U2のボノの作品
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アイルランド出身のロック・バンドU2ボノ名義の作品を列記する。

参考:「U2の作品」「U2の他の作品」「U2のジ・エッジの作品」「U2のアダム・クレイトンの作品」「U2のラリー・マレン・ジュニアの作品
プロディガル

Fear of Falling『Like a Lion 』(1983)収録。[1]

Prodigal

Fear of Fallingは、元はCrown AgentというUKのクリスチャンロックバンドで、ツアーをしながらデビューのチャンスを窺っていたところ、EPをリリースする段になってFear of Fallingに改名。このバンド名でロンドンのパブでライブ活動をしていた。そしてEP『Like a Lion』をレコーディングしている際、ボノがスタジオを訪問しプロデュースを申し出たのだという。ボノは「Prodigal」という曲をプロデュースし、ジャケットにはBonoVoxの名前でクレジットされている。このシングルはフランスのExcellent recordから12インチシングルとしてリリースされたが、Fear of Fallingが商業リリースした作品はこれだけである。
ハビング・ア・ワンダフル・タイム・ウイッシュ・ユー・ウアー・ハー

T・ボーン・バーネット『Behind the Trap Door』 (1984)収録。[2]

Having a Wonderful Time Wish You Were Her (Studio Version)

バーネットのマネージャーだったエレン・ダーストという女性が、Principle ManagementでU2のニューヨークでのマネジメントも担当していた関係で、彼女が2人を引き合わせた。[3]

ボノがこの曲で共作者としてクレジットされている。この曲に着いてボノは「僕はこの曲が大好きなんだけど、僕が書いたのはほんの少しだ。バーネットがこの曲の半分を書いた。本当にいい曲だ。僕は彼の最後のアルバムで「Purple Heart」という曲を一緒に書いた。僕たちは他の作品も一緒に作ろうとしていた。彼の次のLPになるはずだった作品で、これまで尋ねられたすべての質問に答えるという内容だった。仮タイトルは「I Can Explain Everything」だ。バーネットの志は彼の身長と同じくとても高かった」と述べている。

このEPはUKとヨーロッパだけでリリースされてすぐに廃盤になったが、2007年に5000枚限定でリリースされた『Proof Through the Night & The Complete Trap Doo』rというアルバムに収録されている。

ボノとバーネットはずっと交流があって、コーエン兄弟とDMZレコーズというレーベルを作ったこともある。[4]
ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?

Band Aid『Do They Know it's Christmas?』(1984)収録。

Do They Know it's Christmas? (Single Version) - Band Aid

Feed the World (Studio Version) - Band Aid

Do They Know It's Christmas?

ボブ・ゲルドフが主導したエチオピアの飢饉救済チャリティソング。ボノがリードヴォーカルの一節を担当し、アダムがバックコーラスで参加している。[5]シングルはイギリスだけで350万枚を売り上げる大ヒットとなった。
サン・シティ

Artists Against Apartheid『Sun City』(1985)収録。

Sun City (Album Version) - Artists Against Apartheid (featuringボノ)

Sun City (Version II) - Artists Against Apartheid (featuring ボノ)

Sun City (The Last Remix) - Artists Against Apartheid (featuring ボノ)

Silver and Gold (Solo Version) -ボノ, キース・リチャーズ, & ロン・ウッド

Sun City(7" Edit) - Artists Against Apartheid (featuring ボノ)

→「Sun City
イン・ア・ライフタイム

Clannad『Macalla』(1985)収録。[6]

In a Lifetime

Clannadはエンヤのお姉さんモイア・ブレナンが在籍するアイルランドを代表するバンドで、ボノは「In a Lifetime」という曲でブレナンとデュエットしている。[7]

「In a Lifetime」は1986年にシングルカットされ、IRE5位、UK7位と大ヒット。1989年、1990年にも再度シングルカットされている。Clannadの最大のヒット曲であるとともに、ボノのソロワークとしても最大のヒット曲である。

またPVも作られ、監督はメイアート・エイビス。撮影場所はClannadの故郷であるドニゴール州のグウィドーである。

デイブ・マッキーンというイギリスのイラストレーターはこの曲のPVを観て、彼のヒット作漫画『Sandman』のデザインと『Preludes and Nocturne』というグラフィックノベルのキャラクターを思いついたということである。
ブリッジ

Cactus World News『The Bridge』(1985)[8]

The Bridge (Single Version) - Cactus World News

The Other Extreme" (Single Version) - Cactus World News

Frontiers(Single Version) - Cactus World News

U2のレーベル、マザー・レコードからリリースされた2枚目のシングル。1985年、Cactus World Newsのライブを見たボノは、そのパフォーマンスを気に入り、マザー・レコード からシングルを1枚リリースしたいとバンドに申し出、さらに、それまでやったことはなかったが興味があったプロデュースをやらせてもらえないかとバンドに頼んだ。バンドはこれに同意し、マザー・レコードからの最初のシングルとして3曲をレコーディングした。レコーディングは、1985年1月から7月にかけてダブリンのウィンドミル・レーンで行われ、同年11月にリリースされた。

その後、Cactus World Newsは1986年のアルバム『Urban Beaches』に収録するために「The Bridge」を再レコーディングしたが、この時はThe Rolling Stonesとの仕事で有名なクリス・キムジー[9]がプロデューサーを務めた。

シングル「The Bridge」は、2001年のアルバム『Urban Beaches』のリマスター盤『Urban Beaches 2001』にボーナストラックとして収録された。ボノがプロデュースしたこれらの曲がCDでリリースされたのはこれが初めて。
クィーン・オブ・ノー・ハート/スプリング・イズ・カミング・ウィズ・ア・ストロベリー・イン・ザ・マウス


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