テレビゲームは、主に一般消費者向けの「テレビゲーム機」によるコンピュータゲームを指す用語[1]。テレビ受像機をディスプレイとして使うことからできた和製英語[注釈 1]で、英語では一般的にビデオゲーム(video game)と言われる。
テレビゲームを動作させるテレビゲーム機は、日本においては1983年に任天堂が発売したファミリーコンピュータによって一般家庭に広まった[3]。
テレビゲームおよびテレビゲーム機を包含する言葉としてコンシューマーゲームおよびコンシューマーゲーム機[4]があり、これらは携帯型ゲームおよび携帯用ゲーム機と家庭用ゲームおよび家庭用ゲーム機に細分され、家庭用ゲーム機はビデオゲーム機[5][注釈 2]、テレビゲーム機、据え置き型ゲーム機とも呼ばれる[3][7]。テレビゲーム機のひとつ、任天堂のファミリーコンピュータ
略歴「コンピュータゲームの歴史」、「コンピュータゲーム#歴史」、および「コンシューマーゲーム#略歴」も参照
映像受像機を使用したゲームとして、1950年代に真空管コンピュータであるEDSAC用に「OXO」がつくられ、1957年にはオシロスコープの輝点でテニスをする「Tennis for Two」といった例がある。どちらも陰極線管(ブラウン管)を表示装置として利用しベクタースキャン式であり、現代のラスタースキャンとはテイストが異なっている。なおTennis for Twoは、アナログコンピュータとリレーやキャパシタ等といった電子部品の組み合わせで作られていた。1962年にはMITでPDP-1用に「スペースウォー!」というソフトウェアが書かれた。
家庭用テレビを表示機器として利用する電子ゲーム機器は、1971年発表の4004など、LSI(大規模集積回路)の集積度が向上したことによって実現可能になった。1972年9月にマグナボックス社が「オデッセイ」を発売(1975年の生産終了までにおよそ35万台を販売)。1972年11月にアタリ社が「ポン」を発売。他社からも類似の製品やキットなどが発売された(純正「ポン」が約一万台、模倣機は全世界で約十万台販売されたと推定されている。)。いずれも、固定された1種類、または簡単な回路の切り替えなどによる多くても20種類弱程度のゲームが遊べる、といったもので、コントローラ等も専用のものが直結されていた。
1977年に米国のAtari社がAtari VCSを発売し、MOS 6507という8bitCPUを用いたもので、ロムカートリッジ形式でゲームソフトを販売、これがヒットし家庭への普及が進んだ(2004年までで約3000万台を販売[8])。1981年に日本のエポック社がカセットビジョンを発売し、これはカセット内にLSI(1チップマイコン)を内蔵しそのカセットを差し替える方式で複数のゲームで遊べる方式だった(1983年9月までに40?45万台を販売)。1983年には任天堂がファミリーコンピュータ(初代ファミコン)を発売し、世界的にはNESという名称で販売を展開し、リコー製RP2A03というMOS 6502互換8bitCPUを用いたもので、ソフトはロムカセット(ロムカートリッジと同原理)で販売された。