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UB125
〇六潜水艦
横須賀に停泊する〇六潜水艦(旧UB125)
基本情報
運用者 ドイツ帝国海軍
大日本帝国海軍
艦種潜水艦
級名UBIII型潜水艦
艦歴
計画ヴェーザー社
発注1917年2月28日
起工1917年7月19日
進水1918年4月16日
竣工1918年5月18日
その後1918年11月20日接収。日本海軍に引き渡され〇六潜水艦に改名
1925年12月26日雑役船に編入、橋船に指定され公称第2630号に改名
要目
排水量510トン
水中排水量650トン
全長55.9m
最大幅5.8m
吃水3.68m
機関6気筒ディーゼルエンジンx2基
推進2軸
出力水上:1,060ps
水中:788ps
速力水上:13.9kt
水中:7.6kt
燃料重油
航続距離水上:6ktで9,040海里
水中:4ktで55海里
潜航深度安全:50m
乗員34名
兵装30口径8.8cm単装砲x1門
50cm魚雷発射管x5門(艦首4門、艦尾1門)/魚雷x10本
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UB125は、ドイツ海軍のUBIII型潜水艦(Uボート)、沿岸用小型潜水艦。 1917年2月28日に建造が計画され、ブレーメンのヴェーザー社で1917年7月19日に起工。1918年4月16日に進水し、1918年5月18日に竣工した。 第一次世界大戦では哨戒任務を2回行い、以下の戦果を挙げた。
艦歴
1918年
8月29日 - .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯52度09分 西経06度03分 / 北緯52.150度 西経6.050度 / 52.150; -6.050
8月30日 - 北緯50度27分 西経05度22分 / 北緯50.450度 西経5.367度 / 50.450; -5.367
1918年11月20日、戦争終結によりハリッジで投降し、連合軍に接収された。
1918年12月14日、日本に割り当てられ、19日に受領。〇六潜水艦(仮称)と改名された。
1919年(大正8年)1月10日、駆逐艦柏に曳航されてハリッジを出港するも、同日1600、ドーバー沖で柏の曳航索滑り止め用金具が破損して曳航不能となったため引き返し、1813にダウンスに到着。16日に自力でダウンスを出港し、17日にポートランドに到着。
試運転の後、2月18日にポートランドを出港。ブレストを経由してスペインのフェロールに向かう途中の26日、機械と潜舵軸が故障するも、無事27日にフェロールに到着。
3月2日、フェロールを出港し、ジブラルタルを経由して16日にマルタ島に到着。18日、工作艦関東が受領。補給の後、4月8日に第二特務艦隊の手によってマルタ島を出港。途中で補給を受けながらアレクサンドリア、ポートサイド、アデンを経由し、29日1015に駆逐艦柏と会合。5月7日にコロンボに到着。補給の後、10日にコロンボを出港。ペナン、シンガポールを経由。6月4日1230からは駆逐艦梅に曳航され、7日に馬公に到着。補給の後、11日に馬公を出港し、館山を経由して18日に横須賀に到着し整備を受ける。
日本海軍籍には編入されず、整備の後潜水艦の実験や訓練等に利用された。
1921年(大正10年)に佐世保海軍工廠にて艤装解体工事が行われたが、船体は解体されず、そのまま保管された。
1925年(大正14年)12月26日、雑役船に編入され、橋船に指定されて公称第2630号に改名された。橋船とは雑役船(交通船)の発着場、あるいは浮桟橋として使用される船のことで、公称第2630号は佐世保海軍工廠に配属された。
第一次世界大戦での活動で、6隻(13,307トン)を撃沈し、1隻(6,082トン)に損傷を与えた。 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2020年1月)
艦長
U125
フリッツ・シューベルト(Fritz Schubert) 海軍大尉:1918年5月18日 - 1918年7月20日
ヴェルナー・ファーター(Werner Vater) 海軍中尉:1918年7月21日 - 1918年11月11日
〇六潜水艦
樋口修一郎 海軍大尉:1919年1月7日 - 1919年3月18日
有本彰 海軍大尉:1919年3月18日 - 1919年7月24日
脚注^ 同船は「ネイルシー・リバー」(Nailsea River)に改名後の1940年9月15日、独軍機の空襲で撃沈されている。
^ 同船は8月3日にUC40の砲撃を受けて大破放棄されていた。
参考文献
アジア歴史資料センター(公式)
Ref.C08021324200『雑役船に関する件』。
勝目純也『日本海軍の潜水艦』大日本絵画、2010年。
外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9