te
出身地 日本
ジャンルポストロック
ポスト・ハードコア
マスロック
エクスペリメンタル
活動期間2004年 -
レーベル残響レコード
(2004年 - 2009年,2012年 - 2014年,2016年 - )
JAPAN RECORD
(2010年)
CROWN STONES
(2015年)
HlBiki Music Entertainment
公式サイトtesound.amebaownd.com
メンバー
kono(ギター)
matsuda(ベース)
tachibana(ドラムス)
旧メンバーhiro(ギター)
masa(ベース)
yoko(ドラムス)
te(te'とも表記。テ)は、日本のポストロック、インストゥルメンタルバンドである。インディーズレーベル「残響レコード」所属。
概要
2004年結成。
2010年6月、徳間ジャパンコミュニケーションズより、メジャーデビューを果たした。
長いタイトルが特徴的で、アルバムタイトルは29文字、楽曲タイトルは30文字(共に句読点、記号含む)となっている。
teとはスペイン語・フランス語で、「お茶」という意味。日本茶という意味の“テ・ハポネーゼ”という名前にする予定だったが、長いので略してteとなった。 作品のジャケットは一貫して横縞模様にタイトルだけで、作品により色違いというシンプルなもの。matsuda加入後の作品は横縞模様を断層や髪の毛で表現している。
メンバー
kono(ギター)
河野章宏として、バンドの所属レーベル「残響レコード」の代表としても活動。9mm Parabellum Bulletのインディーズ時代の音源や、SPARTA LOCALSのアルバム「Leecher」にプロデュースで参加。Syrup16gのボーカル五十嵐隆のソロ・プロジェクト「犬が吠える by Takashi Igarashi」にもギターとプロデュースで参加。
matsuda(ベース)
2011年1月加入。加入後はmasaに代わり曲・アルバムタイトルを考えている。WRENCHでも活動中。
tachibana(ドラム)
映画「デトロイト・メタル・シティ」の楽曲レコーディングにも参加。2015年3月より一時的に活動を休止していたが、2018年5月19日のワンマンライブ『太虚に射上げられた火箭は幾夜を越え、放物線を描き再び地を目指す。日輪の灼熱を掠めたその烈々とした情熱を蓄え、不在の虚無に存在の一撃を響かせんが為に。』より復帰。
旧メンバー
hiro(ギター)
悪性リンパ腫に罹患のため、2009年6月よりバンド活動を離れていたが、8月(実質9月)に活動再開した。te結成以前にkonoのバンドと対バンした際、konoとhiroのギターケースが同じであったためkonoがhiroのギターを間違えて持って行き、それに気づき返しに来たのがkonoとの出会いだった。2021年11月30日に脳梗塞で死去。[1]
masa(ベース)
2010年12月一杯を以って脱退。脱退するまでは全ての楽曲やアルバムなどのタイトルを考えていた。同レーベルに所属しているバンド・miimiにてバリトン・ギターを担当。
yoko(ドラム)
te'の初代ドラマー。tachibanaの活動休止後、サポートドラムを担当していた。脱退後はoakやBOOM BOOM SATELLITESのサポートドラマーとして活動。
略歴
2004年1月にkonoを中心として東京にて結成。メンバーチェンジを経て、現在の編成となる。
2004年9月、1stシングル「己が分を知りて及ばざる時は速やかに止むるを『智』と言うべし」リリース。ディスクユニオン・チャート1位獲得。
2005年9月7日、1stアルバム「ならば、意味から解放された響きは『音』の世界の深淵を語る。」をリリース。全国タワーレコード・チャート10位。
2005年10月、レコ発全国ツアーを開催。来日したKoch Schuetz StuderやCOPTIC LIGHTと共演。
2006年3月、国内外のインディーズ・レーベルによる音楽イベント「independence-D」に出演。
2006年3月、1stアルバム「If that is what is being thought, liberated sound talks the depth of「musical」world.」がアメリカのレーベル「status que audio」より全米リリース。同時にアメリカツアー「?USリリースツアー?」を行う。
2006年6月、ナンバーガール、ART-SCHOOL、Base Ball Bear、downy、MONO、惑星などを手がけた東芝EMIの斉藤匡崇をレコーディングエンジニアに迎えた2ndシングル「言葉を用いて奏でる者は才能に在らず、ただの記憶に『過』ぎぬ。」リリース。
2006年11月、65daysofstaticの来日公演に出演。
2007年3月、3rdシングル「美しき旋律も、音を語る言を持たずしては、心にも『留』めがたし。」リリース。ルミナスオレンジの竹内里恵がゲスト参加。
2007年3月18日、渋谷O-nestにてワンマン・ライブ「音楽の研究者は、音楽をねじ伏せようとしてはいけない。音楽をして、音楽の赴く所に赴かしめるように導けばよい。そうして音楽自身をして音楽を研究させ、音楽の神秘を物語らせればよい。」を開催。
2007年3月30日、渋谷DUO music exchangeにてI'm not a gunや65daysofstaticと共演。
2007年9月、2ndアルバムリリースワンマン・ツアー「沈黙を学べ。我が友よ。言葉は銀に等しい。が、時を得た沈黙は純金だ。」開催。
2007年10月27日、台湾の音楽イベント「2007 Mega Port Festival in 台湾」に参加。
2008年2月16日、VOLA & THE ORIENTAL MACHINE、ART-SCHOOL、OCEANLANEをゲストに迎え、初の自主企画イベント「かりに、情熱に基く音楽だけが道徳的であるのならば、同様に、情熱の続く音楽だけが道徳的であると言える。しかし、道徳的な音楽だけが革新的であるとは限らず、曰く、道徳的な破壊。」を開催。
2008年8月16日、「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2008 in EZO」へEARTH TENTにて出演。
2008年10月8日、3枚目のアルバム「まして、心と五感が一致するなら全て最上の『音楽』に変ずる」をリリース。それに共にリリース・ツアー開催。
2008年10月25日、渋谷CLUB QUATTROにてワンマン・ライブ「音楽を汚すものは、悦楽でも、惰性でも、官能でも無い。 現実が要求する打算と、経験から生まれる熟慮、それに反省。 現実を汚す音楽を救えるものは、受取手の無垢という表現」を開催。
2008年11月よりsleepy.abと共にリリース・ツアーを行う。
2008年12月7日、学生企画・運営による「みやこ音楽祭'08」に出演。
2008年12月30日「LIVE DI:GA JUDGEMENT 2008 UDAGAWA」に出演
2008年12月31日、「COUNTDOWN JAPAN 08/09」に出演。
2009年2月11日、MO'SOME TONEBENDER、ASPARAGUSをゲストに迎え、自主企画イベント「te presents 心の中に沢山の問いが、考え尽くされぬままで残るものだ。この中の沢山の問いは、ただ問いのまま乗り越えるものだ。明快に勘定の出来る音楽なんて、貧しいものだ。問いは問いという形のままで、そしてまた、音が問う。」開催。
2009年4月、「ARABAKI ROCK FEST.09」に出演。
2009年6月、ギターのhiroが悪性リンパ腫により一時バンドから離脱。以降はサポートメンバーを迎えて活動している。
2009年6月21日・28日、GOOD 4 NOTHING、MO'SOME TONEBENDERをゲストに迎え、自主企画イベント「te presents 音楽は精神の持つ顔つきであり、それは肉体に備わる顔つき以上に密接に人格と結びついている。」開催。
2009年8月、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」「SUMMER SONIC」といった大型ロックフェスに出演。15日には、メンバーのhiroが活動を再開。
2010年6月2日、4thアルバム「敢えて、理解を望み縺れ尽く音声や文字の枠外での『約束』を。」を徳間ジャパンコミュニケーションズからリリース。メジャーデビューを果たす。
2010年12月一杯を持ちベースのmasaが脱退。
2011年1月25日、ベースにmatsudaの加入が発表される。
2015年1月5日、ドラムスtachibanaが3月を以って一時脱退することが発表される。以降はyokoがサポートを担当する旨も発表。
2016年10月、アニメ「ブブキ・ブランキ」第13話以降のエンディングテーマ「玲瓏たる純潔は『紅炎』の傀儡を疾らせ、暁天に燦めく証を刻む。」(歌 - 万流礼央子(潘めぐみ))を楽曲提供。
2018年5月、ワンマンライブ『太虚に射上げられた火箭は幾夜を越え、放物線を描き再び地を目指す。日輪の灼熱を掠めたその烈々とした情熱を蓄え、不在の虚無に存在の一撃を響かせんが為に。』よりドラムスtachibanaが復帰。
ディスコグラフィ