開局から4年後の1968年に経営破綻した東京12チャンネルの再建支援のため、財界を中心として「株式会社東京十二チャンネルプロダクション」(現在のテレビ東京の法人格[注釈 10]。当時はテレビ番組制作会社[注釈 11])が設立され、同社に出資した日本経済新聞社と毎日放送の2社が経営再建の中心的役割を果たした。この時、当時NETテレビ(現・テレビ朝日)の系列局であった毎日放送は日経からの要請で自ら「キー局宣言」を行い、翌1969年10月にNETとのクロスネットという形で東京12チャンネルともネットワークを結び、共同制作番組を立ち上げたり、両局の番組を供給しあうなどして、関係を強化した[注釈 12]。しかし、TX-MBSのネットワークは1975年(昭和50年)3月31日の腸捻転ネット解消に伴い消滅する事となり[注釈 13]、東京12チャンネルは再び独立テレビ局へ戻る事となった[注釈 14]。
その後、1982年(昭和57年)3月1日にテレビ東京で初の系列テレビ局であるテレビ大阪が開局。これと同時にメガTONネットワーク(メガトン(めがとん)ネットワーク)という名称でテレビ東京の全国ネットワーク構築がスタートした。「メガTON」の意味は、日本三大都市地域の「Megalopolis Tokyo-Osaka-Nagoya Network」を略した造語である。この「メガTON」という名称は(テレビ大阪が開局した)1982年(昭和57年)3月1日から1989年(平成元年)3月31日まで使用されていたが、1983年(昭和58年)9月1日のテレビ愛知(TVA)の開局をもってメガTONは一定の完成を見ていた。かつて放送されていた音楽特番のタイトル『メガロポリス歌謡祭』はこのネットワーク名に由来する。
なお、発足当時はテレビ愛知が未開局だったこと、また将来的に名古屋に新局を開局する事を伏せていた為、メガTONの意味をMegalopolis Tokyo-Osaka Network」のように説明をしていた。この時同時に、それまで通称であった「TX」が正式にテレビ東京(TV TOKYO 12)の略称(通称)として定められた。
1985年(昭和60年)10月1日には、岡山県と香川県(瀬戸内準広域圏)をカバーしているテレビせとうち(TSC)が開局。しかし、メガTONネットワークの名称は高松の「T」、岡山の「O」も意味する「Megalopolis Tokyo/Takamatsu-Osaka/Okayama-Nagoya Network」として使用を継続した。「メガTONネットワーク」としての放送は1989年(平成元年)3月31日で終了した。
1984年にネットワークとして、スポーツテーマ曲「Let's Try 0012」(三枝成彰作曲)が使われるようになった。ただしネット局に他系列局や独立局があればそちらでもそのまま流れた。
なお、重さの単位であるt(トン)の百万倍という意味のメガt(メガトン)とは関係ない。