールズ・バード禁止法

黎明期のUFCは、試合のルールがわずかしか規定されていなかった事に対して暴力的で危険であると批判を集めた一方で、ペイ・パー・ビュー(PPV)の契約数は数十万を獲得して興行としてはある一定の成功を収めた。しかしこの成功は、既得権益を脅かしかねないと、ボクシング業界に警戒感を抱かせることにもなる。社会的批判とボクシング業界からの圧力が高まる中、親ボクシング派のアメリカ共和党上院議員ジョン・マケインが、UFCは「人間による闘鶏」にすぎず、野蛮で危険であるとUFC禁止を訴え、テレビに出演してUFC批判を繰り広げたり、アメリカ国内全50州の知事へUFCを追放するよう要請する書簡を送るなど、バッシングキャンペーンを展開した。この結果ニューヨーク州を含む36州が総合格闘技を禁止するノー・ホールズ・バード禁止法(ノー・ホールズ・バードは当時の総合格闘技の呼び名)を制定した。また、総合格闘技を禁止しなかった州でも、ネバダ州のように、スポーツ興行を管轄するアスレチック・コミッションが、UFC自体に大会開催許可を出さない州が出始め、UFCは規制の緩い州や海外を転々とするしか無くなり追い詰められていった。さらに、1997年にマケインが上院議会の 商業委員会委員長に就任すると管轄下のペイ・パー・ビュー業界に働きかけ、それまでUFCのペイ・パー・ビューを放送していたケーブルテレビ会社を次々に撤退させた。このためUFCのペイ・パー・ビューはマイナーな存在である衛星放送テレビでの放送を余儀なくされ、ペイ・パー・ビューの販売も低迷して、経営状況はさらに悪化していった[11][12]

UFCコミッショナーのジェフ・ブラトニックとレフェリーのジョン・マッカーシーはこの状況を解決すべく、アメリカ各地のアスレチック・コミッションを回って総合格闘技を啓蒙しつつ、アスレチック・コミッションと調整・協議を重ねて協調を図り、UFC 12(1997年2月7日)で階級制の導入、UFC 14(1997年7月27日)でオープンフィンガーグローブ着用の義務化、UFC 15(1997年10月17日)で禁止行為の指定、UFC 21(1999年7月16日)でラウンド制の導入、と徐々にルールを整備して競技化を進めた。そして2000年9月に、この地道な活動が実を結び、ニュージャージー州がアメリカで初めて総合格闘技を認可するようになるまでに至った。
ユニファイド・ルール

2000年11月17日、UFCとして初めてアスレチック・コミッションから認可を受けた大会となったUFC 28ニュージャージー州で開催。現代総合格闘技の礎となっているルールである、ニュージャージー州アスレチック・コミッションが制定した統一ルール(通称”ユニファイド・ルール”)に従って試合が執り行われた(UFCが開催する約2か月前の9月30日にアメリカ合衆国で初めてアスレチック・コミッションから認可を受けた大会をIFCが同州で開催している)。

ルールが整備され競技化が進むことにより、選手の技術が洗練されレベルが向上した。結果、格闘技のバックボーンを持たない喧嘩屋や技術レベルの低い選手は淘汰され、黎明期の喧嘩さながらの試合は見られなくなった。
ズッファによる買収

2001年1月、財政状況の悪化で破綻の危機に瀕していたSEGは、ラスベガスでカジノホテル「ステーション・カジノ」を経営するロレンゾ・フェティータとフランク・フェティータ三世、そしてロレンゾのビジネスパートナーのダナ・ホワイトにUFCを200万ドルで売却。フェティータ兄弟はUFCを管理・運営するための親組織としてズッファを設立した。

ロレンゾ・フェティータがネバダ州アスレチック・コミッションの元コミッション委員だったことで、ほどなくしてネバダ州は総合格闘技を認可、これにより総合格闘技の大会を世界の格闘技の中心地であるラスベガスで開催出来るようになった。

2001年9月28日、初めてネバダ州アスレチック・コミッションに認可を受けた大会となったUFC 33を開催。

ズッファの運営により、ケーブルテレビでのペイ・パー・ビュー放送の再開、スポンサー獲得、MGMグランド・ガーデン・アリーナなどのラスベガスのホテル会場での大会開催、2002年6月にはFOXスポーツネットとテレビ放送契約を交わすなど業績を上げていくが、ズッファの投資は3400万ドルにも膨らんでいった。
ジ・アルティメット・ファイター

投資が膨らみ運営危機に直面していたズッファはペイ・パー・ビュー以外の新たな事業を模索し始め、フェティータ自身達が以前リアリティ番組に出演した際にプロモーション効果を実感した経験があったことで、新人UFCファイターの発掘・育成をテーマとするリアリティ番組「ジ・アルティメット・ファイター」の開始を決める。しかし、ジ・アルティメット・ファイターの企画はことごとくテレビ局から却下されてしまい、最終的に番組制作費の1000万ドルをズッファが自己負担する条件でSpike TVで放送することが決定した。

2005年1月から放送を開始したジ・アルティメット・ファイターはすぐに人気を集め、後にUFCで活躍するスター選手を発掘しただけでなく、決勝戦で行われたフォレスト・グリフィンステファン・ボナーの試合が、ダナ・ホワイトが「UFCを救った試合」と称える激闘となるなど、社運をかけたジ・アルティメット・ファイターは大成功を収めた。人気を博したジ・アルティメット・ファイターはシリーズ化されることになり、UFCがFOXへ移籍をする2012年までの間に14回のシーズンがSpike TVで放送され、FOXでも28回までシーズンが続いた。また、ジ・アルティメット・ファイターの成功を受けて、Spike TVは、UFCの過去の大会からピックアップした試合を放送する番組「UFCアンリーシュド」とペイ・パー・ビュー大会のプロモーション番組「Countdown」の放送を開始、2005年8月6日からは試合生中継番組「UFCファイトナイト」の放送を開始した[13]

これらの番組が原動力となり、2006年5月27日のマット・ヒューズホイス・グレイシーをメインにしたUFC 60ではペイ・パー・ビューの販売件数が62万件を記録、2006年7月8日のジ・アルティメット・ファイター・シーズン3のコーチ対決ティト・オーティズケン・シャムロックを組んだUFC 61では77万5千件を記録、2006年12月30日のチャック・リデルティト・オーティズをメインにしたUFC 66ではUFCで初めてペイ・パー・ビューの販売件数が100万件超えを記録するなど盛り上がりを見せて、ペイ・パー・ビューの年間販売件数で初めてボクシングとWWEを超え、UFCが急躍進した年となった。

2006年3月、ネバダ州アスレチック・コミッションの元エグゼクティブ・ディレクターのマーク・ラトナーがUFCに規制担当副社長(ヴァイスプレジデント)として入社。ラトナーは過去にジョン・マケインと共にテレビ出演などをしてノー・ホールズ・バード・バッシングキャンペーンを繰り広げた人物であったが、アスレチック・コミッションで長く働いた経験と繋がりを活かし、まだ総合格闘技を禁止していた州のアスレチック・コミッションや議員に総合格闘技を認可するよう働きかける仕事を主に担当した。ラトナーが入社した当時、全米で総合格闘技を認可している州は19州ほどしかなかった[14]

2006年12月、活動停止した総合格闘技団体WFAを買収、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンリョート・マチダヒース・ヒーリングマルティン・カンプマンらWFAの主力選手を獲得した[15]。さらに、総合格闘技団体WECを、放送していたテレビ局Versusのテレビ放送契約とまとめて買収した。WECは、UFCに吸収合併されたWFAとは異なり、UFCとは別にバンタム級とフェザー級を中心とした軽量級の大会として独自に大会を開催し、独立した運営で存続された[16]

2007年5月、総合格闘技の選手として史上初めて、ロジャー・ウエルタがメジャー・スポーツ誌「スポーツ・イラストレイテッド」の表紙を飾る。同じ月に、同様にチャック・リデルがメジャー・スポーツ誌「ESPNマガジン」の表紙を飾った。
PRIDEの買収

2007年3月27日、ロレンゾ・フェティータが日本の総合格闘技団体PRIDEを6700万ドルで買収し[17]、運営会社として新会社「PRIDE FC WORLDWIDE」を設立した。


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