Travis_Japan
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(もりた みゅうと) (1995-10-31) 1995年10月31日(28歳)    白[16]兄組[18]。Love-tuneと兼任していた[20][21]
梶山 朝日
(かじやま あさひ) (1998-11-09) 1998年11月9日(25歳)    紫[16]弟組[18]

メンバー変遷
初期
[18]
吉澤閑也、中村海人、阿部顕嵐、宮近海斗、梶山朝日
2012年『PLAYZONE』出演決定時[注 1][18]
仲田拡輝、川島如恵留、七五三掛龍也、森田美勇人、吉澤閑也、中村海人、阿部顕嵐、宮近海斗、梶山朝日
2016年10月 -
仲田拡輝、川島如恵留、七五三掛龍也、森田美勇人、吉澤閑也、中村海人、宮近海斗、梶山朝日
2017年3月 -
川島如恵留、七五三掛龍也、森田美勇人、吉澤閑也、中村海人、宮近海斗、梶山朝日
2017年9月 -
川島如恵留、七五三掛龍也、吉澤閑也、中村海人、宮近海斗、梶山朝日
2017年10月 -
川島如恵留、七五三掛龍也、吉澤閑也、中村海人、宮近海斗
2017年11月19日[19] -
川島如恵留、七五三掛龍也、吉澤閑也、中村海人、宮近海斗、松倉海斗、松田元太
来歴
2012年 - 結成・メンバー流動期

2012年2月に日生劇場で行われていた舞台『ABC座 星(スター)劇場』を観劇していた吉澤・中村・阿部・宮近・梶山の5人と他のジャニーズJr.数人が幕間にリハーサル室に呼ばれ、そこで初めて振付師のトラヴィス・ペインに出会い、レッスンを受ける[18]。この時、のちに兄組[注 3]と呼ばれる当時JR.Aとして活動していた仲田・川島・森田・七五三掛の4人もおり、メンバーは初対面を果たす[18]。そこでTravis Japanが結成されたが、当初のメンバーは、のちに弟組[注 2]と呼ばれる吉澤・中村・阿部・宮近・梶山の5人だけだった[18]。しかしその後、情報局から発行された会報には、Travis Japanとして、兄組と合わせた9人が7月からの舞台『PLAYZONE'12 SONG & DANC'N。PARTII。』に出演する旨が書かれており、本人達が増員の事実を知ることになる[18]

当時は『PLAYZONE』限定で活動をするグループだった[18]。しかし青山劇場の閉館に伴い、『PLAYZONE』は2015年1月の舞台を最後に終演することになる[17][22]。その後、2015年7月の『近藤真彦 35周年ツアー 2015』のバックダンサーに起用され[23][24]、この公演を観に来た松本潤から、直々にバックダンサーの指名を受ける[18]。以降、タッキー&翼らのバックダンサーを務めるようになる[6]

一方で、「兄組」と「弟組」のメンバー同士の関係はまだ深まっておらず、2016年5月の『ジャニーズ銀座2016』では、「兄組」と「弟組」が分かれて出演することも検討された[18]。しかし、話し合いの結果、9人で出演することを選択[18][25]。これが全員揃っての初単独公演となった[17]。同舞台では、社長からも9人の揃ったダンスが評価され、グループとしての強みを見つける[18][注 4]

しかしその直後、阿部が脱退の意向をメンバーに伝える[18]。8月の『サマステ ジャニーズキング』には阿部も含めた9人で出演したが[26]、10月の舞台『ABC座2016 株式会社 応援屋!!?OH&YEAH!!?』には阿部は出演せず[27][28]、阿部を除いた8人で出演した[18][注 5]。その後、2017年1月まで開催された『JOHNNYS' ALL STARS IsLAND』の公演中に、今度は仲田から「夢を追いたい」と脱退の意向が打ち明けられる[18]。このため、3月の『ジャニーズJr.祭り[18]、5月の『ジャニーズ銀座2017[30]、8月の『サマステ ?君たちが?KING'S TREASURE』には7人で出演した[31]。続いて、9月の『JOHNNYS' YOU&ME IsLAND』には森田はTravis Japanとしては出演せず、6人で出演[注 6]。さらに、10月の『ジャニーズJr.dex』開始を伝えるニュース[33]と、同月に制作発表が行われた舞台『JOHNNYS' Happy New Year IsLAND』公式HPには梶山の名前が無く、5人となった[34]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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