U862_(潜水艦)
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U862
伊号第五百二潜水艦
昭和20(1945)年秋、シンガポールのセレター(Seletar)軍港における妙高と横付け中の伊501(左)と伊502[1]
基本情報
運用者 ナチス・ドイツ海軍
 大日本帝国海軍
艦種潜水艦
一等潜水艦
級名IXD/2型Uボート
艦歴
計画AVヴェーザー造船所(ブレーメン
発注1941年6月5日
起工1942年8月15日
進水1943年6月8日
竣工1943年10月7日
除籍1945年11月30日
その後1946年2月15日、海没処分
要目
排水量1,616トン
水中排水量1,804トン
全長87.60m
水線長68.50m
最大幅7.50m
水線幅4.40m
高さ10.20m
吃水5.40m
機関ディーゼルエンジンx2基
電動機x2基
推進2軸
出力水上:4,400ps
水中:1,000ps
速力水上:19.2kt
水中:6.9kt
航続距離水上:12ktで23,700海里
水中:4ktで57海里
潜航深度230m
乗員55名または64名
兵装10.5cm砲x1門
3.7cm高角砲x1門
2cm Flakvierling38x1基
53cm魚雷発射管x6門(艦首4門、艦尾2門)/魚雷x24本
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U862は第二次世界大戦時のドイツ海軍潜水艦Uボート)。IXD/2型ナチス・ドイツ降伏後は大日本帝国海軍に接収され、伊号第五百二潜水艦(いごうだいごひゃくにせんすいかん)となった。U862は7隻、42,374トンの船を沈めている[2]
艦歴

U862はブレーメンのデシマーク、AVヴェーザーで1942年8月15日に起工され、1943年6月8日に進水。同年10月7日に就役した。艦長は Heinrich Timm であった。[2]
1回目の哨戒

U862は1944年5月にドイツを離れ、同年9月にペナンに到着した。ペナンはモンスーン戦隊と呼ばれる第33潜水隊群の基地であった。

ペナンへの航海中、U862はタンカーに対してG7es音響追跡魚雷を発射した。だが、魚雷が円を描いてU862の方へと戻ってきた。U862は急速潜航して難を逃れた。1944年8月20日にはイギリス空軍第265飛行隊(No. 265 Squadron RAF)のPBYカタリナ飛行艇撃墜した。そのほか、モザンビーク海峡で何隻かの商船を沈めている。
2回目の哨戒

U862は1944年12月にバタビアから出撃。オーストラリアの西を南下し、タスマニアの南を通過してシドニー沖へと向かい、同年12月25日にアメリカのリバティ船ロバート・J・ウォーカー (Robert J. Walker) を沈めた。次いでニュージーランド方面へ向かい、それからインド洋に戻った。1945年2月6日、フリーマントルの南西約1,520 kmでラバを載せてビルマへ向かっていたアメリカのリバティ船ピーター・シルヴェスター (Peter Silvester) を沈めた[3]
日本による接収

ナチス・ドイツ連合国降伏したため、1945年昭和20年)5月6日に帝国海軍が接収し、7月15日艦籍に入って伊号第五百二潜水艦となる。呉鎮守府籍となり、第一南遣艦隊付属となった。入籍が戦争末期であったため活躍することなく終戦を迎え、同年11月30日に除籍された。1946年(昭和21年)2月15日、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯03度05分 東経100度38分 / 北緯3.083度 東経100.633度 / 3.083; 100.633のマラッカ海峡海没処分となった後、イギリス軍フリゲート爆雷により破壊された。沈没地点の水深は95 mあるとされる。
戦果一覧

日付船名国籍トン数(GRT)位置死者数積荷、乗船者
1944年7月25日Robin Goodfellow アメリカ合衆国6,885南緯20度03分 西経14度21分 / 南緯20.050度 西経14.350度 / -20.050; -14.35068
(生存者なし)クロム鉱石8,602トン
1944年8月13日Radbury イギリス3,614南緯24度20分 東経41度45分 / 南緯24.333度 東経41.750度 / -24.333; 41.75023石炭4?5,000トン
16 August 1944年8月16日Empire Lancer イギリス7,037南緯15度00分 東経44度00分 / 南緯15.000度 東経44.000度 / -15.000; 44.000422,000トン
軍需物資1,000トン
1944年8月18日Nairung イギリス5,414南緯15度00分 東経42度00分 / 南緯15.000度 東経42.000度 / -15.000; 42.00092
(生存者なし)弾薬
1944年8月19日Wayfarer イギリス5,068南緯14度30分 東経42度20分 / 南緯14.500度 東経42.333度 / -14.500; 42.33351銅3,000トン
石炭2,000トン
1944年12月24日Robert J. Walker アメリカ合衆国7,180南緯36度35分 東経150度43分 / 南緯36.583度 東経150.717度 / -36.583; 150.7172空荷
1945年2月6日Peter Silvester アメリカ合衆国7,176南緯34度19分 東経99度37分 / 南緯34.317度 東経99.617度 / -34.317; 99.61733陸軍補給品2,700トン
ラバ317頭
兵士107名

伊号第五百二潜水艦歴代艦長
艦長
山中修明
少佐:1945年(昭和20年)7月15日 -

脚注[脚注の使い方]^ #【決定版】写真 太平洋戦争 (5) p.278
^ a b Helgason, Gudmundur. “ ⇒The Type IXD2 boat U-862”. German U-boats of WWII - uboat.net. 2010年3月9日閲覧。
^ ピーター・シルヴェスターは1943年(昭和18年)4月29日に伊19の雷撃を受けている。

外部リンク

Helgason, Gudmundur. “ ⇒
The Type IXD2 boat U-862”. German U-boats of WWII - uboat.net. 2014年12月7日閲覧。










大日本帝国海軍潜水艦の艦型
国旗は建造国
一等潜水艦

海大型

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