Template‐ノート:日本国憲法
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このテンプレートは2006年1月16日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。

章の番号は漢数字かアラビア数字か

もし「章」の記事を作る場合に、章の番号を漢数字(例:日本国憲法第三章)とすべきか?アラビア数字(例:日本国憲法第3章)にすべきか?とりあえずテンプレートでは章は漢数字にしてあるが。。--Aryarya 2006年1月15日 (日) 22:06 (UTC)[返信]
上諭について

「上諭」が入っていないのはなぜ? まさか八月革命説が重要ではないとか? Salt Greens 2006年1月18日 (水) 10:52 (UTC)[返信]
レイアウト調整案

現行のは見づらく感じたので、見やすくした(つもりの)試案を作ってみました。→利用者:Cpro/Test03

ただし、縦長になってしまうというデメリットがありますが。ご意見お待ちしてます。--cpro 2006年2月22日 (水) 12:15 (UTC)[返信]

コンパクトさと見やすさのどちらを重視するか、ですね。コンパクトさを失わない方向で、見やすくという意識を少しでも意識した版を編集してみました。磯多申紋 2006年2月22日 (水) 18:27 (UTC)[返信]
英訳関連
結局、英訳の出典は?

条文がたくさんあるので、ここで質問しますが、条文の英訳の出典はどこなんでしょう?結局 → ⇒http://www.ndl.go.jp/constitution/e/etc/c01.htmlだとすると、出典元として書いておくべきだと思いますが。

ちなみに「原本(国立公文書館)」のリンク先がデッドリンクになっているので、どこにリンクさせていたのか教えてください。Fuji 3 2006年5月24日 (水) 04:45 (UTC)[返信]



首相官邸のホームページにある → ⇒http://www.kantei.go.jp/foreign/constitution_and_government_of_japan/constitution_e.html の方が妥当かもしれません。英訳の性質は公式の翻訳ないしはそれに準ずるものとして扱って構わないかと思いますが、権利関係については不明確なため、引用するのであれば、その確認が必要かと思います。磯多申紋 2006年5月24日 (水) 20:04 (UTC)[返信]

法律は著作物ではなく、上記のリンク先であれば公式の英訳(もしくは準公式)なので法律と同様の扱いをして問題なさそうですね。後は、書いた人が出典を記すだけですが、行われない場合は、全ページの英文が完全に上記英文と一致しているか確認して出展元明記ですか・・・初稿者さんお願いします(笑); 。Fuji 3 2006年5月25日 (木) 01:07 (UTC)[返信]
英訳の掲載について

(コメント)そもそも、日本語版にいちいち英訳文を載せる意味がワカラン。不要な節だと思う。--MIsogi 2006年5月25日 (木) 05:28 (UTC)[返信]


英訳の箇所は私が加筆したわけではありませんが、以下の理由から載せることに意味があると思っています。

憲法は国家の基本法であるから、国際性を持たせることができるのであればそのほうが望ましい。

憲法は書籍の六法等(例えば模範六法)でも他の法律とは異なり英訳文が掲載されていることからすれば一定のニーズがあると言える。

憲法に限らず法令の外国語訳は現在内閣官房により推進されている。その中で英訳は代表的に検討されている(たとえば下記を参照。)→ ⇒
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/hourei/index.html

英語に限定する趣旨ではない。多国語が錯綜して整理が必要という場面でもない。

憲法のケースでは他の法律と異なり、各条文ごとの記事を設け、それを充実させる意義があるが、各条項ごとの英訳を記載することがレイアウトとの関係で阻害的ではない。

日本国憲法の原理については、アメリカ独立宣言?フランス人権宣言等との関連性が指摘され、比較法学的な見地が他の法律より強い。

磯多申紋 2006年5月25日 (木) 18:12 (UTC)[返信]

私は、日本語版に何の説明もなく出典不明の英訳文を載せることは、有害無益であると考えます。とりあえず現状は、あたかも日本国憲法に日本語と英語の両正文があるかのような誤解を解消しえないため、まずは英文を消します。--唐棣色 2007年5月21日 (月) 17:48 (UTC)[返信]「日本語と英語の両正文があるかのような誤解」を誰がどれだけされるのか私は疑問に思います。日本語が正文であることを示せば足りるものを、全て消す必要はありません。私は、上記で英文を必要な理由とするポイントを指摘してあります。消去を独断にて進められる前に、適切な合意を得ていただければよかったと思います。なお消去が妥当であるというのであれば、適宜説得的な理由を示してください。--磯多申紋 2007年5月21日 (月) 19:19 (UTC)[返信](状況報告)唐棣色さんが各条文からの英文除去をされたようですが、そのうち特に1条ないし14条までは、履歴においても議論誘導がなかったため先行してrv致しました。その余の条文については、本項にての議論がまとまり次第、必要があれば対応するのが妥当と考えています。--磯多申紋 2007年5月21日 (月) 19:44 (UTC)[返信]まず、形式的な反対理由として、記載された英訳文に出典の明記がないことを挙げます。また、相も変わらず出典不明の英文を、漫然とrvされることにいかなる意義があるのか、量りかねます。なお、出典不明の文章に、いらざる注釈(「日本語こそが正文でござい」など)を付けることは避けたいと思います。仮に出典が示されたとしても、それが試訳であって、なんら法的、歴史的意義のない文章であることに変わりはありません。逐条コピペする必要性は非常に薄く、むしろ記事内容に関する正確な理解を妨げる原因ともなると考えます。上に挙げられた「英文を必要な理由とするポイント」につきましても、なんら説得的な理由付けとはなっていないと考えます。以下に反論いたします。「憲法は国家の基本法であるから、国際性を持たせることができるのであればそのほうが望ましい。」とのことですが、英訳文をコピペすることで、憲法にいかなる「国際性」が付与されるのか、全く理解できません。憲法の英訳文に一定のニーズがあろうことは否定しようもありませんが、そのことと逐条英訳文を記載することには一切関連がありません。英訳文が付録された六法でも、逐条英訳文を付しているものは、まず皆無に等しいと思われます。いずれにしても、ウィキソースの英訳文のみによってはその「国際性」やらが付与されず、「ニーズ」やらが満たせない理由でもあるのでしょうか?ウィキペディアが、言語ごとに構成されている利点を生かして、英訳文は英語版を充実させるものとして用いるべきでしょう。内閣の政策課題として法令の外国語訳が推進されていることと、ウィキペディアの記事に英訳文を逐条コピペすべきこととの間にはなんら関係がありません。たしかに、それは、ウィキソースに各法令の外国語訳を記載すべき理由にはなり得ましょう。しかし、既にウィキソースでも官邸のサイトでも、容易にアクセス可能な日本国憲法の英訳文を、逐条コピペすべき理由にはなりません。「レイアウトとの関係で阻害的ではない」とは、逐条記載しても「見た目に邪魔にならない」程度のことであると思われます。私は、ポッと英訳文をコピペった状態では、むしろ誤解を招く記述となり、実質的な面から邪魔であると考えます。既に述べましたが、漫然と「条文」の節に英文を併記することは、日本語と英語の両正文があるかのような誤解を招く原因となると考えます。かかる誤解については、「誰がどれだけされるのか私は疑問に思います。」と冷笑されていますが、「日本国憲法はGHQがつくったのを訳しただけ」という類の憲法制定過程に関する雑な思い込みは、巷間まま見受けられます。これは、GHQが作った英文こそが真の正文であって、これを和訳しただけの現行憲法は表見的な正文に過ぎないという誤解とも捉えられ、まさに日本語と英語の両正文があるかのような誤解と言えましょう。「比較法学的な見地」から英訳文コピペが必要であるとも指摘されていますが、必要ないと考えます。「日本国憲法の原理」と「アメリカ独立宣言?フランス人権宣言等との関連性」を論じられたいのであれば、「アメリカ独立宣言」や「フランス人権宣言」の原文・正文たる英文や仏文は必要でしょう。しかし、日本語版ウィキペディアで論じるにあたって、正文が日本語である日本国憲法を、わざわざ英訳した文が必要になるとは到底思えません。もし日本国憲法の英訳文が必要であるとするならば、それは英語版ウィキペディアで、かかる論題を提起した場合ではないでしょうか?日本国憲法の英訳文は、英語版ウィキペディアに記載されることをお勧めいたします。以上の各点から、私は、英訳文を逐条コピペすることに反対いたします。--唐棣色 2007年5月22日 (火) 06:55 (UTC)[返信]

出典に関しての議論は、本ノートのこの1つの上の節をご覧いただければと思います。日本語の法文には付いていないのと同様に、各条項の英訳に逐次出典を付す必要があるとは思いませんが、必要がある、ということであれば、適宜脚注などを付すことができます。また「英文」との節のタイトルを「英訳」ないしは「日本政府試訳」などとすることも当然ありえると考えます。「日本語こそが正文でござい」と書く必要はないと思います。

国際性と英訳文の関係については、唐棣色さんご指摘のとおり「憲法の英訳文に一定のニーズがあろうことは否定しようもありませんが」との点で十分と思います。英語以外を否定する必要はないと考えていますし、日本語を用いる者にとってポピュラーな外国語として英語が挙げられる点もやはり否定しようがないと思います。英訳文を載せるメリットを述べているのであって、英訳を付すことで国際性は十分、という主張をしているわけではありません。

各条項の訳文がある六法については、模範六法などが挙げられると思いますので、ご確認ください。

ウィキペディアの英語版の項目・ウィキソースにも英訳文を掲載されるというのであれば、ぜひなさって頂ければと思います。「容易にアクセス可能な日本国憲法の英訳文を、逐条コピペすべき理由にはなりません。」とおっしゃいますが、記事のうち英文掲載箇所について、ウェブ上でアクセス可能ならば記載してはならない、というルールがある、というご意見でしょうか。

英訳を記載するとレイアウトが破綻するかどうか、という点を、私の上記論旨に加えてありますが、記載反対を主張する方に「逐条記載しても『見た目に邪魔にならない』程度」とでも納得頂ければさらに心配する必要はないかと思います。

英語正文でない点の対応については上にて論じてあります。私は唐棣色さんのご指摘を「冷笑」しませんが、ウィキペディアの記事に英文が載っていると「日本語と英語の両正文があるかのような誤解を解消しえない」とのご指摘に対しては、「解消する」余地はいくらでもあると思います。また、多くの人が誤解するだろうとも思わない、というのが私の趣旨です。この点は、(英語も正文との)誤解の恐れを解消することは不可能、とのご主張なのでしょうか。

「和訳しただけの現行憲法は表見的な正文に過ぎないという誤解」という点、その懸念を持つ方向性はわかりますが、その「誤解」を少しでもウィキペディアで英文を忌避することで解消するんだ、というのは、特定の見解を推進する目的で記事を執筆するものになる恐れを感じます。私が、英語も正文だ、とか、日本文は和訳に過ぎない、という主張をしていない点について、ご確認下さい。

「(英訳の)コピペ」という表現を、ネガティブな意味を込めてなのか用いていますが、英訳に関し、気ままに改変して執筆者オリジナル訳を掲載するのはむしろ妥当ではありません。英訳に出典を求める唐棣色さんのご指摘からすれば、「コピペ」を否定的に用いられるのは適切ではないと思います。

いずれにしても、合意を得ずして各条項の記事からの除去を強行されるのは妥当ではありません。本ノートへの誘導もない前半の14条までは履歴にて誘導を付してrvしましたが残りは除去されたままに現状なっています。英文が正文ではなく訳文に過ぎないこと、訳文の出典を明確にする修正はしても構いません。それでも掲載してはならない、という理由は、ご主張されていないように思います。--磯多申紋 2007年5月22日 (火) 14:20 (UTC)--誤変換部分訂正磯多申紋 2007年5月22日 (火) 15:32 (UTC)[返信]

(報告)日本国憲法第1条の記事において、英文が訳文であることの明示と、出典が首相官邸ウェブサイトにあることの記載を行ってみましたので、ご報告します。--磯多申紋 2007年5月24日 (木) 14:41 (UTC)[返信]出典を示したとしても、また、日本語が正文であるとか、日本政府の試訳であるとか注記したとしても、英訳文を記載しない方がよいと私が考える理由は、2点あります。第一に、英訳文は記事内容の理解を促すための必要性・必然性がない無意味な文章だからであり、第二に、英訳文の記載自体が誤解を招くからです。以下に説明します。まず、英訳文は記事内容の理解を促すための必要性・必然性がない無意味な文章という点について。考慮すべきガイドラインの一つに「原典のコピーはしない」というものがあります。この規定にそのまま従えば、条文自体の記載も避けるべきであり、ウィキソースもしくはウィキクォートを利用すべきことになります。しかし、条文ごとの記事であり、条文自体は短いことから、記事内容の理解を促すため、条文自体のコピペ(特にネガティブな意味など込めていません。)には、必要性も必然性もありましょう。したがって、私は、日本国憲法の条文記事に、条文をそのまま記載することには賛成します。他方、条文記事に条文の英訳文を記載することには反対します。なぜならば、英訳文を記載する必要性も必然性もないからです。「日本国憲法第1条」の記事を例に取れば、この記事の英訳文には、特に記事内容の理解を促すため必要な文ではなく、前後に文章もないため記載される文脈上の必然性もありません。なおここで、必要性とは、六法付録の英訳文のような「あれば便利」などという意味での必要性ではありません。何百カ国語で書かれていようと同じことです。その記事自体にとっての必要性がない英文は、Tシャツに書かれた英文と同様、「国際性」などかけらもありません。「英訳文を載せるメリット」という観点からも、ウィキソースにまとめて掲載すべきでしょう。また、ガイドライン草案の一つである「他言語の使用は控えめに」には、「他言語表記は控えめにしましょう。付加的な情報として他言語を利用することは良い方法ですが、他言語に依存するような文章は避けてください。」とあります。これは、他言語文章の分量の問題ではないと思います。記事内容の理解のために必要な場合や文脈上の必然性がある場合以外は、他言語の使用をできるだけ避けるべきという意味ではないでしょうか。先に私は、日本国憲法第9条#沿革を編集しました。ここに記載したマッカーサー草案の英文と、rvされて置かれた英訳文は、ともに英語の文です。私は、前者の英文は必要と考え、後者の英訳文は不要と考えます。なぜならば、前者は記事内容を理解するために必要であり、文脈上の必然性もあると考えるからであり、後者にはこれらが全くないと考えるからです。次に、英訳文の記載自体が誤解を招くという点について。私の指摘について、「(英語も正文との)誤解の恐れを解消することは不可能」と考えているのだろうとか、「「誤解」を少しでもウィキペディアで英文を忌避することで解消するんだ」と気負っているなどと曲解されていますが、それは間違いです。意図的な誤読曲解は、お止めください。少なくとも、「日本国憲法第1条」の記事ではさっぱり誤解のおそれを解消し得ているとは思えませんが、それは措いておきます。私は、「誤解する」「誤解する」と杞憂を煽って楽しんでいるわけではありません。したがって、「誤解しなければいいんだろ」と反論されても無意味です。私は、そもそも、英訳文がそこまでして書く必要のある文章か大いに疑問を感じているのです。必要のない文章を書くことによって誤解を生じ、その誤解を解くために文章を重ねるなど、無益な行為は避けるべきです。なお、「記事のうち英文掲載箇所について、ウェブ上でアクセス可能ならば記載してはならない」などとは、一切述べておりません。重ねて、意図的な誤読曲解は、お止め頂くようお願いいたします。--唐棣色 2007年5月24日 (木) 19:28 (UTC)[返信]

まずは独断専行された点について省みて頂ければと思いましたが残念です。その点はさりながら、コメント各点についてご返答申し上げます。

日本語正文について「必要性も必然性もありましょう」と認めて頂けるならば、英訳文について「記載する必要性も必然性もない」と言うのは私は飛躍を感じます。私は、日本語の条文を個別記事に掲載するメリットがあり、英文についてもまとめて掲載する以上に個別条文として記事に掲載することに意味があると考えています。上記には明示してありませんが、対訳として対照されることによって日本文の意味が明確になる意味もあります。私は、ウィキペディアから情報を減らすことはむしろデメリットであると思います。ウィキソースなりに適宜記載された上でウィキソースにリンクすれば足りる、という議論であればまだしも、唐棣色さんの主張はそのようなものですらありません。ウィキクォートへの記載に関しては妥当とは思いません。

Wikipedia:他言語の使用は控えめには草案ですが、敢えて申し上げれば、唐棣色さんが引用されたように「付加的な情報として他言語を利用することは良い方法」ですから、英訳文を記載するのは問題なくむしろ「良い方法」ということになります。「他言語に依存するような文章は避けてください」とありますが、本件条文記事は、英訳文に依存していません。本記事との関係では唐棣色さんの主張の根拠とはならない草案だと思います。

日本国憲法第9条に関しては、草案の英文を残すことには意味がある、と認めて頂いたものと理解しています。この草案英文と実際の条文がどう変更されたかを示すためにも、実際の条文の英文を残すことに意味がある、という理解が私はむしろ自然だと思います。

さきに唐棣色さんから(日英の)「両正文があるかのような誤解を解消しえない」との発言(5月21日 (月) 17:48 (UTC))がありました。文末の「誤解を解消しえない」という文言は、誤解を解消することができない、という意味の文章です。誤解を解消できないかもしれない、という意味ではありません。この点、発言を訂正ないしは明確にして頂くのは結構ですが、私に対し「曲解」とおっしゃるのは筋違いでしょう。

『「誤解」を少しでもウィキペディアで英文を忌避することで解消するんだ』との点は、唐棣色さんの発言(5月22日 (火) 06:55 (UTC))から見て、私は曲解とは思いません。英語正文がないことを示すためには、訳文に過ぎないと記載しても足らなくて英訳文記載を一切排除というのは過剰です。引用箇所のトーンにはこだわりません。

「ウェブ上でアクセス可能ならば記載してはならない」という主張でないのならばそれで結構です。唐棣色さんが、否定的理由の1つと考えているのかと質問した文章ですから、違うならば結構です。

全体的に、唐棣色さんの議論は、英訳文の必要性の議論と、誤解の可能性の議論が混在していると思います。例えば、英訳文に関して記載しないことは英語正文があるかどうかの誤解に留まらずで、日本国憲法と英語との関係性を少しでも希薄にするための方法論として用いているのではないか、と感じます。今回のコメントでも全く解消されていません。上記のような意図がなければ、英語が正文でないことが分かれば十分です。誰が読むか分かりませんから、誤解の可能性はゼロとは言えませんが、一部補正した日本国憲法第1条の記事を見て、英語も正文だと思うことまで心配する必要はない、と申し上げるしかありません。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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