UCLA
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1969年10月29日にキャンパス内で行われたARPANET(国防総省高等研究計画局通信ネットワーク)上でのデータ送信実験は、インターネットが誕生した瞬間とされ、「インターネット誕生の地」としても知られる[10]
概観

UCLAはカリフォルニア州ロサンゼルスに大学本部があり、419エーカーの広さを誇る大学キャンパスには、163の建物があり、100以上の学部・学科を有する。

UCLAの学部課程への入学希望の出願者数は2003年以来、例年全米最多であり、2020年には出願者数が13.9万人を突破し、出願数最多記録を更新した。

UCLAは、2021年度秋学期には139,485人が出願し、15,004人が合格した。合格率は10.8%と、同大学系列のバークレー校の14.5%を下回り、公立大学としては最も低い合格率である。

UCLAは名門公立大学の集まりであるパブリック・アイビーの一校であり、2017年までに、教授・卒業生・大学関係者から計24人のノーベル賞受賞者が輩出している[11]パシフィック12カンファレンスのうちの1校である。
略歴

UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の起源は、1881年3月に南カリフォルニア地域における教員養成を目的としてカリフォルニア州議会によって設立されたCalifornia State Normal School(現在のサンノゼ州立大学)の分校に遡る。

1882年8月にThe State Normal School at Los Angelesとして正式に開校し、教員の研修を目的とした小学校が付属する、南カリフォルニア地域での中心的な教育機関となる。

1887年にはLos Angeles State Normal Schoolと改称され、施設規模・学生数ともにより規模の大きなものとなる。

1914年にハリウッド地区バーモント通りに全施設が移設された。

1919年5月、教育施設、教育内容充実のために南カリフォルニア選出の議会代表員の請願を経て、カリフォルニア大学南部分校として2年制の教養課程を有した大学校へと昇格した。同校は同年の9月に開校し、初年度には1,500人の学生が同校の教養課程へ入学した。1925年には100人の女子学生、25人の男子学生に文学士号が授与され、同校初の学士が誕生した。

1927年に、分校から大学へと格上げされ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (University of California at Los Angeles、 UCLA) へと改称された(1958年にatがコンマ(,)に置き換えられ、現在の校名(University of California, Los Angeles, UCLA、ユーシーエルエー)となる。)。

同年、改称とともに現在の大学所在地ウェスト・ウッドに400エーカーの土地を州政府が購入、パウエル・ライブラリーやロイス・ホール等の施設が建設され、UCLAは大学としての諸整備が行われた。

1929年にUCLAは、新たなキャンパスでの授業が開始され、5,500人が学部生として入学する。

1933年には卒業生、所属教授、事務関係者、地域関係者からの強い要請に呼応する形で、UCLAに修士課程が設置され、修士号授与許可が下りた。

1936年にはUCバークレーの反対を押し切る形で、UCLAは大学独自に博士課程を設置し、博士号の授与を始めた。

しかしUCLAは、以前のカリフォルニア大学の一分校としてのイメージが世間には色濃く残っていた。UCLAの大学当局はそうしたイメージを払拭すべく、1951年に独自に「学長」を置き、UCバークレーから完全に独立した大学運営を確立しようとした。しかし、UCバークレーの大学首脳陣はUCLAの独立した大学運営を快く思わず、双方の大学当局は対立した。

1960年にUCLAの学長に選出されたフランクリン・マーフィーは、開明的な大学の運営改革を行い、それが功を奏し、UCLAはバークレー校からは完全に独立した大学運営を確立することに成功する。
キャンパス
キャンパス内施設

UCLAが現在のウェストウッド(Westwood)の地に移設された際には、4つの施設しか存在しなかったが、現在では419エーカーの敷地内に163の施設が存在する。キャンパスは、ロサンゼルス市の西部、ウェストウッド商業地区の北部、有名なサンセット大通りの南部に位置し、ブレントウッド、ビバリーヒルズ、ベル・エアー等の高級住宅街に隣接する。

移設時に建設された4施設は、地元の建築設計事務所Allison & Allisonによって設計され、ロマネスク様式で統一されていた。1950年までに建設された施設は同様式で統一されていたが、建築設計事務所・設計者がWelton Becketに変わったことから、ミニマリズムがベースの建物がキャンパス拡張と共に多くなった。

UCLAのキャンパスは北部と南部にキャンパスがわかれている。移設時に大学施設の中心であった北部キャンパスにはロマネスク様式の建物が多く存在し、人文科学、社会科学、芸術系学部、法科大学院、ビジネス・スクール関連施設が存在する。南部キャンパスは生命科学、物理化学、数学、心理学部の施設そしてUCLAメディカル・センターをはじめとする健康科学関連の施設が存在する。キャンパス内の施設が常に改築や建設中の状態にあり、学生間では「Under Construction Like Always(UCLA:いつも工事中)」と揶揄(やゆ)されている。マーフィー銅像庭園

UCLAの大学のキャンパス内には芝生、銅像庭園、噴水、博物館等が多く点在し、良質の学習・研究環境を提供している。その美しい景観から観光名所として世界各国からの訪問が多くあり、学生による観光客向けのキャンパス・ツアーも実施されている。エンターテイメント産業の中心地であるハリウッドに近いという地理的理由から、アーティストや映画人が輩出しており、映画・テレビの撮影に使われることも多い。UCLAのキャンパスで撮影された主な映画は「エリン・ブロコビッチ」、「アメリカン・パイ2」、「アダルト♂スクール」、「キューティ・ブロンド」(ハーバード・ロー・スクールが舞台だが撮影場所はUCLA)等がある。韓国ドラマ、ラブストーリー・イン・ハーバードでもUCLAの施設が撮影に利用された。

UCLAのカフェテリアは味、種類の両面でとても評価が高く、不評なことが多い大学のカフェテリアには珍しく学生の満足度も高い。カフェテリアでは世界各国の料理が楽しむことができ、様々な学生の要求にこたえられるように、いろいろな工夫が施されている。一例として、菜食主義者、非菜食主義者どちらも満足の行く食事ができるよう菜食主義者用の食事と非菜食主義者の2種類が用意されている。また、昼食の際の広大なキャンパス間の移動の手間を省くため昼食用にセルフ・サービスでサンドイッチを作るコーナーも用意されている。また、大学生協にあたるUCLAストアの2階にはTSUNAMIという日本食(主に寿司)と日本製のゲーム機を提供する一画が、また、Rieber Hallの後方にある小規模の売店Hilltopにもアボカド入りの寿司やいなり寿司が売られているなど、日本人にとって比較的住みやすい環境だと言えよう。
学部・研究科ウィルソンプラザ

UCLAには学部課程に5つの学部 (School) 、研究課程に7つの専門大学院がある。また、健康科学研究機関としてこれら関係分野に4つの専門大学院が付設されている。2008年現在、学部課程に25000人、研究過程(大学院)に11000人の学生が在籍している。学部課程、研究過程に在籍する学生の大半が下記の教養学部 (The College of Letters and Science) に所属している。

1923年に創設されて以来、UCLAの中心的学部となっている教養学部 (The College of Letters and Science) には34の学科があり、129の学部課程専攻分野で900人の教授が教鞭をとっている。教養学部で提供されるプログラムは下記の5分野に大別される:

人文科学 (Humanities)

社会科学 (Social Sciences)

生命科学 (Life Sciences)

物理科学 (Physical Sciences)

国際機関 (The International Institution)

図書館

UCLAの図書館群には800万冊以上の蔵書があり、その蔵書数は全米中の全ての教育・研究機関中11位にランクされる。学内最古の図書館であるユニバーシティー・ライブラリー(通称パウエル図書館)は1884年に建設され、パウエル図書館の名前は1944年に図書館長に任命されたローレンス・パウエルに因んで名付けられた。1973年に図書館長に任命されたページ・アッカーマンは、UCLA級の巨大図書館の館長に任命された全米初の女性となった。現在の図書館長は、2003年8月に着任したゲーリー・ストロング。パウエル図書館

UCLAのシンボルであり、図書館群の中心的存在であるパウエル図書館は、学生の勉強の場として幅広く利用されている。定期試験期間中には開館時間が延長され、24時間の利用が可能である。試験期間中は学生が図書館に泊り込み勉強する姿が多く見られる。法科大学院図書館とは異なり、パウエル図書館への入館に際して特別な制限はない。(深夜の入館・利用にはID(Bruin Card)が必要)
医療研究機関

UCLAにはデイヴィッド・ゲフィン医科大学院 (David Geffen School of Medicine) をはじめとする4つの健康科学分野の専門大学院が付設されている。各大学院共に全米トップクラスの研究・教育実績を誇り、米国のみならず世界的な医療研究の拠点となっている。2005年には、カリフォルニア州政府によってUCLA内に新たに幹細胞研究機関を設置する5カ年計画が発表され、この分野でも、世界的研究拠点になることが期待されている。主要な研究機関の一つであるカリフォルニア・ナノシステム研究所 (The California NanoSystems Institute) はナノテクノロジー分野での先駆的研究を目標として、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の協力の下共同設置された[12]

UCLAメディカル・センターはサンタモニカ市内とロサンゼルス市内に主要医療施設を有し、ハーバーUCLAメディカル・センター (Harbor-UCLA Medical Center) ,オリーブ・ヴューUCLAメディカル・センターそして西海岸最大の非営利私立病院、セダーズ・サイナイ・メディカル・センターにて医療教育を行っている。1981年にUCLAのメディカル・センターの准教授、マイケル・ゴットリーブが世界で初めて、後にAIDSと命名され世界中に知られることとなる症状を診断し世界にその名をとどろかせた。UCLAはPETスキャンによる脳機能研究でも先駆的研究機関として知られる。

2012年のUSニューズ&ワールド・レポート誌によるランキング (Best Hospitals 2012) では、UCLAメディカル・センターは西海岸で最良の医療研究機関とされ、ジョンズ・ホプキンス大学付属病院 、メイヨー・クリニックなどに次ぐ全米第5位と高い評価を得ている[13]
スポーツ2006年、UCLA vs FSU戦カレッジ・スポーツで使用されるUCLAのロゴ

カレッジ・スポーツ分野でのUCLAの活躍は学問分野における活躍と同様に目覚しく、全米中で各チームが強豪として知られる。UCLAのマスコットはブルーインズと呼ばれる熊で、チーム・カラーは"True Blue"と呼ばれる青と金 (このカラーは全カリフォルニア大学システムの大学に共通) 。パシフィック12カンファレンス に属する。

UCLA男子フットボール・チームは、パサデナ市内のローズボウルを活動本拠地として有し、男子・女子バスケットボール・チーム、バレーボール・チーム、女子体操チームはキャンパス内施設、ポーリー・パビリオンを活動拠点としている。その他にもUCLAは男子・女子クロス・カントリー、サッカー、漕艇、ゴルフ、テニス、水球チームを有する。

大学マスコットは熊 (Bruins) のジョーとジョセフィーンで公式応援歌は "Sons of Westwood"、 "Mighty Bruins"、校歌は "Hail to the Hills of Westwood" とされている。公式応援歌である "Mighty Bruins" は1984年に発表され、同年の対スタンフォード戦より応援歌として使用されている。歌詞は卒業生・在校生より募集され、2人の在校生の詞が採用された。作曲はアカデミー音楽賞受賞者である、ビル・コンティが担当し、先述の対スタンフォード戦でのお披露目ではコンティ自身が指揮した。


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