TUBE
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解散も含め真剣に話し合った結果、女性の家族の意向もあって活動継続を決めた[5]。角野が復帰するまでベースは栗林誠一郎が代役を務めることになった[5]。
8thシングル「Remember Me」をリリース、今作品も夏とは関係ない楽曲でありバラード調でもヒットを記録した。
現在も毎年恒例となっている横浜スタジアムでのライブがこの年から開催された。
1989年
5月 - 角野秀行が復帰。
6月1日 - 9thシングル「SUMMER CITY」リリース。この作品より完全にメンバーによる「作詞・作曲」の楽曲へと移行することになる。(編曲には明石昌夫等が携わる。)
1990年代
1990年
5月21日 - 11thシングル「あー夏休み」リリース。この作品から完全に作詞・作曲・編曲がTUBEのメンバーによるものとなる。制作過程ではプロデューサーの長戸大幸提案の曲調に戸惑う[5] が、それは従来のシングル曲路線と全く異なる曲調だったからである。その戸惑いとは裏腹に本作品は20万を超えるヒットを記録する。
日本有線大賞にて「あー夏休み」で有線音楽優秀賞を受賞。
1991年
7月1日 - 13thシングル「さよならイエスタデイ」リリース。この作品も「あー夏休み」同様にラテンリズムのサウンドであり、ここでまたTUBEはひとつのスタイル「ラテンサウンド」を確立させることとなる。この作品で初めてシングルの売上枚数が50万枚を突破し、推計60万枚を超すセールスを記録。
日本有線大賞にて「さよならイエスタデイ」で有線音楽優秀賞を受賞。
この年から阪神甲子園球場での野外ライブが恒例になる。(2015年を最後に一旦終了)
1992年
6月13日 - 12thアルバム「納涼」をリリース。
日本有線大賞にて「夏だね」、「ガラスのメモリーズ」で有線音楽優秀賞を受賞。
前作に並び、CDの売上枚数が50万枚以上(推計60~80万枚)を記録した。
この年からナゴヤ球場での野外ライブが恒例になる。(建て替えのため2002年を最後に終了)
1993年
5月12日 - 16thシングル「夏を待ちきれなくて」リリース。初のオリコンチャート1位を獲得。出荷枚数は90万枚を突破した。(初動売り上げは12.9万枚)
5月15日 - Jリーグ開幕戦の横浜マリノスvsヴェルディ川崎戦(国立競技場)にて前田が国歌独唱、春畑がJリーグのオフィシャルテーマソング「J'S THEME」をピッチで披露した。
6月18日 - 13thアルバム「浪漫の夏」をリリース。
7月1日 - 17thシングル「だって夏じゃない」リリース。2作連続となるオリコンチャート1位を獲得。
12月31日 - 『第44回NHK紅白歌合戦』に出場し、「夏を待ちきれなくて」を歌唱。初の紅白歌合戦出場となった。
1994年
5月11日 - 18thシングル「夏を抱きしめて」リリース。3作連続となるオリコンチャート1位とシングルでは自身最大の初動売り上げ(15.9万枚)を獲得。本作品は100万枚以上を売り上げ、TUBEのシングル曲で最大のセールスを記録した。
TUBEデビュー10年目の年であり、夏の野外ライブも例年に比べ多数開催され、全国10ヶ所公演となった。
5年ぶりに夏季以降の活動を行ない、ライブ活動として1989年以来となる冬のライブツアー『冬でごめんねツアー』が開催された。
11月16日 - 初のバラードベストアルバム「Melodies & Memories」を発売。
1995年
11月 - 4thデータブック「FIGHT!」を学習研究社より発行。初のライブ写真集である。
1996年
4月 - 地元神奈川県座間市のハーモニーホール座間の竣工記念として、ライブツアーの初日を同ホールで行なう。
4月1日 - 2ndベスト「TUBEst II」をリリース、最大のセールスを記録した。(初動売り上げ33.0万枚)
1997年
7月 - アルバムBravo!が自身最大の初動売り上げを記録する。(39.0万枚)
1998年
12月31日 - 第49回NHK紅白歌合戦に出場し、「きっと どこかで」を歌唱。4年ぶり2回目の紅白歌合戦出場となった。
8月 - 横浜スタジアムのライブにて公演途中にドロンズと共演した。
1999年
10月 - 映画『サラリーマン金太郎』の主題歌に「IN MY DREAM」が起用される。
2000年代
2000年
4月17日 - ハワイのみで「TUBE with Friends」名義でのシングル「SHA LA LA / Remember Me」を発売。現地のチャートで4位を記録[10]。
5月13日 - TUBEst IIIを発売。今作も100万枚以上を売上げ、2000年のロック部門でアルバム・オブ・ザ・イヤ―(ゴールドディスク大賞)を受賞する。
6月1日 - デビュー15周年記念としてハワイのアロハ・スタジアムにて日本人アーティストとして初めてコンサートを開催し21000人を動員する。
6月28日 - 33rdシングル「虹になりたい」を発売。今作は1998年シングル「きっとどこかで」に並び40万-60万枚以上のヒットを記録した。
7月20日 - 20thアルバム「LANI KAI」を発売。出荷枚数は約35万枚。
2001年
5月 - 34thシングル「月と太陽」を発売。
7月 - 21stアルバム「Soul Surfin' Crew」を発売。
8月22日 - この日開催予定だった横浜スタジアムでのライブが平成13年台風第11号の直撃のため翌日に順延する事態に。
11月 - 2ndバラードベストアルバム「Melodies & Memories II」を発売。40万枚以上の出荷枚数を記録した。
2002年
7月31日 - 22ndアルバム「good day sunshine」を発売。1991年の大ヒットシングル「湘南My Love」が再録音のうお収録され、2002年のフジテレビ系「めざましテレビ」のソングに採用されたこともあり20万枚以上の出荷枚数を記録。
8月3日 - 建替のための取壊し工事が進んでいたナゴヤ球場で同球場での最後のライブ開催。2001年に同球場でのライブは最後となされていたが、取壊し工事がそれほど進んでおらず、また要望も強かったことから開催する運びとなった。
2003年
1月 - 春夏秋冬4作のシングルを発表し、フジテレビ系「めざましテレビ」とタイアップすることが発表された。
7月16日 - 23rdアルバム「OASIS」を発売。出荷枚数は約15万枚。
7月19日 - お台場特設野外会場でライブを開催。めざましテレビの出演者らもライブに出演した。
12月11日 - 2004年1月31日 - 冬のライブツアー『冬でごめんね2003-2004』が開催された。
2004年
1月 - 韓国で日本語音楽が全面解禁になる2004年1月1日、ソウルにてスペシャルカウントダウンライブに日本人アーティストとして初出演。
7月 - 夏景色を発売。出荷枚数は約20万枚。
11月17日 - 12月23日 - ツアー「Boomerang St.」開催。カバー曲中心のセットリストでライブハウスを回った。
2005年
5月14日-7月16日 - SEASIDE VIBRATIONと題したツアーを開催。全国7か所の海岸で1日楽しめるお祭りを実施。
6月3日 - デビュー20周年記念としてハワイ米軍基地でサンセットをバックにライブ。
6月中旬 - ボーカルの前田亘輝が暴力団幹部のパーティに出席していたことが発覚。事務所は「前田は友人から頼まれて出演した。相手が暴力団とは知らなかったというが、軽率な行為だった」と弁明している。この問題により、TUBEが歌う「全国豊かな海づくり大会」のテーマソング「海の唄」は使用されずにお蔵入りとなった。→ウィキニュース
7月20日 - TUBEを発売。出荷枚数は約10万枚。
7月30日 - ボーカル前田亘輝の故郷である神奈川県厚木市で18000人を集め野外ライブ。
8月10日 - シングル「Ding! Dong! Dang!」発売。劇場版 NARUTO -ナルト- 大激突!幻の地底遺跡だってばよの主題歌に起用された。
2006年
6月21日 - シングル「みんなのうみ」リリース。NHKの歌番組「みんなのうた」の2006年6・7月の放送曲に起用されたほか、絵本も発売される。
7月12日 - アルバム「B☆B☆Q」を発売。
2007年
この年はデビュー22年目にして、毎年恒例となっていた夏のシングル・オリジナルアルバムの発売がなく、TUBEとしての夏の活動は野外ライブ2公演のみであった。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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