トム・ヒドレーはTTGスタジオの共同創設者である。1931年5月27日のロサンゼルスで生まれた[1]。10代の頃はサクソフォーンやクラリネット、フルートの演奏に熱中したが、何時間も吹き続けたことで体を壊し、かかりつけの医師に演奏を禁止された[1]。それを機に演奏以外の形で音楽に携わるようになり、夜はクラブでレコーディング漬け、昼はスピーカーやテープレコーダーの会社で働くようになる[1]。
1959年、マッドマン・マンツがカーオーディオの開発アシスタントとしてヒドレーを雇う[1]。マンツカーオーディオの最初のオーナーの一人に、著名な歌手で俳優のフランク・シナトラがいた[1]。それが縁でシナトラの仕事仲間のヴァル・ヴァレンティンに知られることとなり、ヴァレンティンがニューヨークで新しく建てる録音スタジオのアシスタントとして招かれた[1]。そうして建てられたのが、1962年に完成したMGM・ヴァーブ・スタジオである[1]。1964年、フィル・ラモーンが、自身のA&Rスタジオのテクニカル・マネージャーとしてヒドレーを迎える[1]。Ami Hadaniもまた、同時にA&Rで働くことになる[1]。 TTGの共同創設者であるAmi Hadaniについてはあまり知られていない[4][5]。ブルース・ボトニックによると、当時Ami Hadaniはイスラエル空軍の司令官でもあったため、イスラエルが戦時中の時はアメリカを何週間も離れることがあったという[3]。
Ami Hadani
脚注^ a b c d e f g h i j k l m Verna, Paul (1995年7月1日). “From Auto Sound to Infrasound, Hidley's Career has Been Built on Breakthroughs”