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TVおじゃマンボウ
ジャンルバラエティ番組
出演者中山秀征
麻木久仁子
堀井憲一郎
藤井恒久(日本テレビアナウンサー)
ほか(出演者参照)
製作
制作日本テレビ放送網
放送
放送国・地域 日本
開始から1996年3月まで
放送期間1993年7月24日 - 1996年3月30日
放送時間土曜日17:10 - 18:00
放送分50分
1996年4月から終了まで
放送期間1996年4月6日 - 2006年3月25日
放送時間土曜日17:00 - 18:00
放送分60分
回数628
特記事項:
基本的に生放送で一部に録画の回がある。
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『TVおじゃマンボウ』(テレビおじゃマンボウ)は、日本テレビ系の一部局で1993年7月24日から2006年3月25日まで、毎週土曜日の17:00から(1996年3月までは17:10から)放送されていた、テレビ番組やテレビの舞台裏を取り上げるバラエティ番組。 当初は、前番組『ヒューヒュー』が打ち切りとなり、秋に始める予定だった新番組の構想期間の穴を埋めるためのつなぎ番組として始まった。そのため、第1回放送日が7月24日という中途半端な日付になっている。 急造だったため、前番組「ヒューヒュー」から継続起用された当時若手人気タレントの中山秀征と単発ゲスト以外は無名な出演者で占められていた。メインの1人麻木久仁子はまだ知名度が低く、その他の出演者も入社直後の新人アナウンサー、コラムニストの堀井憲一郎といった具合。 このような環境で放送開始した当番組であるが、「テレビ番組を特集する」だけの簡素さと出演者同士の掛け合いでリアルな魅力を生み出し、前番組から180度違う番組への転換に成功し、時代にもマッチして一定の視聴率を得た。そのまま秋を過ぎても番組が続行されて結果的には13年間にもわたる長寿番組となり、特に麻木と堀井にとっては出世番組となった。 当番組は原則生放送だが録画放送の回が時折あった。例として、ゲストの問題発言に伏せ音が使われたり(松村邦洋等)、カット繋ぎがあった(上原多香子等)ため容易に判別できた。 あくまでローカル番組であり、また日テレの番組宣伝要素の強い番組のため、読売テレビや中京テレビのように編成全体にわたって自社製作番組への差し替えの多い局や四国放送や高知放送のように全国ネット番組が他系列番組へ差し替えられることが多い局ではネットされなかった。 『24時間テレビ』の放送当日は、「TVおじゃマンボウ・24時間テレビスペシャル」という題目で放送されていた。スタジオには、24時間テレビまで、あと○時間○○分○○秒と表示される時計が置いてあった。また福岡放送は自社特番に切り替えられていたが、他のネット局や山口放送などの『おじゃマンボウ』非ネット局の一部局でも放送されていた。この24時間テレビの事前番組は本番組終了後も『ラジかるッ』(2009年3月終了)に移行して放送された(2010年以降はベース番組が無いが、事前番組は継続中)。 スタッフ、出演者の共通性で『DAISUKI!』『ジパングあさ6』との交流が多く、『TVおじゃマンモス』とはスタジオも同じで当番組のセットを組み替えて使用されていた。 日テレの視聴率不正操作問題が発覚した2003年秋頃から視聴率が低迷し、番組内容を大幅に一新した後、2006年3月25日をもって当番組は終了し12年9か月の放送に幕を降ろした。なお、鹿児島讀賣テレビなど一部の放送局では本来の最終回が放送されず、前週の3月18日放送分が最終回の扱いとなった。 同時に1979年4月に土曜20時台から移動した『全日本プロレス中継』から27年間続けられた日テレの土曜17時台の1時間枠は終了となった。 いずれも当時。3人とも1993年4月に入社したばかりの新人アナウンサーだった。 ※印は、第1回からの出演者(麻木は産休期間有り)。マンボウ探偵団は日本テレビのアナウンサーで構成されていた。
概要
番組の終焉
出演者
スタート時の主な出演者
司会
中山秀征、麻木久仁子
TVウォッチャー(第一回はカウントダウンコラムニストとして)
堀井憲一郎
マンボウ探偵団
藤井恒久、山王丸和恵、角田久美子
最後期の主な出演者
■司会
中山秀征※、麻木久仁子※
■TVウォッチャー
堀井憲一郎※
■おじゃま刑事
ホリ
■マンボウ探偵団
藤井恒久(当時)※、小野寺麻衣(当時)、森圭介、宮崎宣子(当時)、鈴江奈々、右松健太(当時)、脊山麻理子(当時)、鳥羽博剛(当時)
過去に出演していたアナウンサー
山王丸和恵(当時)
角田久美子(当時)
菅谷大介
柴田倫世(当時)
鈴木崇司≪ラルフ≫
河本香織(当時)
西尾由佳理(当時)
長谷川憲司(当時)
矢島学
炭谷宗佑(当時)
最終回では鈴木崇司のほか、既に現役局アナではなくなった山王丸、角田、柴田の3名もゲストで駆けつけた。
番組内容
視聴率ランキング
番組のジャンルごとに週の視聴率ランキングを発表。「ドラマ部門」「バラエティ・音楽部門」「情報・教養番組部門」「深夜番組部門」「総合TOP30」の5つのジャンルから発表されたが、時間が余り無い場合は「総合TOP30」のみを発表した回もあった。しかし、日本テレビの視聴率不正操作問題の発覚に伴い、当コーナーは廃止となった。
番組特集
日本テレビで放送している番組へ取材へ行き、その日の特集として放送していた。大概の場合リポーターのマンボウ探偵団はその出演者から弄られるというのが定番だった。
おじゃま刑事(デカ、2004年10月2日?)
ホリがテレビに関する疑問・質問を捜査していた。2005年4月16日の放送では、ホリ自らの結婚を発表した。
東京ドーム中継
東京ドームで巨人戦が行われる時だけ実況アナ・解説者とスタジオのやり取りがあった[注 1]。巨人ベンチ横にいる元木大介が入中探偵団として出演していた[注 2]。
マンボウトトカルチョ
クイズコーナー。4択のクイズが出題され、誰が正解か当てるとプレゼントが当たる[注 3]。VTR終了後に堀井が出演し解説、出演者とゲストは4択の中から正解だと思う選択肢に自分のネームプレートを貼っていった。正解率は中山が一番高かったが、麻木も高確率で当てにいった。番組後期には4択クイズの他に、書き問題や、近似値クイズでの出題もあった。
週刊マンボウ瓦版(2004年10月2日?2005年9月)